お初様と

今は北陸自動車道に小谷城スマートインターチェンジができ、城の入口にあたる番所跡までの林道が整備され、小谷城跡に行くのに便利になったが、私は30年前と同じ道路を通り、追手道入口から山道を歩き本丸跡を目指した。
山道を歩くにつれ、過去の記憶が蘇ってくる。
30年前とほとんど変わってない、ここは間違いなく彼と一緒に歩いた場所だ。
桜馬場跡から見る景色も変わってない。
考えてみたら当たり前か、琵琶湖の形が変わっていたり、竹生島が無くなったりしてたら、それこそ大変だ
私はお初様に会える喜びでテンションが上がりすぎているのかもしれない。
「落ち着け、落ち着け」私は自分自身に言い聞かせ、本丸跡にむかった。
広い平地とその向こうに見える石垣跡。あと少しで本丸跡だ。
私は石垣跡の急斜面を駆けあがった。
30年ぶりの小谷城本丸跡。
あの時のように、お初様と話ができるだろうか。
『30年前、お初様とお話させていだいた宏美です。憶えておいでですか?』
『宏美、よく来ましたね。あなたとのことは昨日のことのように憶えていますよ』
やっぱり、お初様だ。姿は見えないけど、お初様の声が聞こえる。
『今日はお初様といっぱい話をしたいんです』
『いいですよ。あなたも夫を亡くされて、大変だったみたいね』
『知っておられたんですか?』
『知っていました。だけど、あなたの夫も私の夫も、ひとつのことをやりきったので、本望だったと思います』
『お初様と高次さんは若狭8万5千石で満足だったんですか』
『満足も何も、若狭は私が望んでいただいた所ですから』
『お初様が?』
『そうです。宏美は私のことを思って、おもしろ、おかしく話を作ってくれましたが、若狭は私が望んだのです』
お初様は、何でも知っているんだ。どうして?
『家康殿は、関ヶ原の功績に畿内なら30万石、遠国なら40万石差し上げると言ってくださいましたが、畿内は徳川と豊臣が再び相まみえたとき、必ず戦場になる。さりとて、遠国ならいざの場合、姉上を助けられない』
『それで、若狭を』
『もう戦はごめんです。だけど、大阪城には姉上がいる。それで戦乱に巻き込まれることもなく、畿内からもそう遠くない若狭の地は選んだのです』
『そうだったんですか』
『世間は夫、高次が怖気づいて、家康殿の申し出を断ったと思ってるようですが違います。
あの人は若い頃は失敗もありましたが、決してトホホホな人じゃありません』
ヒエ~。お初様、もう勘弁してください。これじゃ今日、私は何しに来たのか分からなくなります。
『お初様。高次さんのことトホホホとか言ってすみません』
『いいんですよ。ホタル大名って言われてたのは、本当ですから。でも、私はそんなあの人がいとおしかった』
『お初様は、高次さんを愛してたんですね』
『え、え。宏美と同じです』
私と同じって参ったな。それでは、あの事も聞いてみるか。
『お初様。私とお初様は子どもができませんでした。私はそのことで結構、辛い思いもしました。お初様の時代なら、もっと辛いことがあったんじゃなんですか』
『私たちの時代は、子どもを産み、お家を守ることが女の努めのように言われていましたが、子どもを授からなくても生きる道はある。私は、そう思っていました』
やっぱりお初様は強い人だ。あのことも、先に謝っておこう。
『高次さんと他の女の人にできた子どもを、嫉妬のあまり殺そうとしたというのはデマだったんですね。そんなデマを信用しちやって、すいません』
『あ。それは本当です』
ホンマやったんか~い。
『私には子どもができない。その女は、すぐに子どもができた。もう、悔しくって悔しくって。だけど、殺そうと思っただけですよ』
『実際には、なんの手だしもしてないんですか』
『もちろんです。お江じゃあるまいし』
ここは笑うところじゃないだろうけど、私は笑いそうになった。
妹、お江の嫉妬深さは有名だ。秀忠が将軍になった後も側室を持つことを許さず。
秀忠がただ一度、侍女と間違いを犯したのを特殊な嗅覚で探り当て、懐妊していると分かると、胎児もろとも殺そうとした。
奇跡的にその侍女が助け出され、生まれてきた子がのちに会津藩主となる保科正之である。
