若き長

 白昼。山間に細々とある村のあふれる活気により生まれる喧騒に紛れ、ざらついた硬い石の地面を強く打ち鳴らして走る足音が響く。音の感覚が狭いあたりから、慌てふためく心境が聞いて取れるその足音は、時折なりを潜めたかと思うと、またすぐに鳴り出す。
 その足音の主である少女は、先ほどから村中を駆け回っている。
 一切の濁りの無い白髪に、透明水彩を差したような赤い瞳を持つアルビノ。眉間には皺の跡も見られぬほど、目尻と眉は垂れていて、先の丸い小鼻は、上品な薄い唇からそう遠くない位置にある。それらを持ち合わせた輪郭は、一切の無粋な歪みも無い曲線を描き、彼女の表情にどことなく幼さをもたらしている。腰ほどもある長い後ろ髪は三つ編みの形で垂らされ、先を薄桃色のリボンで結っている。髪の編み始め付近のうなじには、何か模様の入った薄く平たい髪飾りをつけている。鎖骨の下の控えめなふくらみは、彼女の肌とそう大差のない白いシャツを内側から微かに押し上げ、その辺りに、物寂しげにきゅっと閉じられた、彼女の小さな手が置かれている。くるぶしまでのロングスカートの表面を彩るチェック柄は、絶えず揺れ動き、それが中で彼女の足が忙しなく動いていることを示していた。
 少女は尚も奔走しつづける。走りながら地面を見渡し、時には路傍の長椅子の下を覗き込み、時には家屋の塀の隙間に目をやり、挙句には疲れ果てて地面にへたり込んでしまった。
 そんな様子を見兼ねた若い青年が、少女に尋ねた。

「あの、一体どうなされたんです?」

 ついでに手渡された布で汗を拭わせてもらい、すっかり荒くなった呼吸を、深呼吸で幾らか鎮めてから、少女は答えた。

「大事な首輪が、逃げちゃって」
「逃げたというのは──失くしたのではなく?」

 青年の指摘に苦笑いを返すと、少女はもういちど深呼吸して、おもむろに立ち上がる。それからスカートを両手で払いながら、青年の背中の荷物を見止めた。

「旅のお方ですか?」
「ええ──というよりは、この村に人を探しに」
「ああ、通りで」

 少女は、青年の顔を軽く覗き込むようにして言う。

「見かけないお顔だと、お見受けしたものですから」
「村の顔を、全て覚えてらっしゃるんですか?」

 青年の半ば冗談混じりな質問に、少女は明確に頷いた。

「小さな村ですし、私の仕事の一つでもありますから」

 仕事という単語に、青年は引っ掛かりを覚えたが、しかしてそれすらもすぐに忘れさせてしまう程の少女の美貌に、思わず見惚れてしまう。
 会話の間、片時も崩さない朗らかな微笑。聞く耳にひたすら優しい、柔らかな声。外見に似つかわしい、たおやかな物腰や言動、そして仕草。決して悪目立ちする程ではないが、年頃の娘の中では秀でた面立ち。青年には、少女の人間性の一切を、彼女の顔そのものが語っているように思えた。

「この村が目的地でしたら、一晩ほど泊まっていかれては?」

 青年の背後の宿を指して、少女はそう提案する。
 濃色の木々や丸太で形作られた建物が漂わす風情に、青年は一目で惹かれた。

「そうします。初めての旅なもので、荷作りに張り切りすぎてしまって、荷物が重くて」

 承服の意を示す青年の荷物は、彼の背中より大きい。
 少女は口元に手をやって、くすくすと笑う。

「お疲れでしょう。ゆっくりお休みになりたいのであれば、おもてなし好きなここだと、もっと疲れちゃうかもしれないですけれど」
「いえ、僕もおもてなしは、受ける分には好きですから」
「良かった。村の宿はここ以外に無くって」

 会話に花が咲いたのも束の間。
 少女は探し物を思い出し、声を上げる。その場を去る前に、彼女は布を懐に収めて青年に問う。

「布は洗って、明日にでもお返ししたいのですが、よろしいでしょうか?」

 それはつまり、眼前の美少女とまた顔を合わせる機会。
 青年に、首を縦に振る以外の選択肢は無かった。
 探し人が見つかるといいですね、深い一礼の次にそう言い残し、少女は彼に背を向けて歩みだす。つられて靡く長い髪。青年は、その中で揺らめく髪飾りの模様に、強い既視感を抱いた。
 陽気な時期に時季に盛る花の花弁が、簡易的に描かれている。また、その内側に、小さな円が付け足すように。
 青年は、その円が水滴を意味していることを知っている。また、その模様が、家紋であることも。
 親から離れ、死んだも同然な花びらにすら雫を与える──慈愛の象徴ともいえる家紋。それを持つ少女といえば。
 さては、彼女は──
 次第に離れていく背中を青年が呼び止めようとした途端、彼の視界の中で、髪飾りが大きく左へ振れた。次の瞬間には、戸惑う少女と、彼女になきつく老年の女性が、青年の視界にあった。

