Episode.1 Thanatos
ここは神々の住む世界。天界とか冥界とかあるけれど、純粋に神々の住む世界。何でか、ごっちゃになってて良く分からない状況になっている。そんな中で、神々は今日も今日とて人界を監視する。
「あーもう嫌だ!なんなんだよ人間欲まみれじゃねーか!やってらんねー!!」
というとある神の訴えにより、ある日神々の間で会議が開かれた。その中には冥界の王、ハーデスや、海の神ポセイドンなども参加していた。皆、日に日に増えていく人間の欲には呆れ果てており、もう人間には愛想を尽かしていた。そこでとられた策として
『死神タナトスを人界に送り、人間の数を減らすこと』。
人界ごと大災害を起こさせる策も練られたが、土地神と呼ばれる存在が、それに酷く反論した為、結局この策がとられたのである。策が決まるとすぐにタナトスに命を下し、タナトスはすぐに人界―――下界へと降りていった。
タナトスは普通、男の姿で書かれるが、こちらでは少女になっている。ニュクスの実子で、人々を冥界へ誘うための剣だか刀を持っているらしいが、このタナトスは大鎌を手にしている。その大鎌には瞳がついていて、世界を見下ろしているのだという。もちろんこれは世界中の神話、どこを探してもそんなものはない。完璧なるオリジナルだ。死神のくせに彼女はロリータファッションに身を包んでいるし、その言動は少女そのものだ。なぜここまで『タナトス』とは打って変わって違うのかというと、それには訳がある。
『死んだ人間の体を借りている』からである。
もともと『タナトス』としての魂は存在していた。だがそれを入れるための『器』がなかった。その為、死んだばかりの、15の少女の体をもらい、『タナトス』として活動しているのだ。そう、この『タナトス』は『あまりにも不完全な存在』だったのである。
―Episode.1 『Thanatos』
三日月が怪しく笑う日。下界の時刻は23時を回ったところだ。星は天天と瞬いていたが、街灯ですっかり埋もれてしまっていた。空気は澱んでおり、流石都会といったところだろうか、未だに人は多く、あちこちで騒ぎが聞こえる。そんな中、目立たない路地裏に、死神少女タナトスは降り立つ。タナトスはまずひとつ空気を吸い、咳をひとつこぼした。そして口を手で覆い、眉をひそめる。
「うっわ最悪空気わっる……」
それが彼女の今日の、下界に降りての一言目だった。神々の住む世界―――神界はとても空気が澄んでおり、下界の空気とは比べ物にならない。その為に、普段神界にいる神が下界に降りると、その空気の悪さゆえ吐き出してしまう。タナトスも例外ではなかった。初めて下界に降りたときの惨状と言ったら、とても言えるようなものではなかった。それこそ今は少し慣れたから、咳をひとつこぼすだけでいいものの。
「はあ…こんな中やんなくちゃいけないものねえ……本当最悪。さっさと終わらせて帰りましょ。ねえルキ、ヘル」
タナトスはそう言って、くるりと振り返って後方を見る。と言っても視線は下に行っていたが。彼女が視線を落としたそこには、2匹の猫が、顔を洗いながらしかめっ面をしていた。(いや、猫に『しかめっ面』という表現は些かあってはいないだろうが)
1匹は後ろの方に包帯をまいて、尻尾が二股に別れている黒猫。
もう1匹は右目に包帯をまいていて、やはり尻尾が二股に別れている白猫。
黒猫はとてもとても低い声で喋った。
『それには同意する、タナトス』
もう1匹の白猫は甲高い声で喋った。
『早く帰ってもう寝たいわ。こんなところに長居したくないもの』
「そうよね、本当最悪。ちゃちゃっと終わらせますかね」
その猫の名は、『ルキフェル』と『ヘル』と言う。黒猫がルキフェルで白猫がヘル。ルキフェルは、かのルシファーの別名である。各地によって呼び名が若干違ったりするのだ。かのところでは『ルシフェル』だったり、またかのところでは『ルシファー』だったり。だが、『ルシフェル』というのは、堕ちる前の天使の名であり、『ルシファー』というのは、堕ちた後の名だとされている。これが別のところだったりすると、堕ちた後の名が『サタン』とされるところもある。なので、一概にどれが正しいのかと言われると、わからないのである。
