これからの事
「ところで琴美ちゃん、これからどうするつもり?」
伊香の問いかけに琴美はしばらく思案してから、呟くように言った。
「『琴美』をやめて、違う人間としてまた地上でやり直そうかな」
「え」珍しく伊香が目を丸くして驚いた。「もう羽衣は使えるんだから、天界に帰ることもできるのに」
「世の中にはね、理屈じゃ成り立たないことが山ほどあるんだよ。私が帰らない理由もそのひとつ」
伊香の言葉の受け売りをして、柳の切り株を撫でた。
「それに、この柳が元通りになるのを見届けなくちゃいけない気がするしね」
「そりゃまた長くここに居座る気だなあ」伊香は相変わらず、ガハハと声を出して笑った。「ま、どこに住むにしても、長浜が琴美ちゃんにとっての地上の故郷だ。疲れたときとか、癒されたいときとか、俺に会いたいときとか、そういうときにぴったりの場所だからな。いつでも戻ってきなよ」
「そうするよ」琴美は羽衣を丁寧に畳んで仕事鞄にしまう。「俺に会いたいときがあることを否定しない!」と喜ぶ伊香を尻目に鞄をごそごそと探っていると、手のひらサイズの堅いものが手に当たった。なくしたと思っていたスマートフォンだ。画面をつけると、恐ろしいほどの電話やメールの通知があった。琴美は迷わず初期化ボタンを力を込めて押す。これでしばらくすればスマートフォンだけではなく、『琴美』を取り巻く人間関係も初期化される。
「今時の天女はデジタルも使いこなすのか」
手元を覗き混んで伊香は感心したように言った。
「便利なものだよね」琴美はスマートフォンを鞄にしまう。
「じゃあ、俺の仕事はこれで仕舞いだ。天女も見つけて、琴美ちゃんからの依頼も解決した。バイト代はこれで足りるな?」
「あ、もう一個だけ」
「なんだ?仕事の後出しはずるいぞ」
伊香はおどけた口調で応じる。琴美は照れたように鼻を触りながら言った。
「私の、次の名前を考えてほしい」
長浜駅で二人は別れることにした。二人は相手がそれぞれどこへ帰るかを知らない。それでも二人は再びこの地で出会えることを信じていた。
「じゃあ、『烏賊さん』」
「じゃあ、『香ちゃん』」
「「また長浜で」」