7 8枚目のかわらけ
アスファルトを照らす太陽は日増しに強くなり、交差点から和菓子屋の方へ視線を向けてアーケードの中を見ると、ちょうどアーケードの端の影が途切れるところで日傘をさそうとする観光客がいる。もうひと月もしないうちに梅雨入りしそうなこの頃では、今日のような晴天は珍しかった。ついこの間の春の終わり頃には不思議と毎日のように晴れていたのが嘘のようだ。
新学期も始まり秀太は4年生になっていた。そろそろ学校から帰ってくる時間だが、店の前にも電柱の足元にも、あの柴犬はいなかった。和菓子屋の店先には相変わらず白い頭巾とかっぽう着を着た清美が客の応対をしている。ついこの間まで店の前で子供たちとじゃれあっていた柴犬の話はどうなったかと言えば、その柴犬は秀太の新学期が始まる頃に飼い主が迎えに来たという。
春休みも終わりに近づいたその日も、ユウタと呼ばれていた柴犬は昼下がりの日の傾いた頃に店の前に来て、子供たちとじゃれあっていたが、スッと店先に一人の女が現れたという。その女は高そうな和服に身を包み、どこかしら気の強そうな顔立ちではあるが日本画のような美人であり、まるで弁天様のようであったという。その女はこの柴犬が自分が飼っていた犬で、ずっと探していたと清美に話すと、柴犬も飼い主に気付いたらしく自分から女の足元にちょこんと座った。その女と清美は少し話し込んだあと、清美は秀太と子供たちにユウタとのお別れをするようにやさしく話しかけた。秀太と子供たちはそれぞれに声を上げたが、清美は別れを惜しむ秀太と子供たちを諭すと女は柴犬を抱え上げた。
すると柴犬は秀太を見つめて
「バイバイ。」
と言った。他の子供たちには犬の鳴き声にしか聞こえなかった。女は清美に一礼して立ち去り、交差点を曲がるとスッと消えてしまった。
秀太は
「ユウタがバイバイって言いよった。」
と言うと、清美は
「犬とお話しができてよかったね。」
と返した。
柴犬が去ったその夜、清美はふと神棚に置いたかわらけを思い出した。家族は家を出ていくこともなく、秀文は生まれ変わったように仕事をしていた。何の不満もなかった。晩ご飯を食べながら清美は竹生島に行きたいと話したが、店や学校の都合で三人揃って行けそうになかった。秀文が道の駅に和菓子を出荷に行く店の休日に清美は一人で竹生島へ行くことにした。
数日が過ぎ、道の駅に秀文が出荷に出かけた後、清美は神棚に手を合わせると榊立の脇に置いたかわらけをそっとカバンにしまい、港から船に乗った。清美はあの日と同じ道順でお参りをすると龍神拝所に吸い込まれるように縁側に立った。清美はカバンからかわらけを取り出し勢いよく鳥居に向かって投げた。
都久夫須麻神社の本殿からそれを見ていた龍神様はカッと目を見開くと光の玉となってかわらけに乗り移り、弁天様は本殿から鳥居に向かってフッと息を吹きかけた。かわらけは翼が生えたように空を舞った。注連縄も鳥居の足を広げているように見えた。