第十三話 瑞樹先輩
放課後。
「達也、準備はいいか?」
「え? 負けたよね? 啓一負けたよね?」
「達也、準備はいいか?」
「ちょっとちょっと」
「なんだよ、親友の晴れ舞台を見守ろうってのに」
「先輩を呼び出したのは啓一でしょ!?」
「お前はとっとと教室に帰ったな」
「いる意味なかったもん」
「あ、俺お前が呼び出したことにしてあるから」
「は!? え、どういうこと」
「まあまあ。恵理ー」
「はいはーい」
「恵理、瑞樹先輩が怖いんじゃないの?」
「この紙見たら恐怖心なんて吹っ飛んだわよ」
「なにそれ」
実は俺も、なんで達也が瑞樹先輩に効果があるのか知らされていない。あの紙に何か効果があるようなのは分かる。
「恵理、どういうことなの?」
「それ見れば一発よ」
「達也。見せてくれよ」
「う、うん」
「どうした、浮かない顔して」
「知らなかった……。こんなことになってるなんて」
「ん?」
脱力している達也から、その紙を勝手に取っていく。
タイトルらしき文字がデカデカと印刷されていた。冬木達也ファンクラブ会員表……?
「あーそういえばこんなのあったな……って結構いるなオイ」
いや、てか多すぎね? これで二クラスはできるぞ。
「三十八番目の名前見てごらん」
「さんじゅ……あ」
春野瑞樹。先輩の名前だ。
「って事はつまり」
「瑞樹先輩は達也君のファン。それもファンクラブの会員によるところ、恋愛感情に近いものを持っているって」
「ウソ!?」
「聴いた話だから確証がないけど、こればっかりは本人じゃないとわからないし」
「バイト先が同じって事くらいしか私は知らないわよ」
「確かに同じだけど」
「掛け持ちしているバイトも同じなんでしょ」
「ファミレスと同じ時期から働き始めて、新聞配達は僕の方が後に入った」
「……先輩狙いなの?」
「違うよ!」
「でもファミレスのシフト、被ってない?」
「え、なんで知ってるの?」
「私の情報網と女の勘を舐めるな」
「先輩とはバイト終わる時間がほとんど一緒だけど」
「新聞配達のバイトで会ってさ、偶然ですねって話を前にしたよ?」
「この子、鈍いわね」
「だから僕の方が後だってば!」」
「でも、お前なら先輩の怒りを買わずに話せるだろ。俺は初対面だし」
「私は顔見ただけで睨まれるし」
「ローブの絵描きは先輩にとって今じゃ禁句だよ? バイトで気まずくのは僕なんだから……」
「頼む、Aランチ奢るから!」
「啓一、それで僕が動くと思う?」
「……ダメか?」
「ダメだよ。デザート付きでも動かない」
「えー」
「聞き出し方はお前に任せるから」
「任せるって、あのさあ」
「今日は普通に話がしたかったとか、適当にさ」
「……それでいいの? もしかしたら聞かないかもよ」
「それならお前が先輩を気遣ったってことでいいよ。俺らは影から見てる」
「わかった。できれば、これ一回きりにしたいと思ってるからね?」
これでローブの絵描きの事が詳しくわかればいいんだけど。
「頼む」
達也を残し、俺達は屋上で唯一隠れられそうな場所を探した。
「隠れるぞ」
近くには貯水タンクがあった。まず俺が上り、その後恵理を引っ張り上げる。
「よいしょっと……!」
「あっ、来たぞ!」
慌てて身を屈める俺と恵理。
「なんか告白現場覗いてる気分みたいで気が引けるな」
「た、達也君……?」
「瑞樹先輩の声だ」
「シッ……!」
「す、すいません。急に呼び出して」
「何か用、かな?」
「えっと、バイトの事で」
「ん、バイト先ですればいいんじゃ……?」
「いやー、えっと」
「少し話しづらいことなんですよ」
「なにかな」
「はい。川辺のコース、変わりましょうか?」
「え」
「ファミレスだと掛け持ちの事がバレちゃいますし」
「新聞配達の時には話す暇がありませんから」
「でも、なんでそんな事を?」
「例の噂で、あまり通りたくないんじゃないかなと思ったんで」
おお、上手い!
