深淵
二人は弥兵衛の屋敷へと案内された。町年寄を任される人のものらしく立派な佇まいだ。
その応接間で治部と刑部が隣り合って座り、その向かいに弥兵衛が座る。すぐに、茶と綺麗な茶菓子が運ばれた。
「町の皆を代表して、長浜で起こっていることの全てを包み隠さず、お話致します」
弥兵衛は、ふぅ、と息を小さく吐いた。
「実は、盗みの被害は今日だけではありません。まず、五日前に大量の絹織物が盗まれています。その盗人たちはまだ捕まっていません」
長浜はのちに「浜ちりめん」でまた有名になる通り、絹織物のとても盛んな町なのだ。
「ほう。『盗人たち』ということは、相手は集団ということか?」
刑部が尋ねる。
「はい。夜中に複数の店舗で一斉にやられたのです。盗賊の一味かと存じます。そして……手前どもの願いというのは、その盗賊の一味を捕まえて頂きたいということなのです」
弥兵衛が頭を下げて言った。
「うむ。分かった」
治部と刑部は固くうなずいた。
「ありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します」
ひとまず、自分たちの願いが聞き届けられて弥兵衛はほっとした。
「そうだな。とにかく盗賊の居所が分からないことには捕まえることもできない。まず、それを特定しよう。何か手掛かりがあるはずだ。弥兵衛どの、他にも色々教えてくれ」
盗賊は盗賊でも、ずる賢い盗賊が相手だと治部は考えていた。今の長浜ほど、優れた技術のものが手に入りやすい町はないだろう。そこを見逃さないような、抜け目のない連中なのだ。
弥兵衛は、治部に促されて話し始めた。
「盗まれたものはまだあります。何と言っても悔しいのは曳山です。曳山は、絹織物がやられた三日後、つまり一昨日に盗まれてしまいました。これも集団でないと盗むのは難しく、恐らく絹織物を盗んだ盗賊の一味と同じ犯行です」
「曳山?あんな大きいものを、か?そもそも、なぜ長浜に曳山が」
治部は敦賀の山車については信長公が絶賛したとかで知っていたが、長浜に曳山があるというのは知らなかった。
「いえ、曳山といっても盗まれたのは曳山の一部……柱などに施す予定だった、それは見事な調金細工で……あ、実は手前ども、皆で協力して曳山を作っているところなのです。それなのに曳山を組み立てるための蔵に入られてしまって……」
「なんと、まあ」
高級絹織物に飽き足らず、組み立て前なのをいいことに曳山の調金細工までも盗んでいるとは、二人とも流石に呆れて言葉が出なかった。
弥兵衛はその沈黙を破るように、曳山を作ることになったきっかけについて話した。
「曳山は羽柴の殿さまがご嫡男ご誕生のお祝いに、手前どもへ下さった砂金を元手に作り始めたものです。殿さまが復興して下さった長濱八幡宮の太刀渡りの行列に、手前どもからも花を添えさせて頂きたく思いまして……しかし、かのご不幸があり、未完のまま一度は曳山を作るのをやめてしまっていました」
「かのご不幸」とは、その嫡男が亡くなってしまったことだ。嫡男誕生を祝う砂金で作り始めた曳山だったから、当時そのまま曳山を作り続けるのは不謹慎だと思ったらしい。
その頃、二人は長浜城下に住んでいて、むしろ太刀渡りの行列に参加しているくらいだったが、町の人々がそのようなことを計画していたとは全く知らなかった。
「ですが、作りかけで置いておかれていた曳山は、地震の後も奇跡的に破損せずに残っていました。それで手前どもは地震からの復活……長浜再誕生の意味を込めてこの曳山を作りきろう、そして曳山によってもっと長浜に活気を起こして羽柴の殿さまの恩に報いよう!と張り切っていたところでした」
「そうだったのか……」
治部は町の人々の健気さと無念を同時に知り、また涙が出てくるようだった。
「絹織物、曳山の調金細工。今日より前に確認できる被害はこの二つか」
刑部はこういうときいつも冷静だ。
