#0a『もう一度アージェンタイトで』壱
受け継いだものの重さを知れば、今は躊躇うこともできない。
たとえどんな悲鳴を聞いても、切り裂く手を止めてはいけない。
同じものだとわかっていても。同じものだとわかっているから。
託され、背負い、受け継ぎながら、同じだけの何かを裂いて、屍の山を一人で築く。
ただ一人生き残った理由はわからなくても、
誰に理解されずとも、後に誰もいないから、たった一人で祈り続ける。
他に救いの道があっても。
この道の半ばで死んだ、彼らの分まで歩いているから。
◆
「気を付けて下さい、チーフ。コーティングは有って無いようなものですから。そんな普通の手袋ごしじゃあ、弾殻に触れた途端、手首まで崩れますよ」
開かれたトランクケースの内側は、まるで宝石箱のように紅く豪(ごう)奢(しゃ)な布張りだった。そこに半ば埋まりながらズラリと並ぶ銃弾たちに手を伸ばすことをやめて――アルマンは息を呑む。
「……ふざけてるのか? そんな劇物、また混戦に持ち込まれたら使いようが」
「無いですね。だから弱装弾として再調製してあります。入荷が遅れたので、間に合ったのはこれだけですが」
「再調製? 入荷だ? オイこの弾……何処から調達しやがった」
「騎士団のひとつにツテがあります。そこに無理を言って、流してもらいました。どの貴族領の騎士団かは、訊かないでくれると助かります」
「……なるほど、有る所には有る訳だ。しかも、街で何が起きようと我関せずの引き籠もり共に、そのままじゃ危なっかしくて使えねえ高純度の銀の銃弾ときたもんだ。お似合いだよ、洒落が利いてやがる。くそったれが」
「そういう負い目が彼らにも有るから、調達できたんですよ。貴族領にだって、あの殺人鬼の噂は伝わっていますし……私たちに対処を押し付けることに、納得してもいないんですから」
アルマンをチーフと呼んだ若者は苦笑し、トランクの縁を指で小突いた。そして、すぐに笑みを止めて言葉を続ける。
「用意できた弱装弾は、短機関銃(サブマシンガン)の弾倉一つ分。私たちの防護服――クラス4のプロテクターを貫徹しない、ギリギリの威力です。この弾の持ち手が仲間に銃口を向けた場合、私たちは殺人鬼『ヴァニッシャー』の常套手段にまんまと填ったフリをして、裏をかくことが出来る」
「お前が使え、レオン。お前以外に居ない。今夜、いざという時は、そいつで俺ごと撃て」
「わかりました」
「他の奴にも、そう言っておけ。的が俺なら、弾がなんだろうと構わず撃て」
「……チーフ。逆のことを私が要求したら」
「命令だ。わかったとだけ言え」
「……本当に、自分勝手な人ですね。どうして皆、貴方についていくのか。私も含めてですが」
嘆息しつつ。レオンは明確な肯定も否定も語らなかったが、アルマンには充分だった。
「こっちの台詞だよ、こんな部下殺しに――くそったれが」
かつて、雪という現象があったという。空から降り注ぐ、柔らかで儚い氷の結晶だという。
――そんな妖精譚を、自分は何故知っているのだろうか?
どの本にも載っていなかったはずだ。創成期以前の文献は、平民街では手に入りようがない。
それでも、『ヴァニッシャー』追跡のために初めてコフィン・シティを出て、この廃墟の風景を一望した時、これが雪の降る様に似て非なることを、アルマンは自ずと悟ったのだった。
ここに降り注いでいるものは、雪ではなく砂塵だ。
雪と違って溶けもせず、土地を潤すこともなく、そして一時たりとも降りやまず。
ゆっくりと降り続く微細な砂の粒たちは、遙か彼方で竜巻にでも巻き上げられた石礫の成れの果てなのか、アルマンが暮らす街の土壌とは別の世界の匂いがした。
大量の砂に埋もれて、ビルの隙間にあるはずのアスファルトの地面はもう何処にも見当たらない。低所にある建物の一階二階は埋葬されて既に久しく、堆積に耐えかねた高架道路(ハイウェイ)は折れて砂場に突き刺さっている。
まれに大型トラックが斜めに半身を覗かせているのは、おおかた周期的に流砂でも起こっているせいなのだろう。それならば、廃ビル群の優に過半数が、斜めに傾き、横っ腹を何かに抉られたような傷をさらしているのも説明がつく。
砂に埋もれた無人街。あちこちで傾き、傷付き、倒壊している建造物。錆び付いた機械たち。
どちらを向いても横たわっている、慣れ親しんだ文明のカタチ。
時を越えて、まるで自分の街が滅んだ未来にでもやって来たような、空虚な現実感。
そんな光景が、数キロ先の巨大な壁まで続いている。
『通信指揮車より最終警告。……、残り……を切りました。作戦中止、……下さい。繰り返します、日の出まで残り二〇分を切りました。今作戦は失敗と判断。至急……』
『突入開始だ! レオンの班は四階へ上がれ!』
『了解。各員続け! 時間が無いぞ!』
