エピローグ 終わらない時の流れ
どんな顔をして親父に会えばいいか、今になっても分からずじまいだった。
そんなことはお構いなしと、見舞いを設定したのは奈留だ。
意味もなく花やなんか持たされはしたが、はっきり言って浮足立っている。
あのあと、この島を巻き込んだ事件は何事もなかったように取りざたされた。
その内容は、結託していた二人の男が互いに衝突し、手負いとなった二人を警察が取り押さえたとのこと。
あまりにも都合の良い展開といえばそうだ。
だが、こうした収束でなければ、オレも怜雄も立派な犯罪者になっていただろう。
そんな状況を一人で勝手に作り上げていたのは、間違いなくオレの親父だったのだ。
重いドアをノックするが、反応はない。
「入るぞ」
どうせ寝ているなら、それはそれで構わない。
病室へ入り、親父が眠っているであろう場所へ押し入ると、先客がいた。
「遅かったな」
「……こっちにはこっちの事情があったからな」
それは、怪我をして同じ病院へ入院していたはずの一輝だった。
どこか遠くを見るように、静かに眠る親父を見つめている。
その表情は、どことなく奈留に似ているような気がした。
「何かあったのか?」
「たぶん、アンタらにしてみればどうってないことだ。あの人ごみから私を見つけて、庇って倒れた。たったそれだけさ」
バカなもんだよな。と、一輝がオレの瞳を見つめる。
なんとなく、言わんとしていることはわかった。
「オレがその場にいても、きっと同じことをしただろうな」
「目の前で怪我されてるの見ると、こっちだって辛いんだ。自分の身くらい、自分で守れる」
実際、一輝はそれをできるだけの実力をしっかりと養っている。
そこに妙な心配をされるのは、一輝にとっては実力を認めて貰えてないことと同義なのだろう。
だが。それだけじゃない。
オレも親父も、ただそんなことのために自分を犠牲になんてしない。
もしかしたら、奈留はこうなることを予想したいたのだろう。
それなら、意味もない覚悟を伝えるのはオレの仕事だ。
「もし大切なものを守れるなら、オレはどうなろうと構わないと思ってる」
ただ一つだけ、その先がある。
「でも、その中で守りたいのはささやかな日常なんだ。オレにとっても、奈留にとっても。そして、この男にとってもな」
それが、たった一つだけの覚悟だ。
バカな男の、バカな覚悟。
その結果でより大切なものを傷つけているというのに、オレ達は平気で傷を気にすることはない。
そういう、狂ったヒーローだ。
「お前も、警部だって同じこと言うけどな。待ってる側の気持ちを、お前等はちゃんと知れ、バカ……っ!」
――ああ、そうだな。
心の中で、強く思い直す。
このささやかな日常を送れるのは、紛れもなく自分が生きているからだ。
生きて、生きて生きて。何かを成しているワケでもないけれど、ただそれだけで日常は生まれる。
それは子供がかき集めた小さな宝箱と変わらない。
きっと、どんなものでも輝いて見えるのだ。
◆
元の世界に戻れないのなら、この世界で新しく生活をしていくしかない。
とはいえ、オレ達には頼るべき身寄りがあるわけでもなかった。
海斗に頼むという手はなくもなかったが、それはどうしようもないときの苦肉の策だ。
「それで、オレの見舞いに来たのか」
「要件だけを言うなら、そうなってしまうな」
いくら負傷したと報告を受けたところで、この男がそんなことで音を上げるようには思えなかった。
連絡をもらって実際に足を運んだワケだが、案の定。
暇を見つけては片腕でダンベルを持ち上げていたり。看護師に止められているのにトレーニングルームに出入りしていたり。
こうして間近に対面してみてもわかるが、とても怪我人とは思えないほどの壮健ぶりだった。
「ほう、殊勝にも俺を心配してくれたか。感心感心」
相変わらずの豪快な笑い声に、こちらも思わず表情がほころぶ。
そんなこちらの変化を目ざとく感じ取って入るようだが、剛健は特に何かを言う気配はない。
短い付き合いではあるが、この男は感情の機微には非常に聡いと知っている。
だからこそ、一番に頼れるともいえた。
「結論だけ言うなら、別に構わん。あのだだっ広い屋敷で一人暮らしというのに、そろそろ骨も折れそうだったからな」
「……そんなにあっさりと承諾してしまって良いのか?」
「まあ、こっちにはこっちの事情もある。オレはお前と嬢ちゃんの護衛……と言えば聞こえは良いが、お目付け役だ」
なるほど?
確かに、こちらはアダムを倒したという実績を示している。
しかし、オレはシンメトリという常識外のものをもった素性の分からない不穏分子でしかない。
力を持つということは、それだけに動きを制限されるのだ。
「察しが早くて助かる。ま、お前から頼まれなくとも、オレから直々に頼みに行ったくらいだ。今は要らん手間が省けたことを喜ぶとしよう」
「それもそうだな」
剛健はゆったりとオレを見据え、そして窓の外へと視線を投げる。
「この世界が、たった一人の小僧に支えられたと思えば、歯痒いものだな」
「とてもそうは見えないが」
「それが大人というものだからだ。子供の勝手であれ、大人が庇ってやる。誰が責めようと、どんな正論がこようと、最後まで子供を信じてやるのが大人ってもんだ」
そう笑う剛健は、どことなく誇らしげに見えた。
その意味を少しだけ考えてみようとして、やめる。
子供にとって、大人なんてものを理解する必要はないからだ。
「にしても、あの嬢ちゃんも一緒になるんなら、こりゃあ騒がしくなりそうだ」
「悪い顔をしているな」
「そりゃそうだろ。アレは大人しぶってはいるが、からかいがいがある。見てみたくはないか?お嬢ちゃんの真っ赤になるところ」
悪魔のような男が、それこそ悪魔のような誘惑をしてくる。
普通、考えるでもなく拒否するのが妥当なのだと思う。
だが。それでは面白くない。
「見てみたいな」
オレもまた、変わった。
その変化が良いものなのか、悪いものなのかはわからない。
「決まりだな」
だが。
こうして気兼ねなく笑いあえるのは、オレ達が作り上げた今日という日があるからなのだろう。