「聞いておくれ村長! うちの馬鹿旦那がまたしでかしやがって」
「え、エイヴリルさん? また、って──前回の重傷で懲りたはずじゃ……」
「狩りに行ったわけじゃないんだがね、前々から畑を荒らしてた猪に喧嘩売っちまって」
「……相打ちになったんですね?」

 その通り、と頷き、エイブリルという名らしい老女は、村長と呼ばれた少女の腕を引っ張る。

「とにかく、治療を頼むよ!」
「ほ、ほかに人手は無かったんですか?」
「あんたの処置がいちばん信用できるんだ、ほら!」

 怪我人が出たらしい、その心配もあってか少女は、エイヴリルの初めてではないらしい願い出をしぶしぶ承諾した。エイヴリルは強引ながらも礼は忘れず、少女の手を引いて、現場へ誘導していく。

「…………」

 青年は、背中の重荷に耐え、それについていくことにした。
 例の事が起きたらしい畑に少女が着くと、そこにはおよそ畑とは言い難い光景が広がっていた。
 地表にむき出しとなっている濃い土が飛び散り、その所々に畑の枠だった筈の柵の木片が倒れたり刺さったりしている。エイヴリル夫妻が苦労して育てたのであろう野菜が砕け、ちぎれ、泥に塗れて散乱している。害獣除けの案山子も、胴体から頭部と四肢が散って転がり、原型を留めていなかった。
 この状況から推測されるのは、猪とエイヴリルの夫との死闘が、まさにこの土地の上で行われたという事。その証拠に、息も絶え絶えの猪が、その巨体の自慢だったであろう牙を折られて畑の上に転がっている。かたやエイヴリルの夫らしき人影は、畑の傍にある荷車に腰を掛け、勝利の雄叫びを上げていた。両者とも、同程度の重傷だが。

「アランさん、また動物をいじめたんですか?」

 全身に打撲痕と血の滴る擦り傷を携えておきながら、勝利に酔いしれているのか意の介さない男に、少女は難色を示す。

「人聞き悪いぞ村長。俺は罠を仕掛けたわけじゃねえ──対等な条件下で決闘を申し込んだんだよ。負けた方がこの畑から手を引こう、ってな!」
「……それで、お聞きしますけど、どちらが勝ったんです?」
「もちろん俺さ!」
「だから動物はいじめちゃダメって何度も言ってるでしょう!」
「違う、俺とあのチビ助はあくまで対等な決闘をだな──」

 ここから三度ほど、似たような会話の流れが繰り返される。
 アランというこの男性は、体格に優れ、若い頃は近辺の山で狩りをしていた。還暦を過ぎても衰えない筋肉と狩猟欲求から、現役を引退して、農作を営む現在でも、獣を見ると我を忘れるらしく、殴りこんで血みどろになる度、少女から説教と共に治療を受けている。
 一方、聞く耳持たないアランをなおも叱り続ける少女が真に心配していたのは、目の前の野生児ではなく、動物の方であった。何度となく治療を施しているだけあって、頑丈ゆえにどうせ死なないアランを心配するよりは、彼に目を付けられた動物を気にかけるべきことを承知しているのだ。
 とはいえ、呑気な顔を見なければ痛々しいその姿を放ってはおけず、少女はうみません、アランの傷の具合を確かめる。

「打撲が多いですし、包帯を巻いておきましょう。すみません、包帯はありますか?」

 家にあるという包帯をエイヴリルが取りに行こうとしたところで、青年の声と共に、少女に包帯が差し出される。

「これで足りますか?」
「先程の──ありがとうございます!」

 少女はそれを受け取ると、まず適当な布をエイヴリルが汲んできた水で濡らし、それで粗方の血を拭う。次に包帯を手に取り、アランにあてがう──かと思いきや、青年に振り返り、包帯を胸辺りに抱え、神妙な表情でこう尋ねた。

「確認します──本当に、この包帯をお借りしてもよろしいですか?」

 少女のその言動に、青年は少々面食らうが、どうぞと肯んずる。それをしかと耳にした少女は、青年に頭を下げると、またアランに向き直る。一連のやり取りに疑問符を浮かべる青年だが、少女は、彼にとってさらに理解しがたい行動に出た。
 アランの前に跪き、彼と自身との間に広げた布の上に包帯を置いたかと思うと、その場で合掌し、瞑目しだしたのである。
 困惑する青年とは対照的に、夫妻は分かりきっていたかのような表情で、その様子を見据えている。
 刹那──青年は、風を感じた。
 乾燥を嫌う瞳は、瞼の裏に隠れて潤いを取り戻すと、また露わになる。それは極めて一瞬の、反射的な動作であったが、たったの間に一変した光景に、青年は眩さを感じた。
 依然、瞑目を続ける少女の輪郭を、薄い光が覆っている。それは包帯とアランにまで及び──あろうことか、アランは地から僅かに離れて宙に浮き、包帯までもがひとりでに動き出していた。驚愕する青年を余所に、包帯は人の手など不要とばかりに、勝手に解け、アランの傷へと巻き付いていく。持ち腐れていた青年の素人目にも、それがまさに的確な処置であることが分かる。やがて包帯は、アランの傷を残さず隠すと、残り少ない状態ながら少年の下へと漂ってきて、ふと差し出された彼の手の皿の上にぽとり落ちる。それが光を失うと同時に、少女の疲労を吐き出すような溜め息と、アランの感嘆の声が青年の耳に届いた。

