#0b『もう一度アージェンタイトで』弐
「総員! 物陰に隠れろオッ!!」
そう言った頃には既に、別の一人のヘルメットが吹き飛んでいた。軽量合金でコーティングされたフルフェイス・ヘルメットが宙を舞い、想像したくもない中身を隙間からぶちまける。
ぱぁん、という破裂音と共に、灰が周囲へ散布された。弾ける瞬間だけ眩しく赤熱し、すぐ漆黒に染まって床に落ちる。それはヘルメットを被ったままでも細かな身動きだけで誰だか判別できるほど、親しく、付き合いの長い部下の――成れの果てだ。
「うわああああああああっ!」
間近で見た別の一人が悲鳴を上げる。そして、それはそのまま断末魔の吐息となった。直前の犠牲者の首から下が灰と化す間に、悲鳴は途絶えて、心臓を撃ち抜かれた穴から「屍灰(しはい)」の噴き出す音に取って代わられる。
それは『ヴァニッシャー』と戦い始めて以来、何度も見てきた光景の再現だった。
かくして、瞬く間に三人が消滅した。その犠牲を払ってやっと、他の者たちは部屋から逃れ、またはアルマン同様、無事な壁に隠れる。
(狙撃? 外から狙われただと?)そんなはずは無い。だが――
「こちらアルマン、最上階が西から狙撃されてる! 索敵急げ! B班(バイソン)、C班(コヨーテ)、D班(ディンゴ)、応答しやがれ! ……ああっ、くそ!」
通信が使えないというのに、風の吹く音は相変わらず聞こえなかった。建材の欠片が崩れる、パラパラという音。部下たちの体の震えと息遣い。そして自分の心臓の音。
全てが克明に聞こえるほどの、静寂が訪れる。
「……くそったれが。ここに逃げ込んだんじゃなかったのかよ。罠に填められたとでも……」
(チーフ、聞こえますか? 見えました。敵は時計塔です)
(痛っ――なんだ、レオンか? ……時計塔だと?)
頭の中、鈍痛と共に湧いて出た副官の声に顔をしかめる。
アルマンはしゃがんだまま、手頃な瓦礫を掴み、壁に開いた穴の中央めがけて放り投げた。それは驚くべき速さと正確さでたちまち狙撃されたが、その刹那を利用して、外の光景を垣間見ることができた。
すぐに頭を引っ込めて、心の中で呟いた。時計塔。確かにそれらしき建物はあった。
しかし。遠すぎる。
この廃ビルを含む半径数百メートルの作戦範囲内には、三つの高台があり、アルマンはその全てに狙撃班を配備させてあった。だが時計塔はそのどれよりも遠い。最低でも一・五キロ。
そんな遠くから、今の精度で狙い撃ちされているのか?
ここに逃げ込んだと見せかけて、『ヴァニッシャー』はそんな遠くに居るというのか?
信じがたい。とはいえ、レオンの言である。アルマンは覚悟を決めた。
この距離で反撃する手段は、アルマンたちには無い。接近する必要がある。
殺人鬼を斃(たお)すにしろ、この状況から仲間を逃がすにしろ、誰かがそれをせねばならない。
(……レオン、本当に、時計塔で間違いないんだな?)
(確かです。私の階は高架が射角を遮るので、狙われていません。こちらから仕掛けます)
「ふざけんな、くたばりてえのか!」
ドゴンッ。窓穴の真下、僅かに残った壁を貫いて、衝撃が再来した。
手首を吹き飛ばされた若い部下は痛みと混乱のあまり、アルマンが制止するより早く、その場を立ち上がってしまった。追撃によって数秒後、灰と化したことは言うまでもない。
「くそったれがっ……!」
(行きます! 第二班、足に自信のある者だけ私に続け!)
「待て! 俺が囮になる! てめえが続け!」
(無茶です! こちらが先行します、みんな行くぞ!)
