1話 来たるは彼方の星の種子

 2017年4月8日14時地球、日本。

「準備はOK、後は……最後の癒やしを貪るだけだな」

 平凡なリュックサックの中に筆箱、説明会のときに配られた課題ワーク、そして提出するプリントを仕舞い込んで、大の字でベッドに寝転がる青年。彼はこの平凡な世の中にて明日、高校生という肩書きを受け取ろうとしていた。

「んお……っと、これもか」

 背中にクシャりと、布団とは違った感覚を得て、青年は踏み潰してしまったその紙をなんとか引きずり出す。そこに書いてあるのは、体育の選択科目についての選択欄と『須坂八尋すざかやひろ』という名前だ。

 須坂八尋……ここにあるプリントであるからして、紛れも無くそれはベッドに寝転がる青年の名前だろう。
 そこに書かれた内容を一瞥してミスが無いことを確認すると、プリントを半分に折ってからカバンへとつめ込む。そして再び、重力に身を任せて柔らかな布団へと体を沈める。

「はぁ……」

 そして大きなため息を1つ。未だ慣れない白の天井を見上げる。
 八尋が高校受験の直前に、彼の両親は離婚した。それに伴い引っ越し、新たな地にある高校へ入ることになったため、八尋には周りに知り合いが居ない。

 むしろ比較的大人しく過ごしていた中学校生活の影響により、学校が変わってまで連絡を取ろうと思える友達すらいない。引っ越してきてから三ヶ月経った今でも、近くに住んでいた……いわゆる幼馴染以外のメール及び着信履歴は確認できなかった。

 だからこそ、これからやってくる彼の高校生活には不安が付きまとっているのだ。

「まずは入学式で隣になった人と話して……いやでも、もし隣の人が同じクラスじゃ無かったら……。そしたらクラスで近くになった人に……」

 やはり充実した学校生活を送るのに友人というものは不可欠……というのが八尋の持論だ。

 ならどうして友人が居ないのかといえば、性格と考え方が合わなかったから。つまりは自分から話にいかなかったゆえの自業自得というわけだ。
 それが解っているからこそ、今回は失敗しないよう必死なのだ。

「高校受験よりも緊張する」

 あまりの不安にじっとしていられず、八尋は足を振り上げて下ろすと、その反動で上体を起こした。ベットから這い出て廊下へと足を進める。母親が仕事明けで寝ていることも考えて、できうる限り静かに移動を始めた。

 いろいろあって大きなこの家。自室のある2階から、もう1つ階段で登る。白を基調とした清潔感のある内装から一転、そこは壁1つ挟んで、春の陽気が漂うバルコニーだった。
 ガラス戸を開け、外へ出てから閉める。

 時間的にも丁度いい暖かさで、心が落ち着くような気候だ。仕事で疲れた母親が癒やしを求めてバルコニー設置してくれたことに感謝しつつ、その端まで寄って外を眺めた。

「散歩……でもするか……」

 家にいても落ち着かない。ならば外で歩いている方が幾分かマシだろう。まだマトモに新しい街を見ていないものだから、ここで一度、地理を知っておくのも悪くはない。ひょっとしたら、何か小さな出会いが生まれるかも知れない。

「でも面倒くさいなぁ……」

 何が面倒かといえば、それは着替えだった。もう高校生になるのだから、さすがに着るものについても考えなければならない。それを選ぶのが八尋にとっては億劫だった。どうせ何を選んだとしても周りの目が気になってしまうのだ。

 結局、彼はただの面倒くさがりでしかなかった。何に関しても。

「はぁ……」

 なんだかんだと考えても、何をする気も起きず八尋は机に突っ伏す。
 じっとしていられない、しかし何をする気も起きない。その2つの感情が仲良く同伴する感情が不安というものだ。むしろこのまま、春の陽気に身を任せて眠ってしまえばどれだけ楽だろうと、そんな考えが八尋の中に生まれてくる。