「さすがだな。村長の力は重宝するぜ」
「アランさんには、こうして私に頼らなくていい生活を送って欲しいと思いますけど」
「そりゃあ、俺が死ぬまで無理だ」

 少女の忠告を軽く受け流し、意気揚々と立ち上がったアランは、休むでもなく、畑の再生に手を貸してくれる人材を集めに走っていった。見た目以上にタフな男である。
 エイヴリルは残り、畑で倒れている猪を指して、少女に問いかける。

「で、どうなんだい、あのチビ助は」

 虫の息の猪に歩み寄る少女の目は、無念を訴えていた。

「……最近の動物は敏感ですから、治療の為とはいえ、私の魔力が干渉するとどうなるか」
「どの道、生存競争に負けたからには、もう助からんだろう」

 競争するにしても相手が悪かった命は、憎き人間から奪い取ることのできなかった土地で、ただ死を待つのみ。
 何事においても卑怯を許さないアランが主張するには、ここでの死闘は対等なもの。とすれば、猪の敗因は己の非力。言葉を話せる口があったところで言い訳の仕様の無い、自己の責任。

「鍋にしたら、あんたの気分が良くないだろう。私と夫で楽にして埋めておくから、村長は帰って休んでおくれ」

 少女の心情を察したエイヴリルの優しい気遣いに、少女は無言で点頭を返す。

「……ごめんね」

 小声で猪に謝ると、彼女は足早にその場を去った。
 青年は、包帯を仕舞いながら、心なしか猫背気味に見える少女の背中を見つめている。そんな彼に、エイヴリルが話しかけた。

「旅の者かい。あの子は、どんな小さな命でも、それが潰えちまうのを目の当たりにすると、律儀に心を痛める子なのさ」
「あれほど若いのに、村長を担って?」
「いっそ聖職にでも就きゃいいと思うんだがね」
「……名前は、何というんでしょう」

 エイヴリルは少し目を丸くして、青年に訊き返す。

「知らないのかい──あたしはてっきり、あんたも彼女の事を聞きつけて、こんな辺鄙な村に来たもんかと」

 悲しげな後ろ姿から目は離さず、青年は首を横に振る。

「いや、僕が会う事を夢見ていたのも、きっとあの人だと思います」

 エイヴリルは怪訝な表情を向けるが、答えた。

「似顔絵でも見て惚れ込んだか知らないが──」

 アデル・リトラ。
 数少ない、純粋なる能力者。
 唯一無二の、使役能力者。
 彼女は、津々浦々でこう称される。

 使役者リトラ

見習い孔子
この作品の作者

見習い孔子

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov148923410697701","category":["cat0001","cat0002","cat0003","cat0012","cat0016"],"title":"\u4f7f\u5f79\u8005\u30ea\u30c8\u30e9","copy":"\u3000\u5f7c\u5973\u306f\u3001\u3053\u306e\u4e16\u306b\u304a\u3044\u3066\u3001\u6700\u3082\u9053\u5fb3\u7684\u3068\u3044\u3048\u308b\u3060\u308d\u3046\u3002\n\u3000\u305d\u308c\u3068\u3044\u3046\u306e\u3082\u3001\u5f7c\u5973\u306e\u80fd\u529b\u304c\u7279\u6b8a\u306a\u305f\u3081\u306b\u4ed6\u306a\u3089\u306a\u3044\u3002\u5426\u3001\u3069\u3061\u3089\u304b\u3068\u3044\u3048\u3070\u3001\u672c\u4eba\u306e\u6027\u8cea\u306e\u65b9\u304c\u5927\u304d\u3044\u306e\u304b\u3082\u3057\u308c\u306a\u3044\u3002\n\u3000\u5f7c\u5973\u306f\u3001\u7269\u3092\u64cd\u308b\u3002\n\u3000\u64cd\u308b\u3060\u3051\u306a\u3089\u3001\u4e07\u4eba\u306b\u3068\u3063\u3066\u306e\u53ef\u80fd\u3067\u3042\u308b\u3002\n\u3000\u5f7c\u5973\u306f\u3001\u4f7f\u5f79\u3059\u308b\u306e\u3060\u3002\n\u3000\u5f7c\u5973\u81ea\u8eab\u3067\u7bc9\u304d\u3001\u57f9\u3063\u305f\u3001\u53d7\u52d5\u8005\u3068\u306e\u4fe1\u983c\u306b\u3088\u3063\u3066\u3002\n\u3000\u4eba\u3001\u52d5\u7269\u3001\u82b1\u3001\u77f3\u3002\n\u3000\u6709\u6a5f\u7269\u3082\u3001\u7121\u6a5f\u7269\u3082\u3001\u7686\u3002\n\u3000\u5f7c\u5973\u306e\u624b\u4e2d\u306b\u3042\u308b\u3082\u306e\u306f\u3001\u81ea\u305a\u3068\u305d\u3046","color":"#a3a3ab"}