ご存知のように、会津藩は幕末、ボロボロになりながらも 徳川のために最後まで戦った藩だ。
私はこの話に、歴史の不思議を感じる。
歴史とは縦糸と横糸が織りなす一枚の布のようなものだが、その糸がどこで繋がり、どこで切れているかは誰にもわからない。
いや、いや。歴史ロマンに浸っている時じゃない。肝心なことを聞かなくては。
『高次さんが亡くなった後、大阪の陣がおこり、お初様は両陣営の和睦に奔走されましたが、どうしてです』
『どうしてとは、どういうことです』
『そんな大変なことしなくても、傍観することもできたんじゃないですか?』
『確かにそのとおりです。黙って見てることもできたでしょう。だけど、姉上を見捨ててはいけない、私にしか出来ないことがある、その思いでふたたび乱世の中に身を投じたのです』
大阪冬の陣は、徳川方の大砲の威嚇射撃により、恐怖におののいた大阪方が和睦の条件をのみ終結したのだが、交渉の大阪方の使者となったのが、お初様だった。
しかし、家康は和睦の条件を守らず、城の内堀まで埋めてしまったのだ。
お初様自身がのちに「あの和睦は、偽りのはかりごとだった」と語っている。
家康が謀略・陰謀・恫喝ありとあらゆる手段を使って豊臣の家を潰そうとしたことは、明らかで、半年後、再び軍勢を集め大阪城に攻め込んできた。大阪夏の陣である。
お初様は、それまでに三度にわたり家康に謁見。
なんとか和平の道を見つけようとしたのだが、家康の態度は頑なで話し合いは、無駄であった。
『お初様は何故、最後まで大阪城に留まっておられたのです』
『姉上を見捨ててはいけない、それと私に救える命があるのならば救いたいと思ったからです』
お初様は最後まで、姉の茶々を見捨てようとしなかったが、茶々は豊臣のために命を捨てる覚悟。
それが姉の選んだ道ならば、もはやこれまで。
お初様は燃え盛る大阪城を後にしたのだ。
『茶々様は仕方なかったとして、他に救える命とは誰のことです?』
『私が城を抜け出ようとした時、侍女たちが私のもとに駆け寄ってくるではありませんか。
みんな初めてのことで、ひどく動揺しているので私が城外の安全な所まで連れて行ったのです』
さすがお初様だ、だてに3度も落城を経験してない。
しかも自分の命も危ないのに、見ず知らず侍女を助けようとしたとは、それにしても日本はおろか世界でも4度も落城の憂き目をみた女性はいないだろう。
お初様はそんな不運をものともせず、あの時代を生き抜いたのだ。
私は感動し、うれしくなって泣き笑いで声に出して言った。
「よ!落城の女王」
『落城の女王。なんですかそれは』
『お初様は激動の時代を、本当に自分らしく生きられたのですね。やはり私はお初様こそもっと評価されるべき人だと思います』
『私の生きた時代は、今のように女が自由に生きられる時代ではありませんでした。その中で、私も姉上も妹も、そして多くの女たちも精一杯生きたのです。それだけでいいじゃありませんか。後世の評価など私たちに関わりのないことです。それより宏美、あなたは今を精一杯生きていますか』
私は「はい」とは言えなかった。
『あなたの亡くなられた夫も、あなたの姉妹も、そしてあなたを待っている人たちも、以前のように輝いているあなたを見たいのです』
そうだ。私を必要としている人がいるのなら、もう一度、頑張ってみたい。
だけど、私にそれだけの気力が残っているだろうか。
『お初様、私はもう一度、頑張れるでしょうか』
『宏美、自分を信じなさい。あなたは常にそうしてきたではありませんか』
初めて小谷城跡にきた時、お初様に自分の信じる道を進みなさいと言われ、私はそれから、いつもそうしてきた。
『分かりました』
『さあ、宏美行くのです。あなたを待っている人の元へ』
「はい」
私は山を駆け下り、デイサービスセンターへとむかった。

近江屋草助
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近江屋草助

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