「……ありがと、気遣ってくれて」
「でも、本当にいいの? 怖くないのかな、ローブの絵描き」
「実際見ましたけど、特にそう思ったことはないです」
「え、達也君も見たの?」
「一度、川辺を通った時に」
「そうなんだ。冗談じゃなくて本当に見たんだよね?」
「嘘は言いませんって」
これでいいんでしょ、と達也はこちらに視線を送ってきた。
なんか気が引けるが、仕方ない。
「ねぇ達也君。今度は私のは話、聞いてもらっていい?」
「は、はい」
「うん。私、美大に行きたかったんだ。親には反対されちゃったけどね」
「それで最初に指摘されたお金の問題を解消しようと、バイトやろうかなって思ったの。それが一年前。達也君に会ったのもその時だったよね」
「はい」
「お金を稼いで、入学金を自分で出して。授業料も少しずつ親に渡すつもりだった……」
「でも、それができなくなっちゃった」
「お父さんが倒れたの。生活の余裕がなくなっちゃったんだ」
「私は美大に行くのを諦めて、バイトを増やす事にした。自分の食費を稼ぐようにしたのよ」
「次第に、部活は行かなくなった」
「そうだったんですか」
「でも達也君はすごいね。私と同じバイトしてるのに、部活もちゃんとしてるじゃない」
「好きでやってますし、新聞配達でも走ってますから」
「ふふ、好きだから……か」
「え、おかしいですか?」
「ううん。君のファンクラブがあるの、知ってるよね」
「は、はい」
「最初は同じバイトの後輩だったんだけど……くす、なんでかな」
「頑張ってる姿がかわいくてさ」
「せ、先輩」
「ごめんごめん。それは最初だけだったよ」
「最初だけってなんですか?!」
「一年前から、バイト掛け持ちしてたよね」
「新聞配達は最近始めましたけど……」
「今バイトはいくつやってる?」
「二つですよ。ファミレスと新聞配達です。一つは最近やめたので」
「やっぱり、すごいじゃん」
「私にはそれが無理だからさ」
「アルバイトと陸上、両立させている君の姿はすごくかっこいいと思うよ?」
「そそそ、そ、そんなこと!」
明らかに今、達也は動揺した。
いつもいつも容姿のせいで言われないその言葉に、ときめきのようなものを感じたのか、顔が赤くなったように見える。
「ないって? でも、私まで倒れちゃったらお母さんが悲しむもん。無理はできない。画家になる夢は諦めようって思った。でも、私はそこまで素直じゃなかったの」
「どういうことですか?」
「絵が描きたい。思う存分」
「そんな事を考えながらバイトをするようになってね。そしたら、ローブの絵描きを見たのよ」
「白紙だったキャンパスを見たときは、何が何だかわからなかった」
「筆を動かしていたはずなのに、どうしてその絵は白紙なんだろうって」
「なんで白紙を見せるために手招きをしたんだろうって……」
「それ以来、絵描きの姿と白紙のキャンパスが頭から離れなくなった」
「絵が描きたい。バイトしないと。夢を叶えたい。これ、やっぱりワガママなんだよね」
「そんなことないと、思います」
「くす、ありがと」
自信なさげに言う達也の言葉を、瑞樹先輩は笑顔で受け取った。
「それで、暗くなっている私に、お父さんがこんな事を言ったの」
「やりたいようにやれ、って。倒れる前は反対してたのにね」
「それができないから苦労してるって言うのにね」
「…………」
「私はこのままバイトを続けるつもり」
「え、それでいいんですか?」
「うん。奨学金とバイトの貯金で美大に行くもん! やりたいようにするわよ、その為なら一生を無駄にしたっていい」
(瑞樹先輩、チョーかっこいい……)
