第十四話 折れた枝に留まる鳥

「啓一君、ちょっといい?」

 夕食の買い物を済ませた帰り道、とある人に呼び止められた。

「美佐枝さん」

 美鳥のお母さんの美佐枝さんだ。

「あら、お買いものだったの」
「一人暮らしですから」
「もう。言ってくれれば車出したのに」
「悪いですよ」
「遠慮しなくてもいいのよ。あ、それで、美鳥の事なんだけど」
「あ……はい」
「退部届、どうしようかと思ってね」
「美鳥はやめたいって言っているんですか?」
「でも、こんなの急すぎるでしょ?」
「はい。美鳥は何も言わないんですよね」
「ええ。それにあの子、今更美樹に会いたいなんて」
「美樹に?」
「あ、ちょっ、今のは忘れてっ」
「覚えています! 美樹のこと! 思い出したのは最近ですけど」
「そ、そうなの?」
「まだ……いた、と言う事ぐらいしか思い出せていないんです」
「もういないって事は、覚えているんだね」
「はい」
「美鳥は、それをわかっていて言っているのかしら」
「…………」
「ねぇ、啓一君。おつかい頼んでいいかな?」
「お使いですか?」
「お掃除なんだけど」
「いいですよ」
「本当は美鳥にやってもらう予定だったんだけど」

 美佐枝さんはエプロンのポケットからメモ帳とペンを取り出し、何かを走り書きし、それを俺に渡して来た。
 てっきり部屋の掃除かと思ったんだが、違ったらしい。

「え」

 地図に記された場所。そこは俺が記憶を失って初めて行く場所だ。

「墓地?」
「秋葉家の墓。そこに美樹がいるから、今まで忘れていた事、謝ってきなさい」
「美佐枝さん」
「ね?」
「ありがとうございます。それじゃ、行って来ます」
「道具はあとで取りに来てね」
「はい」

 俺はお辞儀をして、荷物を置く為に自宅へと走りだした。

「暗くなる前に帰ってきてねー?」

 温かい。美佐枝さんの言葉を素直にそう感じた。

「誰もいない、か」

 自転車を十分ほど走らせた場所にあるこの墓地は、向かうに連れて人影が減っていった。
 お盆なら別なんだろうけど、平日の墓地なんて誰いない。
 渡されたメモに従って、秋葉家の墓を探し始める。割と奥の方のようだ。
 秋葉家の墓と書かれた墓石を見つけた、特に変わった様子はない。

「さてと」

 運んできた水を柄杓ですくい、墓石の上からゆっくりと垂らした。

「結構手入れされてるな」

 掃除して来いとは言われたが、墓石の方は丁寧に磨かれているようだった。
 枯れた花を美佐枝さんからもらったものに変え、線香の燃えかすなどを取り除く。
 その後は周囲にある落ち葉や枯れ枝を箒で集め、掃き集める。
 スポンジを使った墓石洗いも含めても、二十分とかからなかった。

「これでよし、かな」

 道具を置き、秋葉家の墓に向き直る。墓参りに来なくて、美樹は怒っていただろうか?
 一礼し、両の掌を合わせる。不思議だ、落ち着いて来る。

「また来ます」

 他人の家ではあるものの、俺はまたここに来たいと思った。
 でも俺は、まだ美樹の事をすべて思い出した訳じゃない。美鳥は相変わらず家に籠もっているし、今はゆっくりしていられない。
 次に来るのは記憶が戻った時だ。

「でも美樹、俺どうしたらいいんだ?」

 記憶は戻らない。
 それどころか、美鳥は家に籠もってしまった。俺にできる事って、何かないのか。

「ん……?」

 視界の端、墓地の入口に何か動いた気がした。

「ローブの絵描きッ!」

 遠目では黄色い、ハデな服装に見える。見間違えるはずがなかった。俺は迷わず駆け出した。

「おい、待てっ!」

 道具を回収して入口へ駆け出すと共に、ローブの絵描きに向かって声を張り上げる。
 が、ローブの絵描きは、さらに道の先で手招きをしていた。

「着いて来いって事か」

 自転車に乗り込み、後を追った。
 曲がり角。人気のない路地。住宅街。
 公園、そして川辺。

「ハァ……ハァ……」
 自転車で懸命に追いかけているにもかかわらず、ローブの絵描きにはなぜか追いつけない。
 常に一定以上の距離を置かれているようだ。
 永遠に縮まらないその距離を必死にペダルを漕いで埋めようとする。このまま追いつけないんじゃないかと言う錯覚を覚えたところで、俺はローブ姿を川辺で見失う。どこにいったんだ?
 辺りを見渡す。すると、イーゼルを立て、座り込んでいたローブの絵描きが視界に入った。

「ここまで連れてきておいて……」

 呼んだのならどこかで待っているか、またどこかで手招きでもしてくれればいいのに。

 肩で息をする俺の気配に気づいたのか、絵を描いていたローブの絵描きは筆を起き、こちらを振り向いた。
 左手を上げ、ゆっくりと下ろす。手招きの動作。
 前と同じで、俺に絵を見せようと言うんだろうか。墓地からここまで自転車を飛ばして来たというのに、それはあんまりじゃないか。
 その場に自転車を止め、坂の下の絵描きの所まで駆け足。

「おい、わざわざ呼び出しといて、またそれかよ!」

 近づいて放った俺の第一声に、ローブの絵描きは首を傾げた。
 え? 違うのか?

