六 北の大地と糸ひき歌
夜遅くに降った雪で森はすっかり真っ白になっていた。
わたしは雪化粧の山々と氷の張った湖が見える大きなエゾマツの幹に座ってオルゴールに合わせ歌っていた。
「またそのオルゴールを聴いているの?」
いつのまにかお母さんが隣にやって来ていた。
「いい音色ね。なんて曲だっけ?」
「大音の糸ひき歌」
歌詞を知らないのでラララでしか歌えないが、わたしのお気に入りの曲だ。
「長浜はいいところだったみたいね」
「うん。食べ物も美味しかったし、出会った人達もみんないい人だった」
お母さんはわたしの隣に腰を下ろすと、温かいハーブティの入った笹の水筒を渡してくれた。
「お使いに行ってよかったでしょう」
「そうだね。あんなに楽しい場所だとは思わなかった・・・でも旅は大変だね」
長浜から戻るとき、わたしは叔母さんがむかし身を置いていた交易キャラバンに同行させてもらい、陸路で故郷に帰ってきた。
行く時は、たまたま琵琶湖方面に用事があるという白鳥さんに乗せてもらったので、すんなり長浜に着いたのだが、帰りの道中はその何倍もの時間がかかったし、行程もかなり厳しかった。
お土産にと思って買った小鮎の佃煮や、叔母さんが持たせてくれた鮒ずしは故郷までもたず、わたしの胃袋に収まることになった。
けっきょく故郷に持ち帰ることができたのは、工芸品に乾燥ハーブや薬草。そして日持ちのするお菓子だけだった。
水筒の蓋を開けると、湯気と一緒にフワリとハーブの香りがわたしを包んだ。
「いい香りだね」
「新作よ。土地のハーブと、あなたからお土産でもらった伊吹山の薬草をブレンドしたの」
火傷しないように少し冷まして、ハーブティに口をつける。
ハーブと薬草の爽(さわ)やかな香りと、ほんのりした甘みが口の中に広がる。
「うん。美味しい」
わたしはドングリのポーチから堅ボーロを取り出して口に放り込んで、お母さんにも勧める。
お母さんは「ありがと」とボーロを一粒つまんだ。
この堅ボーロも長旅を耐え抜いて長浜から故郷に持って帰ることのできた数少ない品物のひとつだ。
わたしは音の止んだオルゴールのゼンマイを回し、再び曲を流す。
「旅に出たくなったら、いつでも、どこにでも行っていいのよ」
「うん、ありがとう。でもね、わたし初めて旅をして思ったの。わたしはニシクルやキャラバンの人達のように旅が好きなコロポックルじゃないって」
帰りの旅でわたしは自分が長旅は向かないということを痛感した。旅の行程はとても辛いもので、わたしはキャラバンの人達にいっぱい迷惑をかけてしまった。
また長浜に行きたい気持ちはあるけど、あの行程をもういちど行くとなると、かなりの勇気がいる。
もっと簡単に旅ができたら・・・。
「・・・そっか」
お母さんはコリリっと口の中の堅ボーロを噛んだ。
オルゴールの音色がしだいにゆっくりになり、音が止む。
わたしはもう一度ゼンマイを巻いた。
「おかあさん」
「ん?」
「わたしね、帰りの旅路で思ったことがあるの」
「なぁに?」
「交易キャラバンに同行すれば色々な場所に行く事はできるけど、危険も多いし、体力もいる。誰にでもできることじゃない。それに故郷に新鮮な思い出や、お土産を届けることも難しい」
お母さんはわたしの話を黙って聞いていた。
わたしは立ち上って、雲の去った青い空を見上げた。
透きとおった空には、湖を飛び立った水鳥たちが南を目指す姿があった。
「でも、空を飛べれば、旅はそんなに難しいことじゃなくなるんじゃないかな」
鳥たちは悠々と翼を羽ばたかせ、柔らかな陽の光の中を編隊を組んでゆっくりと上昇してゆく。
「わたしは、ここに住むみんなにもっと外の世界を知ってほしい。ここにはない文化に触れて、食べたことのない美味しい物を食べてもらいたい。そして異国の歌を聴いてほしい」
わたしのいるエゾマツの上空を白鳥さん達がパイプオルガンのような鳴き声をあげながら飛んでゆく。
「わたし、空飛ぶキャラバン隊を作りたい。簡単なことじゃないのはわかってる。でも、やってみたいの」
お母さんは湖を見ながら小さく息をついた。
「いまは心の中で思っているだけのことだけど、思いを言葉にして、みんなのためになると信じたことをやりたい・・・」
そこまで言って、わたしは照れ笑いを浮かべた。
「まだ、具体的な計画なんて何もないんだけどね」
お母さんはわたしを振り向き、ニコッと笑った。
「いいじゃない。楽しみはこれから、ってことでしょう」
「うん。でも、キャラバンの名前だけは考えてあるんだ」
「へぇ。なんていう名前なの?」
「モンデクール」
「戻ってくる。か・・・いい名前ね」
遠い異国の糸ひき歌は風にのり、静かな雪の森に響いていた。