血戦・巌流島(後編)

「ウム……夢の中でも、海は広いな大きいな……むむっ!?」
 海に浮かぶ、いくつもの影。それは人を乗せた船に間違いない。やがて、旗印が目に捉えられるようになった。それは、確かに細川家の物だった。
「あやや、もう目が覚めてしまったのですね! 早く撤収しないと、面倒なことになってしまいます!」
 ツバメは慌てて、小次郎スーツの中をいじり始める。武蔵には彼女が何をやっているのか、さっぱり分からなかった。それよりも大切な事は、本来の対戦相手を探す事である。武蔵は遅延兵法で佐々木小次郎の感情を乱すつもりだったが、ツバメの為に全てが水の泡になってしまった。いち早く、次の作戦を立てねばならない。武蔵を乗せてきた船頭は、危機を察知した様子で、舟ごと岩陰に隠れたようだ。来る途中でその場所を打ち合わせておいたので、逃げる際に手間取る事はない。
「いた、佐々木巌流だ!」
「え、小次郎様っ!?」
 武蔵の声を聞いて、ツバメは弾むように身を起こした。
 船の群れから一艘が離れて、武蔵たちの方に速度を早める。その舳先に立っているのが、おそらく佐々木小次郎なのだろう。
「チガウ……」
 武蔵の横で、ツバメが呟いた。
「違うって……?」
「アンナショボクレタジジイガ、アタシノ小次郎様デアルハズガナ――――イッ!」
「ヒ、ヒィイイイイ――――!?」
 不覚にも、武蔵は悲鳴を上げた。ツバメは頬を引きつらせ、白目を剥いて全身を痙攣させている。狐にでも憑かれたような状態だった。
 そんなことは露知らず、佐々木小次郎は愛刀の物干し竿を杖に、武蔵たちの方へ近づいてくる。
「ヒョッホ――、待たせたな、武蔵! なんだか知らんが、寝過ごしてしもうたわい!」
 老齢であるがために、やせ細った身体。長身である事も加わって、巨躯の骸骨が迫ってきているようだった。
「消エテシマエ、コンナ歴史、消エテシマエ――!」
 ツバメが、小次郎スーツの中の何かを押した。すると、後ろに並んでいた細川アンドロイドたちの足元から、煙が吹き出し始めた。
「なんだなんだ、またもや妖術か!?」
 狼狽する武蔵を捨て置き、ツバメは小次郎スーツに頭から突っ込んでいる。
「狙イ良シ、フヒヒ、小次郎様ノ真実ハ、コノアタシガ作ッテアゲルノ!」
 ツバメの声は、所々で狂ったように裏返る。武蔵は彼女を、驚愕して見守っているしかなかった。ツバメは、小次郎スーツの中をいじり続けている。
 細川アンドロイドが、空に飛び上がった。そして彼らは、海上に浮かぶ本物の細川家に突撃する。水柱が立ち登り、人間たちも宙を舞った。
「大筒か!? おのれ、武蔵! 飛び道具とは卑怯なり!」
 先頭の小次郎が、しゃがれた声を張り上げる。
「武蔵、卑怯なり!」
「武蔵、卑怯なりィ!」
 周りの侍たちも、口々に武蔵を罵った。
「えええ、俺がやったみたいになってる!?」
 武蔵は世の理不尽さを呪った。事の元凶であるツバメは、いまだに小次郎スーツに頭を突っ込んでいる。武蔵は彼女をつまみ出し、脇に抱えた。
「いやーっ! 時空間転送装置で荷電粒子砲を取り寄せて偽小次郎をデリートしてやるのー!」
「また、意味のわからぬ事を言うな! あの殺気立った連中に囲まれたら、勝ち目がないぞ! それに俺は、この島の地形を把握しきれておらんのだ!」
 細川アンドロイドの1体が、空中分解する。その胴体から、無数の爆弾がバラ撒かれた。あちこちに水柱があがり、林のようになる。その隙に、武蔵はツバメを抱えたまま、その場を離れた。

「ご迷惑をかけました……」
 揺れる舟の上で、ツバメは深々と頭を下げた。
「アタシ、小次郎様の事を考えると周りが見えなくなってしまうんです」
「言われなくても分かる。本当に迷惑だ」
 武蔵は遠慮なく言った。ツバメの暴走は全て武蔵の仕業になり、悪名となって世に轟くだろう。
「この時代に有り得ないものを、多くの人に見られてしまいました。それは、アナタを含めて。時空管理局に修正してもらわなければ、最悪の場合、600年後の未来が消滅してしまいます」