「お前じゃない、のか? 俺を呼んだのは」

 頷く。

「どういうことだ?」

 俺が後を付けたのはローブの絵描きだったはずだ。
 すると、ローブの絵描きは、遠くの鉄橋を指差した。

「あそこに?」
「…………」

 そのまましばらく、ローブの絵描きは鉄橋を指差し続けた。俺が踵を返そうとすると、筆を掴み直し、キャンパスに向かい始めた。
 俺は一度自転車を取りに坂を上る。導かれるように、俺は鉄橋へと自転車を走らせた。

「いた!」

 鉄橋のガード下。ローブの絵描きは俺を待っているかのように佇んでいた。
 自転車を鉄橋脇に止め、坂を下る。

「お前が呼んだのか?」

 頷きローブの絵描き。後ろを振り返ると、先ほど見たローブ姿はいなかった。

「さっきの奴、だよな」

 質問には答えないローブの絵描き。だが、そいつもまた指差す場所があった。
 ガード下の中に、その場所があるらしい。

『私達専用のポストだね』

 突然、猛烈な痛みが俺の側頭部を駆け抜けた。無数のアリにでも集られたような、執拗で耐えがたい痛み。
 その痛みの中にあった確かな声。気付けば俺は、指の差された場所へ一直線に駆け出した。を、素手で掘り始めた。

「いつッ!」

 十秒足らずで、固いものが爪に当たった。
 一部分だけ見えたそれから、すべての土をどけ、取り出す。

「箱……?」

 少し洒落っ気のあるデザインだが、少し錆ついている。大きさは二十センチほどで、それほど大きいものじゃない。
 美鳥を探さないと。そう思っていたのに、俺はその箱の蓋に手をかけていた。
 蓋を開けると、そこには大量の手紙がびっしりと詰まっていた。
 数枚を一度に取って、差出人が書かれているであろう裏面を覗いてみる。

「美樹へ……啓一君へ……美樹へ、啓一君へ、美樹へ啓一ッ」

 軽く十枚はあると思われる色褪せた手紙。
 これを一枚一枚確認していけば、昔の事を思い出せるかも知れない。
 俺は蓋に手をかけたが、ふと思いとどまった。激しい痛みもいつの間にか消えていて、冷静にこの箱がどういうものかを考えていた。
 部屋で見つけた手紙と一緒だ。

「見ていい訳ないよな」

 昔の俺が埋めたであろう箱。俺は記憶を失う前の事を知らない、それは当り前の事だ。これを見ればわかるかも知れないのに、罪悪感が拭えない。

「啓一君」
「!?」

 振り返ると、さっきまでローブの絵描きが立っていた場所に美鳥が立っていた。

「美鳥、なんでお前がここに? 家にいるはずじゃ」
「ねえ。おねぇちゃん、どこ?」
「え? 美鳥?」
「知ってるよ。おねぇちゃんと手紙交換してたの」
「おねぇちゃんはどこ? 啓一君なら、知ってるよね」
「…………」

 美鳥の様子がおかしい。
 いや待て、俺が美樹の事を思い出した事、美鳥に言ったか?

「美鳥」
「何? どこにいるか知ってるの?」
「知らない」
「なんだ……」

 虚ろな目の美鳥は、残念そうに返事をした。

「美鳥、俺、思い出した事があるんだ」
「何を?」
「美樹の事だ」
「?」
「俺は三年前に記憶を失ったんだ」
「そう、だっけ」
「……美鳥?」

 俺が記憶喪失になった事なんて、美鳥は当然のように知っていた。
 そして……美鳥は今、死んだ美樹を探している。

「美樹が死んだのは、何年前だっけ」
「死んだなんて……冗談でも言っちゃダメだよ。お姉ちゃん怒るよ? 彼氏でも許さないよ」

 美鳥は、美樹が死んだ事を忘れているのか?
 試してみよう。

「お前、どこの高校に行くか決めたか?」
「うん。啓一君と達也君と同じところ受けるよ」

 間違いない。
 美鳥の意識は三年前で止まっている?
 そんな事がありえるのか。

「手紙、こんなところに隠してたんだ」

 俺が唯一体験している三年間の記憶がない美鳥。
 俺が覚えていない三年前で時間を止めている美鳥。
 今まで、美鳥をこんなにも遠く感じた事はなかった。ずっと傍にいてくれた彼女が遠い。
 真逆だ。かける声さえ見つからない。
 共有できる記憶を俺達は持っていない。
 ただ、俺達はどちらも美樹に対して特別な感情を抱いている。

「とにかく今日は帰ろう。な?」
「お姉ちゃん……」
「あ……あれ、覚えてないのか?」
「?」
「美樹は陸上部の合宿に行ってるだろ」」
「だから、数日は会えない」
「そっか……」
「美鳥」
「なに」
「いや。あ、お母さんとは話すなよ」
「なんで?」
「今のお前は熱っぽい。風邪が移るかもしれないんだ」
「うん、わかった。部屋で寝てるね」
「学校も休めよ」
「うん」

 こちらの言葉を否定しようとしなかった。
 唯一否定した事と言えば、美樹が死んだ事実、その一つだけ。
 今の美鳥は、こんな言い方したくないけどどうかしている。
 美佐枝さんには上手く言っておかないと。

「そういえば、あいつは!?」

 我に返り、辺りを見回した。ここに導いたローブの絵描きは、いつの間にかどこかに消えていた。
 手元に残った錆びた箱と手紙を見る。このまま置いて行く訳にもいかず、土をできるだけ払ってそれを家に持ち帰ることにした。不安に押しつぶされそうな美鳥の手を引きながら……。

太刀河ユイ
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太刀河ユイ

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