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遺伝子研究特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】は実験室においてSS級情報ハザードに設定されていた。それは限られた情報、限られた試験場、限られた研究員を意味する。その限られたプロジェクトスタッフからビーカーは除外されていた。
それに関してはどうこういうつもりはない。研究者の適性がある。シャーレとスピッツは、一級研究者しか所属できない実験室においても異才だった。異彩と言ってもいい。
普通、実験室の研究者はビーカー含めて、サンプルと廃材ができる確率は2:8だ。無論変動はあるが、概ね統計はそのように算出される。
それが、だ。実験数こそ少ないが、シャーレとスピッツの研究成果は比率にしてサンプルと廃材が4:6なのだ。倍に近いし、廃材の無駄も少ない。研究指針と被験素体の選別に天性の着眼がある、という事なのか。それだけ能力者サンプル――生体兵器研究の開発は混迷を極める。
その中で、偶然にもビーカーに開示されたSS級情報ハザード。【限りなく水色に近い緋色】という遺伝子特化型サンプル。垣間見ただけで、【発火能力】【擬似重力操作】【遺伝子レベル再構成】と三つの能力を確認できた。
遺伝子特化型サンプルは、通常、多種類の能力保持はできない。同系統であれば可能だが、それでも負担が大きい。脳や細胞に負担をかけ、生体兵器に改変する事の意味は、容易ではないという事だ。
だが、あの特化型サンプルはそれをいとも簡単に成し遂げた。シャーレとスピッツがどんなカラクリであの被験体を製造したのか、興味はつきない。
だからこそ、罠を仕掛けてみた。
フラスコも追加データの収集には関心を示し、特に反対はなかった。シャーレとスピッツが実験室から退き、全てを掌握するフラスコも情報不足、その表情から読み取れる。否――情報は隠されていた、という事か。レポートはその全貌の1割にも満たない。つまりそういう事だ。
オーバードライブした廃材《スクラップ・チップス》を再生させたプロセスも気になるし、支援型のサンプルも気にはなるが【限りなく水色に近い緋色】に比べれば、些細な事だ。漁夫の利を狙うことは愚かだし、できる事ならば情報だけでなくサンプルそのものを得ることができれば、言う事は無い。
あわよくば【限りなく水色に近い緋色】の捕獲を。そうでなかったとしても、情報を得る。ここで得た情報を基盤にデータベースを漁ればいい。いかにSS級情報ハザードとは言え、一度オープンになればクローズもできない。
その為にも、あの特化型サンプルには動いてもら――う?
思考を停止する程の轟音が響く。
モニターが沈黙した。
「な?」
「これはこれは」
と同席していた背広姿の男は呑気に、棒付きキャンディを満喫している。
「どういう事だ?」
ビーカーの機材には問題無い。現場のカメラ、盗聴器、測定装置、その全てが沈黙したのだ。停止以前のデータを漁る。
スピードが早すぎる。これが【限りなく水色に近い緋色】の底力なのか? ビーカーの思惑など、いとも簡単にかわしてしまう程――の?
「なに?」
電気反応? モニターからは200万ボルトの電圧が保育園全体をまるで誘導されるかのように、一瞬包み込んだ。人間が集合した場所の電圧は極度に低い。その一方で、機材の場所はマックス200万ボルトである。こんな高度な操作を一個体でできるのか? 驚愕――思考が止まる。
戦闘特化型サンプルでは、そんな芸当はできない。ビーカーの知る限り、そんなサンプルの情報は無い。それこそSS級情報ハザードの特化型サンプルであれば別だが。
だが、支援型サンプルであればどうだ?
環境構築、遠隔干渉、代替操作、情報管理、それが支援型サンプルの能力の代名詞だ。無論、全てを兼ね備えた支援型はいないし、遺伝子特化型サンプルそのものの数が少ないから、支援型に注力するよりは、戦闘特化型に集中するのが、研究者の通例である。
例えばブースト。これは無駄なエネルギー放出を一つの軸にまとめ、効率的に効果的に力を制御する技術。本来、能力者サンプルの一つだったが、ICチップの埋め込みによる機械的外科手術で、可能となった。現在、能力者サンプルの開発においては常識となっている。
過剰帯電保有の廃材《スクラップ・チップス》。支援型サンプル。それで全ては繋がる。ビーカーの思惑を先行し、監視システムを沈黙させた。その上で【限りなく水色に近い緋色】を稼働させようというのだ。一部監視システムは、電圧調整で復帰できそうだ。広範囲の雷撃は万能のようで、ムラがでる。
復旧に5分。
だが、前回の【限りなく水色に近い緋色】の能力を見れば分かる。5分とかからないだろう、今回の廃材を制圧するには――。
「私が出ようか?」
小さくキャンディの男は笑む。
「不要だ。廃材の方でなんとかさせる」
「特化型サンプル相手に、か? 実験室の研究者も脳味噌が腐ってきたんじゃないか? 悪魔の実験の繰り返しの代償は、狂気の業火。汝、罪深し。まさに、悔い改める日がきたとはこの事だ! 改めよ、今こそ! 懺悔せよ幾重もの罪を!」
さも可笑しそうに、演技じみた手振りをさる。その目はまるで本心からそう思っておらず、研究者を嘲弄する笑みを浮かべていた。
「黙れ。お前はお前の仕事をしろ」
「突入も不許可。監視システムは動かない。それでは、遺伝子実験監視型サンプル【弁護なき裁判団】と言えど、為す術もなし。嗚呼、哀れなり。哀れなり」
「……お前は……本職でもそうなのか?」
「まさか。そこは猫被りさ。仮にも公僕、県警捜査一課の警部補だよ? 殺人現場でキャンディは舐めない。チョコパイにとどめておくさ」
「いつか被害者家族に撲殺されろ」
ビーカーは無視を決め込んで、機材の調整に入る。復旧作業をしながら、廃材にむけて、信号を送る。高周波で、人間の聴覚では聞き取れない周波数だが、廃材はそれを認識するはずだ。
それが、小癪な手で撹乱してくれた支援型サンプルへ向けるビーカーなりの返礼だった。