第三章:空の書、理の書――5
☆ ☆ ☆
隊員たちの間にざわめきが生まれた。
包囲していた四人の犯罪者が、揃って姿を消したからだ。
それは夏の蜃気楼のように、始めから幻であったように、忽然と。
魔美は忌々しげに舌打ちをした。
「逃げたか」
「こ、黒衣崎隊長!」
「これしきのことで慌てるな。世間は魔術社会で、ここは法陣都市で、相手は魔導司書だぞ? いちいち心を乱すな。――これは魔術による転移術式だ」
「しかし……、奴らは魔術を使えない筈では?」
「使えなくなった魔術は〝神霊魔術〟と〝精霊魔術〟。転移術である〝霊脈移動(れいみゃくいどう)〟は、それらとは別物だ」
精霊の使役には、〝エーテル〟という特殊なエネルギーを用いる。
エーテルは〝気〟・〝プネウマ〟・〝第五元素〟とも呼ばれる、〝空間を満たすエネルギー〟だ。
彼らが行った〝霊脈移動〟とは、自らをエーテルと一体化させることで、空間の流れに乗り、転移する術式。
「だが、都合の良いことに、霊脈移動では法陣都市の外部には移動できない。法陣都市には、〝魔導回線〟と言う強力な〝流れ〟が存在するのだからな」
霊脈移動は、名前の通り〝霊脈〟を利用する。具体的に言えば力の流れを、だ。
しかし、法陣都市は魔導回線が描く〝魔法陣〟の内側に存在する。そして、魔導回線には絶え間なく〝電流〟が流れている。
魔法陣は、力の循環のために〝円〟の形を描き、だからこそ、逃れ出る切れ目が存在しない。
要は、
「奴らは法陣都市内部に移動したと言うことだ。ならば話は早い。戦術の基礎に則り、逃げ場を削ぐぞ」
魔美は騒々しく狼狽える部下たちに、一喝の代わりとしてピンヒールを鳴らす。
「島外に繋がる交通手段をシャットアウト。ネズミ一匹逃すな! 〝通信管理局(つうしんかんりきょく)〟にも協力を打診しろ!」
いいか?
「相手は魔導書の使い手だ。容赦はするな。そして、恐れるな。我らの団結を以て、不穏因子を刈り取るぞ!」
隊員全員に目配せをして、魔美は言い切った。
「キツネ狩りを始める」
「ハっ――!!」
そして、司令通り隊員は散り散りとなる。ある者は、神霊兵器の動作チェックを行い、ある者は、天空車両に跨がり空へと昇った。
その中に、まだ若さを残した一人の隊員が、恐る恐るとした様子でこちらに近寄ってくる。
「どうした? 君も持ち場に就きなさい」
「で、ですが、黒衣崎隊長。自分は、彼らの言い分は強ち間違いだけだとは、思えません」
魔美は、やはり若さとは厄介だと思う。まだ、分別が着いていないからだ。
公私の混同や勇敢と無謀の使い分け、建て前と本音。
何より、扱いが難しく、妙に鋭い。
「彼らは仲違いしていたようですし、それに、共犯者の一人は確かに一般市民では……」
「だから何だ?」
魔美は、彼の無謀を一刀の下に断ち切った。
「君の言いたいことは分かった。その上で尋ねるが、君の考えは絶対か? 間違いはなく、そうだと断言できるか?」
「それは……」
「違う? そうだ、仮説だ。では、もう一つ聞こう。君には、彼ら四人を逃し、その結果として法陣都市全土を災厄が襲ったとき、責任を取るだけの覚悟はあるか? 自分の仮説が間違っていましたと言って、住民は君を許すか?」
隊員は何も言わず、凍り付いたように動かない。
改めて、彼は若いと思う。まだ、こちらを論破する術を持たないことや、必要以上に打たれ弱いことが。
「分かったら、持ち場に就け。時間が惜しい」
「ハ、ハっ――! 失礼な物言い、申し訳ありません!!」
ただ一つ、真面目さは評価できるか。
走り去る部下の後ろ姿を、無感動に眺めて、魔美は呟く。
「逃さないさ、絶対に。――ようやく見付けたのだから」