 やや落ち着きを取り戻した様子のツバメ。先程までの狂乱振りとは一転し、知性を感じさせる表情と口調だった。しかし彼女の言っている事を、武蔵が全く理解できないのは何も変わらない。
「安心してください。武蔵さんも調整を受けて、過去のある時点で目覚めて、全てが夢だったと思う事になります。もちろん、アタシは相応の罰を受ける事になると思いますが……でも、そちらは大丈夫だと思います。大抵の事は、パパが揉み消してくれますから」
 パパという者が何者かは知らないが、恐らくツバメは、凄くためにならないことを言っている。武蔵は直感的にそう思った。
「馬鹿者っ!」
「ひぃいうひゃあ!?」
 またしても武蔵に一喝され、ツバメは舟から落ちそうになった。武蔵は咄嗟に彼女の手を取り、引き寄せる。
 武蔵は咳払いをして、ツバメに向き直った。
「パパというのが何者かは知らんが……犯した罪をもみ消すだと? そのような事を、ウヌは恥とは思わんのか!」
「は、恥……ですか?」
 小首を傾げるツバメに、武蔵は頷いた。
「恥だ。俺も勝つために、卑怯な手を度々使うことがあった。生き抜く為に仕方がなかったとは言え、後味が良いものではない」
 波は穏やかである。その音と、船頭が水を掻く音だけが、2人の耳に聞こえていた。
「ウヌはまだまだ若い。心根もまだ純粋だろう。しかし卑怯と誤魔化しの味を覚えたら、その心は汚れてしまう。この俺の、この服のようにな」
 そう言って、武蔵は自分の着物をつまんで見せた。
「都合の悪い事を誤魔化し続けて生きている……そんな自分自身を、ウヌは誇りに思う事ができるか? 仮にウヌを慕い集まってくる童たちがいたとして、その者たちの前で胸を張っていられるか?」
 武蔵の言う事を、ツバメは俯いたまま、黙って聞いている。武蔵は太陽を指差した。
「顔を上げろ。あの日輪の光を、何も恥じることなく浴びる事ができるか。それをよく、自分自身に問いかけろ」
 言われるがままに、ツバメは太陽を仰ぎ見た。鼻に掛かったメガネのレンズが、白く光る。ツバメはまぶしそうにして、すぐに俯いた。彼女の頬から、光が落ちる。それは、涙の輝きだった。
「……でも……」
 少女の口から、掠れた声が漏れた。
「真面目に罰を受けたら、アタシは多分、50年は牢屋の中にいなければいけません……」
「50年!」
 武蔵は座ったまま、跳び上がって驚いた。単純に考えれば、ツバメが自由の身になるのは、老人と呼ばれる年齢である。
「アタシの世界では、少年法と言うものがないのです。罪を犯せば、大人と同じように罰を受ける。そうする事が、少年犯罪の抑止力の1つになるから」
 ツバメの顔から、表情が消えていた。それは絶望の色なのだろう。
 武蔵の目には、ツバメと吉岡の少年が重なって見えていた。ツバメが自身の過ちを認めている様子は、見た目の態度からも理解できる。しかし、ツバメに諭した事をそのまま彼女にさせれば、かつての少年を容赦なく斬り捨てた事と、同じになり得るかもしれない。その若さと才能が、日陰の世界で埋もれ、潰される。それが武蔵には、大きな損失のように思われた。
「舟島を脱出する時に、救難信号を出しておきました。もうじき管理局の人たちが来て、歴史を元に戻してくれます。それと同時に、アタシは逮捕されるでしょう」
 舟底に視線を落としたまま、ツバメは呟くように言った。そのまま暫く口を閉ざしていたが、何か思い切りが着いたのか、視線を上げて武蔵を見た。
「でも、もういいです。武蔵さんに言われて、目が覚めました。アタシはアタシのした事に、責任を持たなければいけません」
 ツバメは目を潤ませながらも、笑みを見せた。そこには清々しい程の若さと、それゆえの素直さがあった。自分勝手で犯した罪とは言え、その代償は彼女の肩に重すぎる。武蔵は、ツバメが哀れでならなく思えていた。
