第8話 城内探検 その②
本には音を吸収する能力でもあるのか、紙のめくれる音と誰かの音は静寂で満たし切った部屋によく響いた。その響く感覚はさながら雪が降り積もった日の庭のようだった。
ナウロの庭に雪が積もったことは無いのだが。
ーーーーにんげん?
ナウロの耳にまた声と思わしき音が届く。彼の幻聴や、もしくは勘違いなどというものでは断じてない。確かに人の声だった。ここは魔界だから魔族と言った方が正しいのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
ナウロは声の主に向かって叫んだ。
「あなたは誰ですか!?俺はルシフ様と結婚させてもらうナウロといいます!」
それまで静まっていた部屋を破るようにナウロの声が走り、空気を伝わり空間を満たしていく感覚を彼は覚えた。
声を張り上げるようなことは久しく無かったため、ナウロの喉は若干痛んだ。
ーーーー....ああ、あなたが.....
.....思うように、どうぞ。
きっと辿り着けるから。
それきり声は聞こえなくなった。
......え?
なんだなんだ、意味深な事を言っておいてそこで終わりなのか。
ナウロは拍子抜けしてしまったが、それは置いておいてすぐに聞こえた言葉の意味を考えることにした。
きっと辿り着ける、という事は自分のところまで来い、ということなんだろうが、その前の『思うように』が分からない。
....思うように、思うように......?
ナウロは半信半疑より疑の方に気が傾き気味ではあったが、とりあえず歩いてみることにした。なにかしら行動に起こした方が何か分かるかもしれない。
無数に本が並ぶ棚の森に入り、まずは右。
曲がってある程度歩いたら次は左。
今度は曲がらずしばらくまっすぐ。
言葉の通り、思うようにーーつまり《《適当》》に、とりあえず歩いていた。
ナウロは自分でものんきだと思うほど、「こんな本棚だらけで地震とか起きたらどうするんだ」なんてどうでもいいことを考えていた。
ナウロ自身も物が倒れてくるほどの地震を体験したことはなかったがのだが、(家にそこまで物が無かったということもあるが)これでは多少の揺れでも何冊か落ちそうだった。
いや、魔族のことだから『物を固定する魔法』みたいなものがあるのかもしれない。
ナウロが「魔族は日常生活に苦労しなさそうだな」などと自分の生活との差を空想で比べていたその時、今ちょうどそこに出現したかのように、本棚が避けられた空間に大きなテーブルと椅子が一つずつあった。椅子は通常サイズだが、テーブルは極端に大きく布団でも敷いたら人一人は寝られそうだ。
.....きたね。
また声が聞こえてきた。ナウロは周りを見回してみるが、誰かがいるような気配はおろか痕跡も残っていない。ただ几帳面に並べられた本だけが存在し、ナウロにどこか虚しさを感じさせた。
いよいよ幽霊が話しかけているのか、とナウロが椅子に座ろうと、机の中から引き出した、その瞬間。
「.....どうも」
まさに一瞬だった。
椅子を引き、本当に誰もいないのかと思い周りを見回し、目を戻したその間の時間。
椅子にちょこんと、髪の長い小さな子供が体と同じくらいの大きさがある本を抱えて座っていた。
「どわああああぁぁぁぁ!!?」
そもそも部屋が薄暗かったのと、会話をしている対象がもしかしたら幽霊かも......などと考えていたことがナウロの頭の中で互いに混ざり合い引き立て合い、恐怖心を駆り立て、その子供を見た驚きが大きくなり思い切り叫んでしまった。
ナウロ仰け反った勢いで床に倒れてしまった。
律儀なことに、山から返ってくるやまびこのように俺の叫び声が反響した。
「....そんなに、おどろかなくても」
「あ、あんたは誰だ!?幽霊か!?それとも魔族か!?」
ナウロが問うと長い髪を小さく揺らしながら、その子供は言った。
「ーーー......私は、リエル....。
....ルシフたんの部下、だ、よ。直属の」
今にもかき消されそうな声でその子供、リエルは言った。
ボサボサに伸びた髪は今にも床につきそうだ。
「ルシフのーー、って、お前が?」
敬語を使った方がいいのかもしれないとナウロは思ったが、見た目子供のコイツには使う気にはなれなかった。
ていうか、ルシフ《《たん》》ってなんだ。
「そ.....ゆーれいなんかじゃー....ないよ」
「じゃあなんでこんなとこにいるんだ?部下だったら、もうちょっとルシフの近くにいるべきなんじゃないのか?」
いや、これは俺がそう思っているだけか。
ナウロの言葉にリエルは気怠そうに、テーブルに突っ伏しながら答えた。
「むぅ.....めんどー、だから。
それより....あなたはー.......いいの?あっちはそろそろ......準備できるみたい...だよ」
さらりと質問を流されたような気がする。というか、なんで分かるんだ。
面倒だから、という理由だけで働かなくていいのか。随分優しい仕事だな。
「準備ってのはーーあぁ、結婚式のことか」
すっかり忘れていた。ガン忘れだ。俺は結婚式を挙げる手前だった。
ナウロはもう少しリエルと話していたかった。が、話くらいだったらいつでもできるだろうし、ルシフを放ったらかしにするのもナウロの心に悪いものを残すからだった。
なら今すぐ出るか、と思いリエルに背を向けたその時、俺の着ているスーツの袖がくい、と引かれた。ほとんど力が込もっていない。どこかに服の端が引っかかった時の方がまだ力があるだろう。
もちろん衣服を引かれるような理由は一つしかなく。
...まって。
リエルは空気に溶けて消えそうな声で言い、伸びた前髪の奥にある真紅の赤目をこちらに向けていた。