1.星無き街の星
この街の空に、星は無い。月すらない。それでもこの街は明るく輝く。ネオンという、月光とは相反する物によって。この街のよるは……人間の手によって動かされている。
世には2種類の人間がいることは周知の事実である。いい人間と悪い人間。しかし、近年、『魔術』という特殊能力を扱う人類、『魔術師』の出現によって、その種類は増加することとなる。そう、いい魔術師、悪い魔術師、そして、人間か魔術師かもわからない者の5種類の人間がこの世にはいる。それを見極めるのは至難の技。そう、今宵も人間の姿をした魔術師が闇夜に紛れている。――特にこの街ではそうだった。
赤、橙、黄、白と様々な彩を見せるこの街の中を駆ける人がいる。いい人間と悪い人間。いい人間は取られた荷物を必死に追いかけ、無関心な通行人にぶつかる旅に頭を下げる。無関心な者たちは、少しむっとしても、興味を一切示さず、何事もなかったかのように自分の足取りにまた集中しなおす。それに対し悪い人間は、そんな有象無象同然の者共に目もくれず、強奪物をまるで自分のものであったかのように大切そうに両手に抱え走る。
街に張り巡らされたタイルと靴底がかちあう音が響く中で、いい人間と悪い人間の距離は広がるばかりで縮まらない。通行人はいい人間の叫び声に耳も貸さず、一瞥すらせず、ただ彼女とは別の方向を向いて同じペース、同じ歩幅でぶつかることなく歩いていく。悪い人間はそんな歩行のプロたちを巧みにかわしながら歩幅を広げ、曲がり角を曲がってネオンから離れた闇の中へと消えようとしていた。
いい人間の足は止まり、息を切らす。もう既に諦めていた。 そんなとき、一際輝くネオンのような灯りが彼女の視界に入る。
「堂々盗みを働くとは潔いバカだね」
その突然の光と声に後退りした悪い人間は、虹彩の筋肉をめいっぱい使って目を細める。
「チッ……」悪い人間はそう舌打ちだけすると、顔を隠すためにかぶっていたニット帽を更に深く被って踵を返し、再び大通りに入って反対側の小道から抜け出そうとしていた。しかし、背中側にいたはずの一人の女によってその足は止められる。
紺色のスカートから覗かせる白い足が、彼女自身が持っていたライトの白い光に映える。その足が悪い人間の腰めがけて振り抜かれ、捉える。そして、関節を鳴らした時のような小気味の良い音が彼の腰から鳴る。悪い人間は腰に受けた強い衝撃に耐えられず、足がもつれ、膝から崩れ落ち、硬めの泥一つついていないタイルに顔を打ち付け倒れこむ。すぐに顔だけ起こす悪い人間の鼻は少しばかり出血しており、真っ白なタイルに赤色を施していた。
「ハイ身分証明できるもの持っていますかー?」
先程、悪い人間である倒れこむ男に蹴りを入れた女――正確には少女であるが、彼女は首に巻いたマフラーを首の後ろ側に巻き上げて男のポケットの中を探る。
「あった。庄野郁斗(しょうの いくと)さんですね。はい行きますよショーノさん」
目がうつろな庄野郁斗の首根っこを強引に掴み、起き上がらせると、新調したばかりであることが容易にわかる革靴をタイル目に沿って進めていく少女。彼女はそのまま小走りで駆けよるいい人間である女に荷物を渡す。女は両手を伸ばして荷物を受け取ると、その荷物を両手で抱きかかえ胸に寄せる。
「一応被害受けたんでご迷惑でなければお伺いしたいことがあるので署までご同行いただきたいのですが……」
優しく語りかける少女を見て、女は安心したように頷く。
「あ、あと、ご迷惑でなければお名前と年齢をお伺いしたいのですが……」
少女は忘れていたかのように申し訳程度にお願いする。
「春宮留美(はるみや るみ)、26歳です」彼女はすんなりと答えた。彼女がほっとして吐いた息は煙のように白くなっておりその光景を見て少女も息を吐いてみる。
「そういえば冬でしたね」
初冬の夜の街、少し離れたネオンに照らされる少女は、隣の女に優しく語りかける。
「私の名前は五井星乃(ごい ほしの)です。こんなんですけど、一応列記とした警察官なんですよ!」
警察手帳と昨年まで使っていたのであろう学校の学生証を見せた。学生証の写真と登録期日を見て春宮留美は驚く。
「……ま、まだ18歳なんですか!?」
五井星乃――弱冠18歳にして警察官になった非凡の超エリート婦警である。しかし、彼女はこの春宮留美との出会いをきっかけに、非平凡な日常を更に非平凡で非現実的なものへとしていくのだった。