砂の立ち込める夜空に、儚い電波が放たれては消えていく。
この街にはもう有り得ないはずの、砂風以外の、動くモノたち。砂を踏み荒らす意志の群れ。
光が瞬く。銃声の残響を、新たな銃声が掻き殺す。それはある廃建築――かつてはオフィス街の一角であったに違いない、一棟の廃ビルだけで始まった。
砂に埋もれた一階二階を闇に閉ざしたまま、まずは三階の一室に銃火が灯された。
三階が闇を取り戻す少し前に、四階が瞬き始める。そして四階が消灯する前に、最上階にあたる五階ホールの窓が最も強く照らされ、最も念入りな弾雨の洗礼を受けた。
銃口火光(マズルフラツシユ)に照らされた部屋は、階数に関わらず、どれも廃ビルの西側だった。
東側はとうに崩れ落ちており、誰が隠れ潜んでいる可能性も、もはや無かったためだ。
『室内状況を確認! 屍灰(しはい)、動く標的、共に確認できません!』
『五階奥の通路に屍灰らしきもの有り。二人分と見えますが、砂塵が混ざって判別不能です』
全ての階から銃火が絶えて、静寂が戻リ、そんな音声通信が飛び交い始めた。だが、
『馬鹿野郎、そんな真似をしてる場合か! 夜明けまでに帰投することだけ考えやがれ!』
飛び交う全ての報告を、アルマンの怒声が蹴散らした。
発砲による硝煙も、巻き上げられた砂塵も、そして発煙弾から放出されていた銀の粒子片(チャフ)までもが、打ち破られた窓や壁から夜風に導(ひ)かれて流出してゆく。
やがて霧散して、建物上階を包む靄が晴れた頃、穴だらけの壁の際に人影が立った。
屋内を駆け回る他の者たち同様、フルフェイスのヘルメットに防弾服という姿だが、ひときわ目立つ巨(きょ)躯(く)の男。薄明るく変わりつつある空を一(いち)瞥(べつ)し、襟元の通信スイッチを押す。
「こちらはアルマンだ。おいレオン! 四階(そっち)はどうなった、無事か!」
『……こちらレオン、第二班。戦果は不明、直ちに撤退します』
「よし! 狙撃班も応答しろ! おい、どうしたってんだ、聞こえてねえのか!」
ザザッ、ザッ、と、嫌なノイズがヘルメット内に広がった。夜空は静かだが、砂塵に含まれるなんらかの成分が、今までの作戦中にも幾度か通信を妨げてきた。ノイズはその兆しだ。
「ちっ、こんな時に……まあいい、指揮車に急ぐぞ! 破城槌(ラム)は捨てていけ!」
アルマンは拳銃をしまい、近付いてきていた部下を押しのけ、改めて壁に向き直った。
既に開いている風穴の隣を狙い、穴を広げるつもりで拳に力を込める。階段を降りていたら時間がかかりすぎるので、脱出は当初より、こうやって地上五階から直に飛び降りて済ます算段だった。ここから飛び降りる姿を見れば、三つの狙撃班も、撤退を理解することだろう。
朽ちた廃ビルとはいえ、狙うはまがりなりにも、銃弾の雨に打ち据えられてなお崩れることのなかったコンクリート建築の壁である。
しかしアルマンは当たり前のように、グローブに包んだ握り拳を振りかぶった。
腰をひねり、半身を反らし、骨格というバネを軋ませて、体内に反動を蓄積させる。
そして、直立姿勢とは違う、そんな傾いだ姿勢になった一瞬に、それは起こった。
一迅の風。
と共に、何かがアルマンの顔面に飛来した、気がした。
実際には顔面ではなく、ヘルメットの外装から更に数センチずれた空間へ。今まさに拳で砕こうとしていた壁が勝手に割れて、分厚い瓦礫の束となって殺到したのだった。
――勝手に割れて? 否。
外から入ってきた衝撃によって、壁は破壊されたのだ。
先ほどアルマンに押しのけられたまま、半身を窓穴にさらすように立っていた部下一名が、それに捕まった。強化プラスチックの外装と、銃弾や刃物の貫通を防ぐ強化鋼繊維の裏地が、発泡スチロールのハリボテのように易々と孔(あな)を穿(うが)たれる。
壁を砕いて屋外から飛来した銃弾は、そのまま部下の背中から抜け出でて、アルマンの認識外へと姿を消した。
防護服とヘルメットをまとった部下が、体を射抜かれた衝撃で体勢を崩す。
その体の身じろぎ、跳ねるような動きは、断末魔の悲鳴をあげようとしたのだろうか?
実際にはそれは敵わず、ほんの一瞬だけ、赤い血が見えた。
アルマンの間近で、その人影は砕かれた胸元からたちまち赤熱を始め、あっという間にその光が全身へ伝わる頃には、起点であった胸元がもう何処にも存在しなくなっていた。
その手にあった物――銀の弾倉を孕むサブマシンガンが、床に落ちて音を立てる。
防護服やヘルメットごと、アルマンの部下は無形の骸と化して、砂風と混ざり合う。
その光景を目の当たりにし、部下の名を叫びそうになったアルマンは、しかし踏み留まった。
肺に溜まった有りったけの空気を、そんなことに使うのではなく。
今の自分には、他の部下たちへ吼えるべき言葉がある――
「総員! 物陰に隠れろオッ!!」