3 かわらけに込めた願い

 三人は座っていたベンチから宝厳寺本堂におじぎをすると「唐門」と書かれた看板に従い、階段を下りていった。秀文は階段を下りながらスマホで何かをしているようだった。清美は階段を走りだしそうな秀太の手を引きながら、木々の隙間から見える琵琶湖に見入っていた。そっと頬をなでる風を心地よく感じていた。
「危ないよ。スマホなんか見てたら。」
と清美が言い切る間もなく、秀文は階段を踏み外しそうになり、手すりにもたれかかっていた。調子者の秀文を清美は微笑ましくも複雑な気持ちで見ていた。

 階段を降りるとそこには唐門と呼ばれる門ががあった。宝厳寺本堂とは違い黒漆が薄暗く、なんとなく吸い込まれそうに感じる建物だった。じっと立ちつくしていると奥から声が聞こえる。この奥には観音堂があって西国三十三所参りの第三十番札所となっていた。参拝者はお経を唱えたり、ご朱印を受け取ったりしていた。唐門の前でじっと立ちつくした時と違って賑やかであった。
「お守り買って帰ろうよ。」
清美は秀文の目を見た。
「帰りでも立ち寄れるんじゃない。みんな観音堂の奥に入っているし、まずそっちに行こうよ。」
秀文はチラッと清美を見て言った。
階段でつまづいてからスマホをポケットにしまった秀文は、観音堂でまたスマホを取り出して見はじめた。何かを検索しているようだ。

 三人は観音堂の人だかりを奥に曲がり、秀文はふとスマホから目を離すと、格子から日の光が漏れるまっすぐな廊下の前で一瞬立ち止まった。清美と秀太も立ち止まっていた。
「きれい。」
清美は舟廊下と呼ばれる都久夫須麻神社へ続く渡り廊下で心を奪われていた。格子から差し込む日の光が自分の迷いに一筋の道を示しているような気持になった。
「ほんま、きれいやな。」
秀文もまた見とれていた。スマホで調べた検索結果を見ることもなく。
「行こう。」
と言う秀太の声に我に返り、三人は舟廊下を抜けようとしていた。秀文はまたスマホに目をやると
「おっ、スゲーじゃん。」
と声を弾ませた。
スマホで「竹生島」を検索していたのだ。秀文はその内容を清美と秀太にゆっくり読み聞かせた。
「都久夫須麻神社を参拝して、その向かいの龍神拝所って所から宮崎鳥居に向かってかわらけを投げるんやて。そのかわらけが鳥居をくぐったら、龍神様が願い事を叶えてくれるんやて。さすがパワースポット竹生島やな。」
「私、それやってみたい。」
 舟廊下での神々しさに感じ入った清美は声を弾ませた。秀太もまた母親がすごく喜んでいる雰囲気を感じて同じように声を弾ませた。三人は舟廊下を抜け、都久夫須麻神社の本殿で古式の習わし通りに二礼二拍一礼をして参拝し、参道の階段を降りて龍神拝所へと歩いていった。空も琵琶湖も青一色に染まっていた。
「ママは何て願い事を書くの?」
秀太は母に尋ねた。
「何にしようかな。」
清美は優しい目で秀太を見つめて言った。
「秀太はどうするの。お願い事が叶うといいね。」
母の一言に秀太はいろいろ考えていた。秀太にしてみれば、この竹生島への旅行はいつもの家族旅行でしかなかった。距離からすれば、ただのお出掛けに近いかもしれない。長浜に住む秀太にしてみれば、琵琶湖にポツンと浮かぶこの島から見える対岸は自分の住む街なのだから。スマホで竹生島を調べて「かわらけ投げ」を知ってから秀文は願い事を決めていた。「仕事が見つかりますように。」
 実は、この春の終わりに秀文は家を出ることになっていた。長浜の老舗の和菓子屋に生まれたが、親との意見が合わずにいた。数年前までは一生懸命和菓子作りに精を出していたが、いつの間にか和菓子にも店にも無関心になっていた。決まった仕事をこなし、ダラダラとしていた頃に清美と知り合い結婚した。そんな秀文に対し父は弟を呼び戻して店を立て直すことにしていた。
「秀文さんは何てお願いするの?」
清美は少し心配そうに聞いた。
「ひみつ。」
秀文は横に立つ清美と目を合わせるが、さっと視線を前にそらした。
「だって、言うたら叶わないってよく言うやん。言わんよ。」
三人は龍神拝所に掲げられている看板を見た。次のように書かれていた。
「かわらけ」は二枚で一人分となっています。一人分は三百円です。一枚目に名前、二枚目には願い事を書いてください。「名前」「願い事」の順番で一枚ずつお投げください。鳥居をくぐれば願い事が成就すると言われています。
「あれか。あの鳥居か。結構遠いな。でもパパはいける気がするな。今日の風なら絶対いける気がする。」
龍神拝所から鳥居をながめていた秀文が秀太に向かって言った。清美は三人分のかわらけを買うために財布から千円札を取り出し、かわらけとお釣りをもらった。窓口の横にはそれほど大きくない机があり一人の先客が座っていた。後ろに並ぶとかわらけに書いた文字まで見えてしまいそうだ。机に備え付けられた筆ペンで先客は名前と願い事を書いていた。名前は「松岡明26才 滋賀県長浜市...」手のひらほどのかわらけに名前どころか住所と年令まで書いている。願い事は「宝くじが当たりますように。」いつの時代もこんなものだ。まあ、よくある名前なので同姓同名の人に願いがかなったとあっては悔しくて眠れない。そう考えれば住所まで書きたくなる気持ちはよく分かる。

 先客が書き終わると空いた机で秀文と秀太は名前と願い事を書いた。「堀川秀文」「仕事が見つかりますように。」清美は筆ペンを持った秀太を後ろから見守ると、広くない机の隣で書いている秀文のかわらけが見えてしまった。そんな願いより「お父様と和解してほしい。」と願ってほしかった。そんな清美の気持ちもどこ吹く風だった。きっと秀文は和菓子に見切りをつけていたのだろう。
秀太は子供らしい字で「ほり川しゅう太」「犬とお話がしたい。」と書いていた。清美は秀太の子供らしさに微笑みつつも、見ていないふりをして秀太に書き終わったか確認した。
「秀太は何てお願い事を書いたの。書き終わったの。」
「まあね。」
と秀太は答えた。秀文と秀太は書き終えると、すぐに龍神拝所の縁側に出ようとするので、清美は自分の名前は書いたが、もう一枚のかわらけに願い事を書けずに縁側に立った。龍神拝所には琵琶湖に向かって縁側がこしらえてあり、この縁側から宮崎鳥居に向かってかわらけを投げるようになっていた。
 秀文と秀太は縁側へ出た。縁側から見る琵琶湖はどこまでも青く澄んでいた。清美もまた二人の後から縁側に立った。先客の松岡が軽く腕を振って、狙いをすましたように鳥居へかわらけを投げようとするものの、なかなか投げようとしないでいた。秀文と秀太はとりあえず先客が投げ終わるのを待っているようだ。

大入冷蔵庫
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