俄(にわ)かに焦燥を帯びたレオンの声を聞きながら、アルマンは立ち上がり、壁に開いた穴めがけて全速で身を投げ出した。
足がかりにした廃ビルの壁が、アルマンの脚力とは違う衝撃によって破砕される。
おそるおそる顔を覗かせた獲物を仕留める算段で放たれた弾丸だろうか? 全く違う勢いで飛び出したアルマンは、同時に、今の自分とレオンのやりとりを五階の部下は聞いていなかったはずだ、という事実を検(あらた)めていた。
念話の扱える平民など、全く以て希有な存在である。かくいうアルマンも、自分にその適性があるということを、レオンと知り合ってから初めて知ったくらいだ。
とはいえ回線を開くことはできず、持ちかけられた念話に応じるのが関の山であるため、いぜれにせよレオン抜きでは用を為さない才能だったわけだが。
(頼むぞ……ついてこようとするんじゃねえぞ、野郎ども――)
一応、その心配はないはずだった。何故ならアルマンはこの時、自分に可能なめいっぱいの飛距離を狙ってビルを跳(と)び立ったからだ。
公安警察の武装隊所属とはいえ、平民の身で、咄嗟の跳躍から三百メートル超の飛距離を叩き出せるヴァンパイアなど、署の警官すべて掻き集めても、そう何人も居るものではない。
部下の追随を許さぬ初速と角度で、アルマンは既に廃ビルから飛び降りるのではなく、最上階の窓からほぼ真横へと、弓なりの弾道で飛び出していた。防護服を押し破りそうな砂風の圧を退けて、暴れる気流に聴覚を塞がれながら、急速に迫る着地点めがけて体勢を反転させる。
そして、跳び立った廃ビルからは遠く離れた別の廃ビルの側壁に、両の靴裏と片手で当たり前のように着地した。衝撃が砂の堆積を掃(はら)う。朽ちた側壁に半球状の轍(わだち)を刻み、パラパラと欠片を宙に振りまいて、それらを拾って逆巻く風の、彼岸へと――視線を馳せる。
目測一・三キロの距離にある朽ちた時計塔。肉眼で凝視する。
あの建物の何処かから銃弾は放たれていたのか――廃墟の街並みという遮蔽物を躱(かわ)してやってのけるからには、建物の根本、地表付近ということはあるまい。
上階には違いない。塔の頂の付近、円形の時計盤がびっしりと砂の被膜に覆われている様に焦点を合わせてから、アルマンの双眸(そうぼう)はふと、その直下の階へ視線を移す。
窓とは違う、ずっと広く四角い、壁の欠損。砂塵の洗礼を受けていない真っ暗な空間が覗く。
(バルコニー……か? あそこか――?)
他方、レオンたちの位置と動きは探すまでもなく感じ取れた。ヘルメットの奥で、アルマンの赤い瞳が白眼の上をスライドすると、予期していた通りの方角でぴたりと味方を探し当てる。
眼下の街並みを潜る一団。垣間見えた人影は五人だが、実際は六人だとハッキリわかる。
廃ビルから北西へ飛び出したアルマンに対し、レオンらの採(と)った針路は南西。アルマンに比べるとだいぶ小刻みに跳躍を繰り返し、地を這うように廃建築の隙間を駆けて時計塔を目指しているらしかった。
レオンらしい、堅実な移動方法だ。だが、時計塔に接近すれば途中、遮蔽物のない射界に入らざるをえない。その時、一人の犠牲者も出さずに済むという保証は無い。
(俺が照準を引きつけりゃいい!)
コンクリートの側壁で膝を屈め、アルマンはその足場を砕きながら、第二の跳躍をした。
身を隠して進むなど論外。飛距離の荒稼ぎも兼ねて、高々度めがけて斜め上に我が身を撃ち出す。たかだか平民に過ぎないヴァンパイアを阻もうとする重力の風を貫ききって――自由落下がようやく始まった頃、アルマンはそのスピードに歯噛みする。
遅い。まだか。あの副官はアルマンの思考ぐらいお見通しだ。馬鹿な上官が無謀な賭けを始める前に時計塔へ辿り着くべく、全速で急行していることは間違いない。
時計塔に潜む狙撃手がどれだけ腕に覚えがあるとはいえ、弾丸の速さで数百メートルを跳躍中の移動標的(アルマン)を、いくらなんでも狙いはすまい。
囮として機能するためには、早々に見晴らしの良い場所に着地し、レオンが時計塔に取り付くまでの間、その場所に陣取って的になり続ける必要があるのだ。
そう思って次の足場に辿り着くことだけを考えると、重力が次第に体を絡め取っていく自然の加速度すら遅く思えた。こんな風に感じるのは生まれて初めてのことだったが――
(ん……? なんだ、この違和感は?)
