第五章:魔女――1
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空が、夕焼けに燃えている。
屋上の中央部に威風堂々と直立し、腕組みをしている女は、宛ら夕焼けを身に纏うようだ。
赤ずくめのビジネスウェア。炎を灯す緋色の眼差し。
思わず、政が呟いた。
「黒衣崎、魔美」
魔美が、己の名を呼んだ政に対して、首を縦に振る。特に感情を込める訳ではなく、事務的に、社交辞令的に。
「脱獄などして貰っては困るな。これでも、我は〝黎明警察署〟の重役なのだ。沽券に関わるだろう?」
魔美は嘆息混じりに告げる。先と同じく、事務的な釈明だ。
所謂、建て前と言うものだろう。彼女に取って、重要な問題は、
「ドグマ・ルイ・コンスタンス。君は、我と取引をしたのではなかったか?」
こちらである。
「確かに、君は己の血液を提供し、〝魔導書〟の解読に協力してくれた。そのことには礼を言おう。だが、取引は終わっていない筈だ」
そう。ドグマと魔美の取引では、ドグマの二つの約束を担保に、三人の身柄の保証を取り付けるものだ。
実際に、ドグマは魔導書の解読権譲渡。即ち、DNAが含まれる血液を提供した。
しかし、もう一つの約束は守られていない。
「君は、我たちに無抵抗を貫く。そう約束しただろう? ならば、現時点での君の行動は、取引の内容と大きな隔たりを持っている」
だとすれば、
「我は、他三名の身柄の保証。その約束を、守れなくなってしまう。取引においては、内容を遵守してほしいものだが、……強硬手段に出ても良いのだろうか?」
ドグマは約束事を半分しか守っていない。半分も守った、などとの言い訳は通用しないだろう。
約束事は、満足に果たして初めて価値を得るのだ。
ゆえに、約束を破ったドグマに対して、魔美が、律儀に約束を遵守する必要はなくなった。
三人の身分を公開する。それを躊躇う理由がなくなってしまったのである。
ドグマが言葉を呑み、俯く。
「構わない」
代わりに口を開いたのは、彼女の隣に立つ政だった。
「少なくとも、オレの身分はいくらでも公表してくれ」
彼の視線は前を向き、一直線に走っている。留置所での様子が嘘に見える、強く鋭い眼差しだ。
「ともすれば、君は世界を敵に回し、永劫とも呼べる逃走劇を演じなくてはならないのだが? 月詠政」
挑発。いや、抑圧に近い、魔美の脅し。
火眼が、メガネの奥にある濃紺を射貫く。しかし、政は揺るがなかった。
「上等だよ。世界中が敵になろうが、人生が悲劇で覆い尽くされようが、知ったことか。その程度で怯えていたら、命を賭けた一人の女性を裏切ってしまうだろう?」
寧ろ、不敵に笑いながら、
「覚悟はできている。ドグマがいてくれるからね」
彼は、右の親指を下に向ける。
「一人で格好付けてんじゃねえよ、政」
「それは、あたしたちも、同じ」
そんな彼の変貌を愉快そうに見ながら、哲也とフィロが同調した。
「こっちにもな? 隊長さん。魔導司書保護団体っつう後ろ盾があるんだよ。今回の暴挙は、団体の一員としてきっちり報告させて貰う。世界中が自分の味方だなんて妄想して、高飛車ぶってんじゃねえよ」
〝魔導司書保護団体〟に所属する哲也に取って、現状は必ずしも、悪いことずくめではない。
冤罪、工作、脅迫など、魔美たちのやり方は強引すぎた。
現在、表立った行動ができない保護団体にしては、決起する絶好のチャンスとも言えるだろう。
不当な手法を用いて、〝魔導司書〟を捕縛した〝七柱軍〟に対して、世論が賛同するとは思えない。
だとしたら、保護団体側に追い風が吹く。
「そんな訳だからな? ドグマ。オメエが、一人で無茶したり我慢したりする道理は、どこにもねえんだ」
歯を見せる哲也。穏やかに微笑むフィロ。そして、頭をぽんぽんと撫でている政。
三人の目線を受け、ドグマは眉を寝かせた表情で、公言した。
「黒衣崎隊長。ワタシは取引の破棄を宣言します!」
つきましては、
「全面的に、抗争しましょう」
対して、魔美が見せた反応は、億劫そうなものだ。
黒いロングストレートの髪を掻き上げ、重苦しく溜め息を吐いて、だが、確かな口調で言った。
「それは困るな。今になって、君を失う訳にはいかないのだよ」