(おい屈め、頭出てるぞ)
身を乗り出しそうになった恵理を制止する。
「でね、そう決意した直後にまたあの絵描きを見たのよ」
「シチュエーションはまったく同じ川辺。私はバイクを止め、絵描きに声をかけた」
「私に気付いて、ローブの絵描きは手招きをしてくる」
「先輩は、それからどうしたんですか? 手招きに応じたんですか」
「バイクを降りて、その絵描きに駆け寄ったよ」
「そうしたかったのよ、なんとなく」
「不思議と怖くはなかったかな」
「見テ。絵描きはそう言うの」
「恐る恐る、キャンパスを覗き込んだ私は落胆した」
「白紙。この人の描く絵はどんな絵なんだろうって思った」
「絵描きは、見エル? って聞いて来るのよ」
「見たい。そう思って、目を瞑った」
「見エルヨ……そんな言葉が聞こえて、私は瞼を開いた。それで、こう思ったのよ」
「私が見ようとしなかったんじゃなかったのかなって」
「さてさて。この先は、信じてもらえるかわからないから、この話は今まで誰にもしてないの」
「僕は信じます」
「わかった。えっとね」
「絵が、キャンパスに浮かび上がってきたのよ
「浮かび上がってきたのは、どんな絵だったんですか?」
「それがよく思い出せないの。すごく印象に残った絵のはずなのに。そして、絵描きは私の前から姿を消した」
「消した?」
「煙見たいに、フワッとね。あ、ごご、ごめんね? こんな変な話しちゃって」
「いえ。こんな話事体、不思議な話ですし」
「そうよね。達也君って絵を描いてたの?」
「え、なんで知ってるいんですか?」
「ローブの絵描きを見るのは、決まって絵をある程度描いていた人達だからよ。推測だけどね。いつまで描いてた?」
「三年くらい前です。たまに付き合いで描く程度でしたから、下手でしたけど」
「そう。心のどこかで、また描きたいと思ってるんじゃない?」
「どうでしょう。絵を見せたいって人は……もういないんで」
達也……。
あいつも絵描くことがあったのか。見せたい人って言うのは、美樹の事だろう。
「そっ、か。ごめんね」
「いえ」
「ほら。バイト行こう?」
「あ、はい。えと、僕忘れものがあるんで」
「じゃ、校門で待ってるからさ、その……一緒に行かない?」
「は、はい!」
「うん! じゃあね」
瑞樹先輩が屋上から出るのを確認し、頭を上げる。
「達也」
「ふう……」
「お疲れ様ー」
「結構話してもらえたね」
「一番驚いたのは、お前が絵を描いてたって事だけど」
「別に隠してた訳じゃないよ。それに絵を描いていると、あの約束を思い出しちゃうから」
「あの約束?」
「啓一が思い出したら話す」
思い出したら? 俺も知っている事なのか?
「二人して何の話してんの。それよりさ、ローブの絵描きの話よ」
「最初から最後まで聞いたけど、信じられない話よね」
「僕は嘘じゃないと思う」
「そう?」
「うん。でもいろいろわかったし、今日はもう帰ろう? 僕もバイトだし」
「わかった」
「瑞樹先輩によろしくねー?」
「か、からかわないでよ!」
「どうせならキスまで行けよ」
「バイトだから! じゃ、じゃあね!」
達也は頬を赤らめ、身を翻して屋上から去って行った。
「さてと啓一君」
「なんだ」
「今の話、どう思う?」
「白紙のキャンパスに浮かんだ絵。消えた絵描き、か?」
「それもだけど、目撃者全員が絵を描いていたって奴。佐々木先輩は違うかな、美術部じゃないし。瑞樹先輩の推測は外れなのかな」
「わからん。俺達も帰ろう。なんかわかったら電話してくれ」
「じゃ、私は部室に寄って行くかな」
「俺は帰る」
「あいあーい」