「いえ、あと、曳山を組み立てる蔵の壁に立てかけていたいくつかの木材も、調金細工と共に盗まれていました」
「はて。それこそ、こっそりと持っていくには大変なものを、どうしてわざわざ」
治部が眉間にしわを寄せて、首をかしげる。
「ですが、ひとまず、まだ盗賊の一味がこの長浜にいることは分かっています。長浜の外に出るための道は自警団で全て見張っていますが、怪しい連中は今のところ確認しておりませんし、船町組が舟をちゃんと管理しておりますからウミはそもそも使えません」
ウミは「海」ではなく「湖」と書く。琵琶湖のことだ。
「すると、盗賊の一味は、少なくとも木材が置いておけるような場所をこの長浜に確保していながら、おまけに長浜の人には見つかっていないと」
刑部が自分の考えを確かめるように言った。
「はい。その通りでございます。木材なんて大きなもの、かさばって目立ったでしょうから、盗みの現場を押さえられていれば良かったのですが……」
弥兵衛たちの悔しさは、町の人しか知らないと思って手薄だった曳山の蔵の周りの警備の隙をつかれてしまったというところにも理由があった。
「弥兵衛どのがさっき言った通り、」
しばらく考え込んでいた治部が口を開いた。
「木材をそのまま運ぶには、かさばるし目立つ。だから、単純に考えれば木材は何かしらかに加工しているのではないかと俺は思うのだが」
「あ、確かに。手前もその通りだと思います」
弥兵衛がひし、とうなずいた。
「苦労してわざわざ盗んだ木材だ。加工するからにはもちろん、今使うべき実用的なものを作る。例えば荷車や台車、舟、というのもありじゃないか」
「いや、それは多分、なしだ」
今まで、茶菓子を食べていて静かだった刑部がふと、治部の意見に待ったをかけた。
「どうして」
「どうしてって、佐吉は簡単に木材を荷車やら舟やらに加工すると言うが、そうやすやすと作れるものではないからだ」
「うーん、そういうものか?」
治部は、俺なら作れるのにな、と思いながら湯のみに手をかけた。
「うむ。せいぜい、壊れたのを補修する程度が限界だな。だが、そういうものがなくなっていたなんて話は聞いていないだろう?」
刑部が言ったそのとき、弥兵衛が急に「っあぁ!?」と、素っ頓狂な声をあげた。治部は驚きのあまり、手にした湯のみを床に落としかけた。
「弥兵衛どの、一体、どうしたのだ」
「すみません、実は、壊れて放っておかれていた舟がなくなっていたことが数週間ほど前にあったのです!」
「おお、それは本当か?」
もはや湯のみには目もくれず治部が言った。
「はい。てっきり台風で飛ばされたせいだと思いこんでいたのですが……」
「ははは!それじゃあ、逃走手段は舟と見ることができるじゃないか」
刑部が笑いながら言った。
「それに、これは盗賊の居所の手がかりにもなるぞ。きっと盗賊は港の近くにいるはずだ」
それを聞いて治部は目をぱちくりさせた。
「そうか!それで、舟を置いておけるくらい広くて、誰にも見つからない場所……!」
火花のようなひらめきが走り、思考は再構築され、それはやがて確信に変わった。治部は思わず刑部の太ももをぎゅっと掴んでいた。
「何か分かったのか?」
「……長浜城だ」
治部は苦しげに、だが、きっぱりと言った。
「盗賊たちは誰にも見つからない場所じゃなくて、みんな見ているのに気付いていない場所にいたんだ」
「ま、まさか!今、長浜城には流れてきた真宗の坊さまたちが居ついているだけですよ!」
湖北には熱心な浄土真宗の信者が多く、弥兵衛も例に漏れていなかったので、僧たちに疑いの目を向けることは考えられないことだった。が、治部と刑部には城に人がいることそのものが初耳だったので、二人顔を見合せた。
「何?!城には僧が居ついているだと?」
「え、ええ。一年ほど前からですが」
「なるほど、そうか。事態が飲みこめてきたぞ」
治部は顎の下に手をやって、考える仕草をした。
