一 はじめての土地、はじめての街

初めて故郷を離れて遠く知らない土地へ来た。
理由は、お母さんに近江の国に住む叔母さんの所へお使いを頼まれたからだ。
お母さんは旅を経験するには遅いくらいだと言っていたけれど、あまり故郷の森から出たくないわたしとしては、迷惑な話だ。
わたしは北の大地に住むコロポックルという妖精族で、名前はウパシ。故郷の言葉で雪を意味する。成りは小さく、背丈は少し大きめのマツボックリくらい。
叔母さんの家は周囲を山に囲まれた余呉湖という小さな湖の畔の森にあった。
少し離れたところに日本一広い湖と名高い琵琶湖があるのだが、風が強い日が多くてわたし達のような小さな妖精族が住むには向いていないそうだ。
今日は叔母さんに連れられて、その琵琶湖に程近い長浜の街に行く予定になっている。
なんでも羽柴秀吉とかいう人間が造った城下町なのだとか。
故郷の森にはそんな場所がないので、楽しみ七分、緊張三分といった感じだ。
「ウパシ、準備できた?」
叔母さんのイセポがヒョイと扉から顔を覗かせた。
「うん。できた」
準備といっても蕗(ふき)の葉で作った鞄を肩からかけるだけだ。中には財布と叔母さんからもらった街の地図が入っている。
「今日は鳰(にお)に乗って行くからね」
「におって、なに?」
「カイツブリのことよ。わたし達みたいな小さき者の輸送を引受けてくれるの。とても気のいい優しい鳥なのよ」
「へぇ、白鳥みたいだ」
「あそこまで大きな鳥じゃないけどね。ああ、ウパシは白鳥に乗ってここまで来たんだったね」
「うん。たまたま琵琶湖まで飛ぶって子がいたから乗っけてもらった。出発のタイミングがよかったんだね。もし乗せてもらえなかったら、まだ出羽(でわ)か陸奥(むつ)かの辺りをうろうろしてたんじゃないかなぁ」
「旅ってのは、運任せ。みたいなところもあるからね。まぁ、そこが楽しいのだけれど」
そんな会話をしていると、表から「イセポさ~ん」と叔母さんを呼ぶ声がした。
「おや、もう鳰(にお)が来たようね」
表に出ると、二匹の鳥がかしこまって立っていた。
頭から背中にかけては濃い褐色で、お腹の辺りは淡い褐色をしている。頬から側頸(そくけい)にかけて黄色い羽毛が生えていて、クチバシは短く、尖っている。
「本日はカイツブリ空輸をご利用いただき、ありがとうございます。今日の担当は、わたくしニゴロと娘のカジカが務めさせていただきます。」
頭の薄くなったカイツブリが恭(うやうや)しく頭を下げた。若いカイツブリもそれに習う。
「いいえ。こちらこそ、今日はよろしくね。ニゴロさん」
「ニシクルさんもいつの間にか、お戻りになっていたのですね」
ニゴロというカイツブリがわたしを見て話しかけてきた。
「ああ。違う、違う。娘はまだ旅に出たまま帰って来ていないわ。この子は姪のウパシ。娘とよく似ているでしょ」
わたしは「こんにちは」とニゴロさんに頭を下げた。
「そうでしたか。それはとんだ失礼を」
「いいえ。ニシクルとは子供のころからよく間違われていましたから」
わたしよりひとつ年上のニシクルは毎年初夏になると、叔母さんと郷帰りでわたしの家に遊びに来ていた。一緒に遊んでいるとよく双子と勘違いされたものだ。
「ウパシさんは翼を持つ者に乗るのは初めてですかな?離着陸の時にかなり揺れますよ」
「それなら心配いりません。慣れたものです」
普段わたしはスズメに乗って出かけることが多い、彼らはけっこう急な動きをするので、それに合わせるのが難しいが、慣れてしまえばたいていの鳥に乗ることができる。
「そうですか、それではカジカの背に乗って下さい。イセポさんはわたしが運びましょう」
そう言うとカイツブリ達は足を折り、翼をスロープにしてわたし達を乗せてくれた。
わたしが背に落ち着くのを待って、カジカが「うちはカジカや。よろしゅうな」と挨拶をしてくれた。
「わたしはウパシ。今日はよろしくお願いします」
挨拶を返すと、カジカは大きく翼をひろげた。ニゴロがカジカに先だって大地を蹴る。
「ほな、飛ぶで。しっかり摑まりや」
そう言いうとカジカは羽ばたき、ニゴロの後を追って飛び上がった。