 その思考に身を任せようと力を抜くと、体を包む暖かさが、じんわりと染みこんでいくような錯覚を感じ始めた。自分の体がスポンジで、暖かさが水。中心まで侵食してきて、そこにある意識までもがゆっくりと侵されていく。

 まどろみの中へ……。八尋の意識が溶け、消えそうになる。
 そこに……。

ゴオオオオオ

 雨の中、車で高速道路をかけているかの如き音。それの何倍、何十倍もの轟音が鳴り響き始めた。

 溶けていた意識は即座に再形成され、思いっきり顔を跳ね上げた八尋はその音の元を探す。どこかの馬鹿が何やらしているのかと、バルコニーからしたを眺めてみる……も、何も無い。空を見上げる数人の人がいるのみ。
 下ではない。周囲には何もない。なれば残されたのは、人々の見上げる空だけだ。

 と、八尋の視界上方から、世界の色が緑色に侵食を始めた。
 間違いない。音の原因は空にあるのだろう。

 どんどんと大きくなっていく音に引かれて、八尋は視線を上へと持ち上げる。それにつられ、視界の中の緑色もどんどんと濃くなっていく。よく目を凝らしてみれば、その緑は細かな粒であるような気がして……

「なんだ……あれ……」

 そこで、八尋は頭の中が綺麗に冴え渡った。いや、無駄な思考を持っている余裕すら無くなったと言うべきだろうか。死を前にして、正常な思考を残していられる方が難しいというもの。

 彼の視界は、巨大な緑の物質で覆われていた。

 地球から見える太陽の、十倍では下らない大きさ。その円形の緑は真ん中からパックリと裂け始めている。中から現れるのは……その大きな円に比べれば格段に細長い蔓。宇宙航行という役目を終えた殻はみるみるうちに後ろへと剥がれていき、塵となって消える。

 種はあっという間にその姿を変えて、たった一本の糸だけが地球へと降りてくる。その糸からは、今空間を侵食し始めている緑の粒子がすさまじい濃度で散布されていた。

「え……とりあえず写真」

 圧倒的質量は真紅の炎とともに消え去り、驚くほど心もとなくなった糸となってしまった飛来物の姿に、八尋は正気を取り戻した。……というより、拍子抜けしたといったほうが正しいだろう。

 ポケットに入れていたスマートフォンを取り出して、そのカメラを空へと向ける。パシャリと一枚。もう決して見ることは叶わないだろう光景を、データとして残しておく。問題なく保存されたことを確認して、画面から目を離す。

 レンズを通した映像よりも断然、目で見た光景のほうが綺麗なのは間違いない。

「一体なんだってんだ……」

 写真を撮ったところで、しかしその光景に納得したわけではない。軽く見積もっても間違いなく、これは正常な光景ではないだろう。

 あの糸が地平線の彼方へ消えた今でも、緑の粒子は辺りを漂い続けている。手を動かしてみれば、その流れに沿って粒子は舞い、幻想的な光を撒き散らす。どこを見ても粒子に侵されていない空間など無く、きっと……いや、間違いなく八尋の体の中にも大量に入り込んでいることだろう。

 口から吸引され肺へ、そして血液にのって体中へ。はたしてそれがどのような影響を及ぼすものか、誰にも想像できはしない。当然、地球外から飛来した未発見の物質なのだから。

「あ、そうか。こういう時こそインターネットね」

 握ったままだったスマートフォンの電源を再び入れる。今、この地球に何が起きたのか……それを調べるため八尋は、世界中の人々の呟きを集めたアプリを開いた。

 気がつけば30分。1時間。2時間。
 結局は何もわからぬまま、気がつけば八尋は春の陽気に飲まれ眠っていた。
 そして世界にも、八尋にも、これといった変化は無く両者は次の日を迎える。

 新たな世界の始まる、運命の日を。

相羽 桂
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相羽 桂

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