その後のその後

滋賀県に引っ越してから、あっという間に20年の月日が流れた。
この間、いろんなことがあった。
滋賀県南部の草津市・守山市などの湖南地域の発展は目覚ましく、人口が急増しそれに伴い住宅やマンションが次々と建てられ、おかげで彼の会社の業績もアップし、営業所から支社になって彼も支社長なった。
私もデイサービスセンターでずっと働いている。
利用者さんから「宏美ちゃん、宏美ちゃん」と慕われ、今では本当に介護の仕事に関わって良かったと思っている。
結局、子どもは出来なかったが彼が浮気をすることもなく、私たちはいつまでも仲が良く。
休日には2人で出かけ、お初様の故郷、長浜にも何回も行っている。
ガラス館を中心にした黒壁スクエアは行くたびに新しい店が出来て、いつも小さな感動をくれた。
自然も豊かで歴史がまた凄い、浅井三姉妹だけでなく秀吉の長浜城、姉川古戦場など戦国時代に興味がある人にとってはまさに聖地だ。
初めて長浜の郷土料理、焼鯖素麺を食べた時のことは忘れなれない。
「これの、つけ汁は?」
焼鯖素麺につけ汁がついてないので彼が聞いたのだ。
「そんなものありません」
店の子もアルバイトみたいで、つけんどうな返事をした。
「素麺はつけ汁がなかったら食べられへんがな」
「だから、ありません」
店の子とケンカになりかけたが、店の主人がでてきて「焼鯖素麺は焼鯖を出汁で煮込み、その煮汁で素麺を煮るんで麺に味がついています。だから、つけ汁はありません」
今思い出すと赤面ものだ。
長浜には私と彼の想い出がつまっていが、小谷城跡には結婚を決めたあの日以来、いってない。
車で何度も近くを通ったが、2人とも小谷城跡に行こうとは言わない。
あの場所は2人にとっての聖地だ。よほどのことでなければ、行ってはいけない所なのだ。
彼は私があの日、口走った「お初様」が誰のことか気が付いていたが、高次のことまでは知らなかった。
「僕って、そんなに頼りない」
ある日、帰ってくるなり彼が言ってきた。
「何よ。いきなり」
「宏美さんが浅井三姉妹のお初さんやったら、僕は京極高次やん」
たまたま書店に行ったら、浅井三姉妹の本が平積みされていたので読んでみると、お初の夫がホタル大名と揶揄されていたと言うのだ。
男がプライドを傷つけられてスネている時は、こちらも卑屈にならない方がいい。
私はあえて強気にでた。
「中村君。お初様は生涯、高次を愛したんだよ。あなたは私に愛されるのが不満なわけ」
「そんなことないけど」
「ならいいじゃない」
「そしたら僕は、高次さんみたいに早よ死なんように気つけるわ」
高次は関ヶ原の合戦から9年後の1609年、病に倒れ亡くなっている。
若狭の地に移り住み、城下の整備に奔走し小浜城を築きやっと平穏な日々を送れると思った矢先であった。
「そうよ。私の大事な大事な旦那様ですもの、長生きしてよ」
そんなことを言い合った日もあった。
2018年の春、彼は定年で退職しこれから第二の人生を送るはずだった。
送るはずだったとうのは、彼が亡くなったのだ。
退職前から身体の不調を訴えていたのだが、退職後の人間ドックで癌が見つかったのだ。
もっとも発見しにくく、治療がむずかしい膵臓癌だった。
発見された時にはすでに手遅れで3ケ月の闘病生活の後、彼は他界した。
私は彼が亡くなってからの記憶がない。
葬儀の手配などはすべて姉がやってくれたのだが、私は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言って姉にまとわりついて泣いていただけだ。
葬式の後1ケ月ほどは京都の実家にいたのだが、一旦、滋賀県に戻ることにし、働く気力が湧ないので、介護の仕事はやめたいと姉からセンターに伝えてもらった。
滋賀の自宅に戻ってからも何をするでもなく、ただ日にちだけが過ぎていった。
今年の夏は記録的な猛暑だというニュースが何度もテレビで流れていたが、ほとんど外に出なかったので、私にはその実感はない。
秋になり姉から電話があり、今晩、実家に来るように言われた。
なんとなく億劫だったが、「絶対に来なさい」と強い口調で言われたので、行くことにした。
実家には妹も来ていた。
姉と妹は長年、絶縁状態であったが私も仲介に奔走し、なんとか和解したようだ。
姉は建材店を続けていたが、7年前、父を看取った後店をたたみ。
かつての社長秘書の経験を生かし、マナー教室を立ち上げ今も母の面倒をみながら、多忙な日々を送っている。ほんと姉は昔からパワフルな人だ。
一人息子もすでに結婚し独立しているが、子どもはまだいない。
妹は東京で院長夫人として優雅に暮らしているかと思えば、そうでもないらしい。
医者のつき合いは大変で、いまだに気を使うことばかりで毎日気がぬけないようだが、バトルを繰りひろげてきたお姑さんとは、お互いに年齢を重ねてきて、すこしは分かりあえたようだ。
息子は2人とも医者になり結婚して子どももいる。
今のところ、妹だけがおばあちゃんになった。
母は姉の息子夫婦の家に行っていて、今日は何十年ぶりかの三姉妹水いらずで、私の好きな手巻きずしも用意されていた。
子どもの頃の話になったが、姉も妹も小さい時から結構、私のことを意識してたみたいだ。
「2人とも学生のころから有名だったんだから、私のことなんか気にしてなかったでしょう」
「そんなことないわよ。宏美は小さい頃からしっかりしてたから、よくどっちが姉か分からないって言われたものよ」
話すうちに私の気持ちも和んできた。
「今日の昼間、愛子とあなたが働いていたデイサービスセンターに行ってきたの」
「どうして、あそこはもうやめたのよ」
「いや、あなたはまだやめたことになってない。休職あつかい」
「お姉ちゃん凄いわね。私なんか、大変だったんだから」
デイサービスセンターを訪ねた2人に対して、利用者さんが「宏美ちゃんは元気にしてるのか」「宏美ちゃんはいつ来るのか」と質問攻めにしたらしい。
「あんまり何度も同じことを聞くもんだから、私は姉のマネジャーではありません。こう言ったら、宏美ちゃんは、そんな言い方しない。あなた本当に宏美ちゃんの妹さんなのって言うわけよ」
「それで、愛子はどう言ったの」
「よく出来た姉の妹がこんなんで申し訳ありません。こう言うしかなかったわよ」
私は思わず笑ってしまった。
「宏美。そろそろ元気だしなよ」
「そうだよ。お姉ちゃん」
姉妹の気遣いがうれしかった。
「宏美。あんたの大好きなお初様は、旦那が亡くなった後、いつまでも落ち込んでいた」
知ってたんだ。
「どうして、知ってるの」
「そりゃ分かるわよ。私たちは姉妹なんだから」
「お姉ちゃん。お初様が本当に活躍したのは、ここからなんだよ」
お初様は高次が亡くなった後、出家して常高院と名乗り夫の菩提を弔う道を選んだのだが、世はふたたび乱れ彼女が平穏に暮らすことを許さなかった。
私にお初様のような気力が残っているかどうかは分からないが、今の答えはこれだ。
「私、お初様に会いに行ってくる」
「うん。そうしなさい」
「がんばれ。お初ねえちゃん」

近江屋草助
この作品の作者

近江屋草助

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