朝靄(あさもや)に煙る余呉湖畔から一気に上昇し、賤ヶ岳(しずがだけ)を軽く飛び越す。
水平飛行に入るとパッと視界が開けた。
「うわぁ。なまら、あずましい」
雲の切れ目から陽の光の帯が琵琶湖の湖面に伸びて、幻想的な景色を創り出している。
湖面にある光の輪の中に小さな島が照らし出されていた。
「あれは竹生島いうてな、弁天さんが居てるんやで」
カジカが島のことを教えてくれた。
その他にも琵琶湖の上空を飛んでいる間、カジカは目に映る変わったモノや土地の名所を色々と教えてくれた。水鳥を模した建物とか。そのむかし、人間達の大きな戦があったという河とか。
なんでも姉川古戦場と呼ばれる場所には今でも怨霊の類が出るのだとか。
くわばら。くわばら。
左手に伊吹山が見えてくると、カジカは大きく旋回して、お城に程近い場所に着水した。
「束の間の空の旅はいかがだったでしょうか。当翼(とうよく)は定刻どおり長浜城湖上着水場に到着いたしました」
ニゴロのアナウンスが流れ、二羽のカイツブリは太閤井戸と呼ばれる地の近くの浜に上陸した。
わたしと叔母さんはカイツブリ達に礼を言い、森の中へ歩みを進めた。
「さて、ここからはムジナバスに乗るよ」
ムジナバスとはタヌキやハクビシン達が中心として組織している陸上交通で、全国各地に支店がある。場所によってはオコジョやイタチが運び手をやっているらしいが、たいていはタヌキがこの生業を仕切っている。
大きなクスノキの下に行くと、まるっとした大きなタヌキが丁度やって来たところだった。
「おや、イセポさん久しぶりやなぁ。ニシクルもいつ戻ったんや?」
どうやらこのタヌキもわたしをいとこと勘違いしているようだ。
叔母さんはカイツブリ達にしたのと同じ説明をタヌキにした。
「へぇ。そうなんや。ほんまにソックリやなぁ。あ、ワシはイワトコや。みんなイワって呼ぶし、そう呼んでくれ」
そう言って、イワさんはわたし達の前に寝そべった。
「もう少ししたら出発するし、まぁ、背中に乗って待っててやぁ」
叔母さんとわたしはイワさんのシッポから背に登り、首元に落ち着いた。
イワさんはとてもフワフワで、キンモクセイみたいないい香りがした。
しばらくすると、わたしみたいな小さき者の他にカヤネズミやヤマネ、リスなどの小さな生き物たちが乗り込んできた。
「ほな、いくでぇ~」
イワさんはゆっくりと立上ると、小走りで森を抜けて人間の造った大きな道の手前で立ち止まった。そして注意深く周囲の様子を窺うと「こっからは飛ばすで、落ちんとってや」と乗客達に注意を促した。
まさに風の如く。
イワさんは早朝の住宅街を駆け抜け、人間の目に触れないように目的地へとわたし達を運んでくれた。
小池のある森に辿り着くと、イワさんは古い建物の軒下に潜り込んだ。
どうやらここが街のムジナバスのターミナルのようだ。
イワさんの他にも数匹のタヌキ達がお客を下ろしていた。
「到着や~。ああ、疲れた」
イワさんはわたし達を降ろすと、胡坐をかいて煙管(きせる)に火をつけた。
「ありがとうね、イワさん」
そう言って叔母さんはイワさんに干した鮎を差し出した。
そういえば叔母さんはカイツブリ達にも干し鮎を渡していた。
「ん?ああ、おおきに。イセポさんの干し鮎、久しぶりやな。これ喰ったらメッチャ元気でんねん」
「大勢のお客さんを乗せるのは大変でしょう。みんな帰りは大荷物を抱えて来るから、走るのも気を遣うんじゃない?」
「せやなぁ。でも、ワシらが好きでやっとる仕事やさかい、苦にはならへんで」
「わたし達みたいな小さき者はムジナバスがないと生活ができないから、イワさん達がいてくれてとても助かっているのよ」
「そうか。そう言ってもらえると、ワシらも商売に身が入るってもんや。ワシもあんたが卸してくれる膏薬(こうやく)の世話になっとるよ。あれのおかげで毎日元気に走れるんやで!」
そう言ってイワさんは豪快に笑った。
なるほど。イワさんから香っていたキンモクセイの香りは叔母さんの膏薬の香りだったのか。
「さて、ウパシ。わたし達も行こうか」
わたし達はイワさんにお礼を言って、軒下のムジナバスターミナルを後にした。