廃ビルから外へ飛び出した。時計塔めがけて廃墟を駆けること数秒、時計塔までの距離は残り約七〇〇メートル。他に動きを感じられる仲間はレオンら別働隊の六名のみ。
足りない、とアルマンは疑問を抱いた。『ヴァニッシャー』の気配が相変わらず時計塔のどの層からも察知できないのはもはや当然として、あと感じられる気配が遙か後方に置き去りにしてきた部下たちだけだという事実にまとわりつく、この違和感はなんなのか。
居るはずのものが居ない。感じられるはずの気配が何処からも感じられない。
その違和感の正体が、廃ビルの周囲三ヶ所に布陣させていた狙撃班らの不在であると。今のアルマンには思い当たるだけの余裕が無く、気付いて動揺できるような暇(いとま)もまた無く。
かつては立体駐車場であったと思(おぼ)しき構造物の屋上へ盛大に着地した頃には、アルマンはその疑問をすっかり忘れ去っていた。ギザギザに割れた足場に佇立(ちよりつ)し、即座にレオンたちの位置を再確認するや否や、全神経を前方五〇〇メートルに聳(そび)える大建築へ対峙させる。
(さあ来やがれ! 俺はここに――)
狙い澄ました施条の一射が、既にアルマンの眼前に在った。ほとんど偶然の所作で身をねじり、すんでの所で左に躱すと、すかさず次弾が飛来する。
何人もの部下を屍灰に変えて葬った精密射撃とはいえ、射手の方角と、間違いなく数秒のうちに自分めがけて撃ってくるという事実さえわかっていれば、この距離を隔てて真っ直ぐ迫る弾道から身を守ることは、アルマンにとって決して無謀な賭けではない。
問題は、射手の位置が大まかにしか、わかっていないことだった。特定できないままには、たとえレオンより先に時計塔へ辿り着けたとしても、何処へ殴り込めばいいか、わからない。
二発目、三発目から、アルマンは逃げるので精一杯だった。廃車どころではない砂まみれの屑鉄の裏へ転がり込み、ようやく一息つきかけるが、これ以上ない間の悪さだった。
視覚によらず、レオンの軌道を察知する。安全地帯を抜ける頃合いだ。このタイミングで囮に成ってみせなければ意味がない。全くの無駄どころか、アルマンはわざわざ時計塔に迫る足を止めてまで、こんな所で踊っているのだ。身を隠して休む暇など、無い……!
「うおおおおおおおおっ!」
こんな無茶がバレたら、後で部下全員にタコ殴りに遭うのではないか。それがどうした、という自棄(ヤケ)た心境で、アルマンは立ち上がり、接続具を無視してヘルメットをぶっち脱ぐ。
三発も引きつけておいて、結局、射手の位置を特定できていなかった。要は、そういう隙をこちらに与えまいという意図で敵は連射してきたのだろうが、思う壷では分が悪すぎる。
なら、少しでも分の良い山勘に、大枚を注ぎ込んだ方がマシだ!
「喰・ら・い、やが、れえええええ!!」
先刻、目に留めた場所。時計塔の上層、時計盤の直下に見かけた真っ暗なバルコニー。
そこへめがけ、アルマンは有りっ丈の力を込めてヘルメットを「投球」した。
鉄球ほどではないが、それに比べて特別軽いというわけでもない半球型の機械の塊。
それが自転しながら五百メートルすっ飛ぶ様を、投げた当人が、異様な光景だと思った。
奇跡的に横風もなく、放物線というよりほとんど直線で重力に喧嘩を売るその丸いシルエットは、どうやら莫迦莫迦しいまでの的確さで目的の場所を目指すつもりらしかった。
砲弾よろしく、『ヴァニッシャー』が居るという保証のない空間へレオンたちより先に殴り込んで、そいつは果たしてどんな衝撃を顕現するのか――いや、そもそもそんな程度の結果で済むのか。老朽化した建物の支柱ぐらいは破砕しかねない運動エネルギーの接近を、
銃撃音が拒絶した。
(! 今のは……)その時、アルマンの知覚が捉えた光明が四つあった。
ヘルメットが割れて横に弾かれる、甲高い弾着の石火。
ようやく微かに聞き取れた、前方からの発砲音。
そして――時計塔の上階、時計盤の真下に開かれた闇の奥で瞬いた、一瞬の銃火の光と。
その光が仄かに浮かび上がせた人影。黒いフード姿で、銃と共に俯(うつ)臥(ぶ)せている何者かの姿。
「……其(そ)ぉ処(こ)ぉぉかぁああああああ!!」
飛来する銃弾を、もはや難なく去(い)なしながらアルマンは吼(ほ)えた。同時に、頭の中で声が響く。
(チーフもう充分です! あとは我々の突入まで守りに徹してください。狙わせすぎです!)
(ふざけんな、お前らが飛び込む瞬間に的を演(や)れなきゃ意味がねえ! てめえは早く――)
(到達しました)
(何?)