2.血まみれの手
驚く女性。彼女の名前は春宮留美。彼女が驚いた理由は先程助けてくれた女性――警察官の少女がまだ18歳であるからだ。普通、未成年の警察官などいない。ましてや先ほどのように庄野郁斗と言う犯罪者と堂々と戦い、蹴り一発で男性を倒してしまうのだからとても信じがたい。春宮は先程までその庄野という男に荷物を盗られる災難を浴びていた。
その災難から彼女を救い出したのは、黒い髪をショートヘアに切りそろえた少女、五井星乃というその18歳の警察官なのだ。
「ええ、まあ。特例入社みたいなやつですか? えっと……」
少し困った表情の少女を見て春宮は笑った。その様子を見て五井も安堵の表情を見せた。
「そういえば、その荷物、普通に財布とか入ってるにしては、あまりにも執着しすぎでは……?」
そう言ってすぐに、彼女は慌てて付け加えた。
「あああ、すみません! 今の気にしないでください!! すみません無礼を!!」謝罪する五井。春宮は大したことないと言って両掌を前にだして振る。
「全然気にしないでください……別に、刑事さんにならこれくらい話したってバチ当たりませんし……」
春宮は語彙の顔を一瞥して口を開いた。
「実はこの中には……」
刹那、物陰から黒い影を伴った4人の男が現れる。姿ははっきり見えはしないものの、心が無い機械のように単調な動きをしながらこちらに近づいてくるのがすぐにわかった。
「春宮さん……隠れて」
五井は自分の背中の裏に春宮を潜らせる。左足を半歩下げて臨戦態勢を取る。
低いうめき声。並んだ4人のうちの一人が飛びかかってくる。五井は目を見開いた。
「はっ!」五井の蹴りが男の大腿にヒットする。男は大腿を抑えてうずくまる。その男の頭上から二人の男が飛びかかって襲ってくる。
「はっ、はっ!!」
再び五井が男二人を蹴り倒す。だが、その隙に残った一人の男が、春宮が盗られないようにと大事に抱えていた荷物を強奪し、ネオンの光る町とは反対側の路地裏の闇へと姿を消していった。
「ま、待て!」五井が彼を追おうと走り出す。しかし、倒すたはずの男三人が覆いかぶさってきて身動きを取れなくしてきた。これでは男をおうことはできない。そして、春宮に至っては、膝から下をガクガクさせて動けなかった。
まずい、このままじゃ――この言葉が五井の脳裏を掠めたとき、闇の奥で隙間風のような薄気味悪い音が聞こえた。ひと呼吸置いて肉が裂ける音が聞こえる。あまりの音に思わず目を瞑った。そして、目を開くと、闇の方から一人、姿を現す一人の人間がそこにはいた。
「だ、誰ですか……?」声を小刻みに震わせて問う五井。向かいに立つ何者かは両手を振り上げる。目の前にいるのがスーツに身を包む足の長い高身長な男だということはわかったが、振り上げた両手に目がいくとともに、顔が確認できない。振り上げた手を振り下ろす。瞬間、先程の薄気味悪い音が再び鳴った。再び目を瞑る五井。目を開けば、自分の足に絡みつく男たちが血まみれで倒れていた。
この光景が余計に五井と春宮の不安を煽った。先程から動けなくなっていた春宮はもちろん、先程まで男たちを蹴り倒していた五井までも邪魔はいなくなったのにも関わらず、起き上がれなかった。
(足が震えてる……)
近づく影からじっと目をそらさずに見据えると、そこにはやはり、予想通り、高身長の男が立っている。
「……この荷物の持ち主は誰だ?」
男の低い声。殺されると思っていた彼女たちは、震える足を抑えながら立ち上がった。
「え、えっと……」
「安心してくれ、俺は怪しい奴じゃない」そう言って血まみれの手で荷物のカバンを春宮に手渡すスーツの男。その姿を怪しくないとはとても思えない五井なのであった。