長浜の街は、小さき者のわたしには、とても広い場所だった。
人間が造った商店の隅(すみ)や軒下。天井を利用して、妖精や動物たち、そしてモノノケまでもが店を構えていた。
叔母さんの話によると、人に化けることのできるモノノケや動物たちは、人に紛れて生活していて、わたしのような存在がこの街で人間の目に触れることなく生きていけるように図らってくれているのだとか。
商店から商店へ続く小道や、大通りの下を通るトンネルはそういった者がこっそりと造ったものだという。
叔母さん曰く。
「たいていの人間は自分達のことしか見ていないからね。わたし達が隣にいても気づかないものだけど、たまに見える人間もいるんだよ。だから用心に越したことはないの」
だそうだ。
ターミナルを出てすぐに、街の交通を担うイエネズミの子日(ねのひ)タクシーを捕まえて、わたしと叔母さんはこども歌舞伎の絵があしらわれた大きなアーケードの前に来た。
「ここが大手門通りの西門だよ。少し後ろにもどったら黒壁ガラス館とオルゴール館があるからね。ウパシの好きそうな物がいっぱい置いてあるよ」
「楽しそうな街だね。わたし、こんなに人間を見たのは初めてだ」
「ここは故郷の森とは違うからね。人間には十分に注意するんだよ。あと、モノノケやヘンゲが営んでいる店は地図に赤丸を付けておいたから」
わたし達は人間に化けることのできる動物のことをヘンゲと呼んでいる。
「ありがとう。叔母さん」
「それじゃ、わたしは品物を卸(おろ)してくるから、陽が傾く頃にそこのおうどん屋さんで待ち合わせね。しっかりお腹すかせてくるんだよ。美味しい『のっぺいうどん』を御馳走するから」
叔母さんは西門の傍(そば)にあるお店を指さした。
「ああ、それとコレ渡しておくわね。子日(ねのひ)タクシーの一日乗車券。遠くへ移動する時に使うといいわ」
そう言うと叔母さんは「じゃぁ、後でね」と近くの軒下に消えていった。
さて、これからどうしようか。
せっかく知らない街に来たんだし。楽しまなきゃ損だな。
わたしは鼻歌交じりに叔母さんが教えてくれた黒壁ガラス館と足を向けた。

いなほかえる
この作品の作者

いなほかえる

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov15357949832980","category":["cat0800","cat0801","cat0001","cat0005","cat0008","cat0017","cat0024"],"title":"\u30e2\u30f3\u30c7\u30af\u30fc\u30eb","copy":"\u304a\u6bcd\u3055\u3093\u306e\u304a\u4f7f\u3044\u3067\u5317\u306e\u5927\u5730\u304b\u3089\u9577\u6d5c\u306b\u3084\u3063\u3066\u6765\u305f\u30b3\u30ed\u30dd\u30c3\u30af\u30eb\u306e\u30a6\u30d1\u30b7\u3002\n\u77e5\u3089\u306a\u3044\u7a7a\u3092\u30ab\u30a4\u30c4\u30d6\u30ea\u3067\u98db\u3073\u3002\u306f\u3058\u3081\u3066\u306e\u8857\u3092\u30cd\u30ba\u30df\u3068\u99c6\u3051\u308b\u3002\n\u6545\u90f7\u3068\u306f\u96f0\u56f2\u6c17\u3082\u6587\u5316\u3082\u5168\u304f\u9055\u3046\u571f\u5730\u3067\u3001\u5f7c\u5973\u306f\u306a\u306b\u3092\u611f\u3058\u3001\u306a\u306b\u3092\u601d\u3063\u305f\u306e\u304b\u3002\n\u5c0f\u3055\u306a\u30a6\u30d1\u30b7\u304c\u9577\u6d5c\u306e\u8857\u3092\u5de1\u308b\u3002\u306e\u3093\u3073\u308a\u3001\u307b\u3063\u3053\u308a\u306a\u65c5\u7269\u8a9e\u3002","color":"#c8dcdc"}