「……この出来事は、夢になるのだったな」
「ええ、武蔵さんにとっては」
「ならば、もう少し俺の勝手にさせてもらう」
「え?」
 今度は、武蔵の言う事を、ツバメが理解できないようだった。
「ウヌは、俺と佐々木巌流の決闘を見に来た、未来からの旅行者だった。そして俺はウヌの弱みを握り、佐々木巌流との決闘に勝つために利用した。俺は兵法者だから、利用できるものはなんでも利用する。何もおかしいことはない。管理局とかいう者たちには、そのように言えば良いだろう」
「でも、そんな事をしたら……アナタだけが悪者になってしまいます」
 ツバメが詰め寄ってそう言うと、武蔵はニヤリと笑った。
「だから、これは夢なのだろう。夢の中でどんな悪人になろうと、俺には何の害もない。目覚めが少し、悪くなるだけだ」
「……武蔵さん……」
 ツバメはそれ以上、何も言えなくなってしまった。一生懸命言葉を探しているツバメの様子が、武蔵には可愛く思えた。
「……しかし、タダで助けてやるわけではないぞ。ウヌは、あの佐々木巌流の『ぱわぁどすうつ』とか言うカラクリを作れるほどの腕を持っているのだろう? ウヌの世界に帰ったら、それを人々のために使うのだ。犯した罪を、善行で濯ぐ。それもまた1つの罰であり、償いだ。神仏もきっと、納得するだろう」
 武蔵の言葉を聞くと、ツバメは大きく頷いた。眼鏡を外し、目尻を拭う。そして裸眼のままで武蔵を見て、目を細めた。
「武蔵さんはやっぱり、優しい人なんですね」
 屈託のない笑顔だった。武蔵は思わず、目をそらしてしまう。悪鬼とまで罵られた男が、可憐な少女にそんな事を言われるとは、思わなかったのだ。
「優しいのではない。兵法だ。生かすべき命は生かし、利用する。それを実践したまでだ」
 それがツバメには、照れ隠しに見えたのかもしれない。彼女は武蔵を見上げたまま、笑みを大きくした。
「お礼になるかは分かりませんが……アタシ、アナタと小次郎様の同人誌を描こうと思います!」
「ドウジンシ?」
 またしても、ツバメの口から聞きなれない言葉が出た。
「なんて言うか……絵付きの物語です。自分の好きなようにお話を作って、楽しむんです」
「ほう、未来にはそんなものがあるのか」
「はい。未来の世界に転生したアナタと小次郎様が、入学した高校でバッタリ出会って、友達になるんです。それでお互いに剣道の腕を磨きあって、ライバルでありながら友情を深めていって……」
 ツバメはすっかり、武蔵と話す事を楽しんでいるようだった。武蔵もまた、無邪気な笑みを漏らすツバメを見ていると、心が弾む。ツバメが言う事の意味はサッパリ分からないままだったが、その声を聞いているだけで、耳に心地良さを感じていた。
「攻めはアナタで、受けがコジロゥ……いや、そんな事は知らなくても良いです。あと、武蔵さん」
「何だ?」
「幾分、アタシ好みに描くので、アナタを野性的だけど清潔な人にしますから。なので、たまにはお風呂に入ってください。そう言う事実があった事が、必要なのです」
 力を込めて言うツバメ。武蔵は空を仰ぎ見た。曇りのない青空が、目に眩しい。海原の波に舟が揺れ、身体が揺れる。それとも揺れているのは、武蔵の心だろうか。
「……考えておく……」
「ダメです、入ってくださいっ! 水浴びでも良いですからっ!」
 ツバメが武蔵に詰め寄ると、舟はさらに大きく揺らいだ。その弾みで、舳先にいた船頭が海に落ちる。武蔵はすぐに櫓を差し出し、船頭に掴まらせた。
「先を越されてしまったな……水浴びの!」
 そう言って、武蔵はツバメに笑いかけた。ツバメは日差しのような明るい笑みで、何度も武蔵の言葉に頷いていた。

ちくわヌンチャク
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ちくわヌンチャク

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