強奪した荷物を取り返したであろうスーツの男だが、如何せん怪しいその立ち姿に、春宮留美も疑いと不安感を払拭できてはいない。「怪しい奴じゃない」という言葉がここまで信じられないことがあったであろうか。
「ああ、すまない。血まみれの手でカバンを手渡されたら誰だって嫌だったな」
男はそう言ってハンカチで手を拭い、別のハンカチでカバンを拭った。その様子を見て五井はすかさず言った。
「いや、そ、そーいうことじゃないと思います! あ、怪しすぎますから!!」
「そんなことか……つまり名乗れと言うことか?」
虚勢を張って大声を出す五井の言葉を冷静に返す男。路地裏のビルの隙間に木霊する五井の声が虚しさを帯びる。
「俺は警視庁第四支部公安課特殊捜査係……神風隼人(かみかぜ はやと)」
彼は少しシワのついたジャケットを正して背筋を伸ばした。
「神風さん……あの、ありがとうございます」
春宮は適当に礼を言うとその場から立ち去ろうと走って行く。五井は後を追う。
「あ、まだ色々と聞き足りないことがッ!」
「俺からも聞きたいことがある。お前何者だ」
語彙の背中に向かって神風が問う。五井が後ろを振り返れば、何かを要求するかのような目を見せていた。
「は、はあ? それはこっちのセリフです!」
「何故あんなやつらと戦っていたんだ。ああいう敵はうちの管轄で一般の所轄が手を出していい案件ではない」
神風の言っていることがよくわからなかったものの、自分がどうやら危ない何かと戦っていたということだけは察しが簡単についた。
「え……というかそもそもあの人ら何なんですか?」
「話すと長くなるんだが、魔術師については知っているか?」
「ええ、そりゃもちろん」
「まあ、端的にいえばあいつらは魔術師に操られた人形同然の何かってことだ。そんなわけで、魔術師に間接的ではあるが攻撃を受けたお前には魔創ができているはず」
この世には魔術師という特殊能力が使える人間が存在する。魔術師は主に二種類に分けられる。先天性魔術師と後天性魔術師。
前者は出生前に脳に何らかの以上が起きることで特殊能力を得ることができるというもので、特殊能力による他との異常性や独立性などが、魔術師当人の人格形成に悪影響を与え、精神異常者となることが多い。そもそも『魔術の発現』が偶発的脳内疾患であるため、脳に異常をきたしているという可能性もあるらしいのだ。現在の犯罪の7割が先天性魔術師による特殊犯罪である。
対しての後天性魔術師は、先天性後天性に関わらず、魔術師からの特殊能力による攻撃を受け、傷及び影響を受けることで『魔創』なるものができる。これにより、魔術師としての特殊能力、『魔術』が使えるようになるのだ。
魔術師の扱う魔術にも様々な種類がある。火を扱う魔術、水を扱う魔術など古典的な魔術から、他人を操る、金属を生成する、周囲を調査するなどといった、高度な魔術まである。およそ30種に満たないくらいのこれらの魔術を『一般魔術』と呼ぶ。ほかにも、限られた血族しか扱うことのできない『古術』。さらには、限られた個人しか扱うことのできない『禁術』という魔術がある。
「ま、魔創ですか……?」イマイチ話についていけていない五井。神風は五井の足を見た。
「魔創……無いな」
「え?」
五井が困惑している間にも、神風は小さめのスマートフォンを取り出し、電話をかける。
「あ、もしもし、はい。神風です。ええ、最近ここらでやりたい放題やってる操魔術師の操っている者を排除しました。それで、ちょっと気になる人物を……」
上司と思われる人間と電話越しに話す神風を横目にちらちらと見る五井。
「はい、わかりました、今すぐ向かいます」
スマートフォンの通話ボタンを切ると、五井を見下ろして神風が言った。
「今から来い」
神風が無理やり五井の手を引く。あたふたする五井のことなどお構いなしに、神風はネオン街の更に向こうのビル群へと走っていった。