「僧たちが約一年も同じ場所にとどまって、急に最近大それた盗みをするというのはどうも考えられない。恐らく、長浜に目をつけた盗賊たちの手で、その僧たちは長浜城から追い出されてしまっているんだろう。そして今は盗賊たちが僧に成り済ましながら長浜城を拠点にしているのだ」
人の心というのは分からないので、約一年前にやってきた僧たちが盗賊である可能性もないわけではないが、弥兵衛の気持ちを考えて、あえて治部はそう言い、さらに論を補強する。
「それに、町の人は城の外堀より内に入ることはしないだろう?盗んだ物を隠すには絶好の場所じゃないか」
「だが、盗賊どもが長浜城を拠点にしているとなると、これは厄介だな」
刑部が珍しく険しい顔になった。
「そうなんだ、弥兵衛どの。俺たちは昔、城内に行ったことがあるのだが、実は内堀にも舟を出せる港があるんだ。夜なら、そこから町の人に気付かれずに舟を出すのが可能だろう」
「ええ?!そんな!」
「堀に港」というのは、長浜城の堀が琵琶湖と連結しているから成せる業だ。ちなみに、町の人が使う港の一つも外堀にあった。
「なんということ……舟を用意されたところで、港に動きがあれば分かると思っていましたのに、それでは手前どもの知らぬ間に盗賊の一味は内堀の港から長浜を出て行っているかもしれない、と」
弥兵衛は絶望的な顔になって言った。
「いや、その心配はまだいらないとみている。だが今夜が山だ。時間が惜しい」
治部は生々しい朱色の空を見やった。そして懐から紙を取り出し、いつも帯に挟んでいる、矢立と呼ばれる簡易筆記用具を手にとった。
「この書状を石田の大殿さまの元へ届けておいてくれ」
治部の右手が本当に字を書いているのだろうかと思われる速さで動いていく。見た目によらぬ豪快な書状の書きっぷりに驚いた弥兵衛だったが、その届け先にも驚いた。
「石田の、大殿さまの元へ、ですか?!」
「石田村はここから近いだろう?別に無茶な話じゃないはずだが」
「ええ、それはそうなのですが……」
「ああ。まあ、こう見えて石田の家とは多少の縁があってだな。ちゃんと取り次いでくれるから大丈夫だ。頼むぞ」
治部は大真面目な顔でそう言って書きあがったばかりの書状を弥兵衛に託した。
「急ごう!紀ノ介!」
「ああ、佐吉!」
二人はほぼ同時に立ちあがっていた。
「ええと!?どちらへ行かれるので?!」
弥兵衛には全く状況がつかめず、おろおろするばかりだった。
「決まっているだろう、長浜城だ!」
治部と刑部は屋敷から飛び出した。
「しかし、長浜城が盗賊の隠れ家だと、よく気付いたな」
走りながら、刑部が治部を褒めた。
「ふふ、港がある場所ということで逆算してみたら思い当たったんだ」
治部は頬を上気させて得意げに言った。
「しかも、佐吉が干物の盗人に石を打ったのも案外無駄じゃなかったしなあ」
「そうだろう」
治部も刑部も長浜城に僧がいると知って、ぴんときた。
治部が消えたと思った干物の盗人は、消えたのではなく、早着替えの仕掛けでもあらかじめしていたのだろう、とっさに僧の格好をしてそこに座っただけだったのだ。浄土真宗では頭を丸めなくてもいいから、頭髪の心配はいらない。あとは耳の聞こえないふりをして、適当に治部をあしらった。
この干物の盗人が僧のふりをしていたのに気付けたおかげで、まだ盗賊の一味がこの長浜にいるのが分かったのである。つまり、昼間にわざわざ盗みを働いたからこそ露呈してしまった正体と言わざるを得ない。
なぜ昼間に盗みをしたんだろう、と治部は思ったが、夜の警備が厳しくなりすぎたから今度は昼にしてみたんだろうか、と勝手に推測して自己完結した。
「それにしても悔しい。俺は勘違いして盗賊なんかに布施までしてしまっていた」
「これからその分も含めてきっちりお仕置きしてやればいい」
「そのつもりだ!」
秋の夜長と言い、もう周りの景色は濃い闇に覆われ始めていた。