一方ヘルというのは、北欧神話における冥界の女王だ。よくゼウスの妻、ヘラと名前が似ているため、混合されてしまいがちだ。ちなみに地獄の英語名、『Hell』だが、語源はその北欧神話の『ヘル』ではないかと考えられている。詳しいことはわからない。
無論、その2匹―――2人は猫の姿が本来の姿ではなく、ちゃんとした体を持っている。普段はあまり力を使わないように、猫の姿に変化しているというだけであって。タナトスとともに行動しているのは、神々からお目付け役として認定されたからだ。他意はない。
「さて誰を『消し』ましょ。ここ、そこら中に人間いるからねえ」
タナトスはそうつぶやき、舌なめずりをして下界に消えていった。
「タ、ナ、ト、ス、ちゃーん!!!!!」
ここは神界。神々の住む世界。空気が澄んでいて、下界とは比べ物にならないくらいの綺麗な世界。そんな綺麗で静かな世界を打ち破るが如く、こ洒落たタナトスの家の玄関を開けて大声でその名を呼ぶ。
前髪が少し伸びていて顔を分けており、少しの髭が目立つ。鎖骨が見えるくらいにワイシャツのボタンをあけていて、どこか女たらしの雰囲気を漂わせている。そして閉じている左目。その左目を一度開けば、お怒りモードと言う意味をなす。そんな人物こそ、この神界を治める主神、『ゼウス』本人なのである。
ゼウスは確かにギリシア神話の主神ではあるが、超のつく程の浮気者で、女を作っては子供を作りの繰り返しであった。その為、嫉妬深いことで有名な結婚の女神、ゼウスの妻ヘラに呪われた女や子供は、少なくない。有名なのがかの英雄、ヘラクレスだろうか。
「ってあれー?タナトスちゃんいない感じ?」
家の中を練り歩き、どこにもその家の主がいないことがわかったゼウスは、不思議そうな顔でぽそりと呟く。するとそこに、タナトスの家の番である、三つ首の―――今は人の姿だが―――魔獣『ケルベロス』が出てくる。
「タナトスさんなら先ほど仕事に向かわれました」
「ちぇ。仕事かあ。下界にいるの?」
「はい。いつもの様に『人間狩り』に向かわれています」
「つかさあ、なんでお前がここにいんだよ」
「タナトスさんからの直々に『家の番をしてくれ』と頼みこまれたんです」
「は?お前さあ俺に喧嘩売ってる?」
「売ってません!あとなんで貴方がここにいるんですか!会議はどうしたんですか!?」
「職務放棄中」
ぎゃーぎゃーと言い争い(ゼウスが一方的に文句を垂れているだけ)が続いていると、不意にゼウスの首元に鎌がかけられる。そしてその後ろには殺意というより、怒りのオーラが嫌でも伝わってくる。ゼウスがあくまで笑いながら後ろを振り向く。
「おっかえりー!」
「散々人の家荒らしといてそれかい」
「荒らしたのはケルベロスだから」
「嘘をつかないでください!」
「ケルちゃんはそんなことしないわ。こんなことするのはアンタだけよゼウス」
「言われなき理不尽」
タナトスだとわかると(いやわかっていたのだが)、途端にタナトスに飛びつこうとする。それを簡単によけてケルベロスにお土産の『人肉』をあげると、ゼウスに恨むような視線を送る。だがしかしそれはゼウスにとっての『ご褒美』になり得てしまうが。
「なんでそんなに私にひっついてくるのかしらね、ルキ、ヘル」
『さあな』
『私にふられてもねえ』
「え?そりゃタナトスちゃんに一目惚れしたし愛してるかr」
「帰れ」
「酷くない?」
ゼウスは涙目になりながら上目遣いで、「ごめんねえ」と謝ってくる。しかしそれはタナトスには効かず、「しつこい」の一言で一蹴され、その後ゼウスのお目付け役に見つかってしまい、彼は泣く泣く会議に強制連行されていった。そんな様子をケルベロスは困った顔で見ていたものの、タナトスは「馬鹿じゃないの?」と蹴落としていた。
今日も今日とて神界は平和である。
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