序章:法陣都市――1
☆ ☆ ☆
「お願い! お義母さんを連れて行かないで!」
少女の悲痛な叫びが響き渡る。まだ舌足らずで、今にも泣き出しそうな声色だ。
泣き顔の少女が立ちすくんでいるのは、とある。小さな孤児院の一郭だった。
孤児院は、主に三つの建物が形成している。教会と、遊戯場と、孤児院本体だ。
孤児院自体は簡素なもので、一見では、切り妻屋根のゲストハウスにしか見えない。実際、内装も二つの部屋と一つの食堂という、こぢんまりとした造りだった。
しかし、小規模とはいえ、教会は清貧かつ正統なもので、六角形の形をした遊戯場も、見た目からして、かなりのこだわりを漂わせている。
恐らくは、入居する孤児たちの、健やかなる成長を願ってのものだ。外観を眺めるだけでも、オーナーの意向が伝わってくる。
孤児院は、人里離れた森の中にあった。
心優しいと思われるオーナーの心情を察するに、健康的な子に育ってほしい、との考えが、現代社会では不便ともとれる環境を選んだのだろう。
だが、悲しいことに、木々に囲まれた孤児院では、少女の声が当事者を除く誰かに、届くことはない筈だ。
ただただ、空しく消えていくだけで。
「心配しなくても、私はちゃんと帰ってきますよ、まーちゃん?」
〝まーちゃん〟の叫びに応えたのは、紫色の艶やかな長髪を持った女性だった。
年齢は二〇代半ば。白いフード付きのローブを纏う、どこか聖女を彷彿とさせる容姿の女性だ。
女性の立ち居振る舞いは、この孤児院に相応しいもので、少女に掛けるアルトボイスや、優しげに細められた水色の虹彩からは、ひたすらに慈愛が窺える。
彼女は、しかし、何人かのスーツ姿に囲まれていた。断片的な情報ゆえ、詳細は分からないが、少なくとも穏便な空気はしていない。
「だから、私が戻ってくるまで、皆さんのことはお願いしますね? まーちゃんは一番しっかり者なんですから、頼めますよね?」
スーツ姿に包囲されながらも、メガネの奥に覗く瞳からは迷いが見えなかった。
彼女自身、これからどうなるかは知らない。それでも、彼女が心配しているのは、我が子のように愛する、孤児たちのようだ。
「お願いしますね? まーちゃん。……お元気で」
ただ、前を向いた彼女の台詞が、どこか悲しげなのは、気のせいではないだろう。
そして、彼女の雰囲気の変化を悟れないほど、少女は鈍感ではなかった。
「待って! 行かないで! 連れて行かないで! お義母さん!!」
それでも、スーツ姿たちは去っていく。少女の義母を連れて行く。遠く遠く、少女の手も声も届かない場所まで。
でも。いや、だから。少女は叫ぶことを止めなかった。
「行かないで! お願い……アルバテルっ……」
結論から言って、孤児たちの義母であるアルバテルが帰ってくることは、ついぞなかった。
それは、一人の女性の終わり。そして、全ての始まり。