故郷
パジャマ姿のチカが絢子の部屋で布団を敷いている。その日は絢子の計らいでチカは玄野家に戻らずお泊りすることになった。
照明を消し、布団に潜り込む絢子とチカ。
「ごめんね。あの時はジュンちゃんの気持ちも考えないで、強引に誘ったりして……」
「いいよ。もうそんなの」
二人は向かい合い話している。
「私はともかくさ。チカは長浜、出ていったらダメだよ。美大辞めてまで来たんだしさ」
「……分かった」
チカは遠慮がちに、
「……ジュンちゃん、今日面接だったんだね」
「うん」
「ジュンちゃんは長浜、出ていくの?」
絢子は目を逸らし、天井を眺める。大きく溜息をつく。
「私ね。面接で、志望動機で、何で地元で働かないのかって聞かれたの」
「うん」
「でもね、何も答えられなかった」
「……」
「当たり前だよね。長浜で働きたくない。この町に居たくないっていうのが、まず先にあったんだから……思えば学校も、仕事も、私の場合みんなそう。逃げたかったんだよ、昔の自分から。夢をさ、口実にしていたんだよ」
絢子は大きく息を継ぎ、
「だからチカは諦めちゃダメなんだよ。あんたはまっすぐなんだから。失敗してもめげずに頑張るあんたを見ているのが、皆好きなんだから」
「……ありがとう、ジュンちゃん」
沈黙。
「ね、ジュンちゃんはこれからどうするの?」
「……」
「やっぱりここを出ていくの?」
「……」
「イヤだよ。寂しいよ。ジュンちゃんがいられなくなるような町なんて、なんか嫌だ……」
「そんなの、気にしなくていいよ」
「ね、私と一緒に何か面白い事やろうよ」
「え?」
「私と一緒に、もっとこの町を盛り上げる活動を、一緒にやっていこうよ」
「ちょ、ちょっと待って。なんでそうなるの?」
「だって、きっと長浜にはジュンちゃんの知らない良いとこ、もっと一杯あるんだよ。それを知らないで故郷を嫌いになるなんて、戻って来れなくなるなんて、もったいないよ!」
とチカは身を乗り出す。
「まだ地元の人も誰も知らない長浜の魅力を皆に広めてくの。伝えていくの! そしたらジュンちゃんもこの町の事を好きになれるところが見つかると思うんだ。楽しいよ、きっと」
「あ、あのさ……」
「ね、楽しい思い出で一杯にしようよ。嫌な思い出はみんな、昔に追い出しちゃってさ」
絢子、それ以上何も言えなくなる。
「それで私がお店作ったら、この前みたいに、宣伝をジュンちゃんにしてほしいな……」
絢子、吹き出し、
「なにそれ、結局自分のためじゃん」
チカもつられて笑う。
「笑えてくるわ。あんたの妄想聞いてると」
絢子は顔を背け目元を拭う指先を隠す。
「ほんと、笑えるてくる……」
半年後、四月中頃に長浜曳山祭りが例年通り執り行われた。大変な賑わいぶりで、特に黒壁のアーケードにて子供歌舞伎が演じられる時には、観光客らが取り囲んで地元に住んでいる人でも遠くでしか芝居を見ることが出来なくなる。
絢子はせっかく近くまで来ているのだからと、人垣から一歩離れて曳山を眺めていた。かつて伯父が塗ったという塗装は再び塗り替えられ、艶やかに黒く輝いている。
地元の小学生らが絢子と同じように人垣から離れ芝居を観察している。学校から宿題として与えられたプリントに何やら記入をしている。その様子を懐かし気に眺める絢子、いきなり背後から肩を叩かれる。
「だ~、れだ?」
振り返るとチカがいた。
「誰だじゃないって。休みに人を手伝いに呼んでおいて、遅刻しんといでくれる?」
「へへへ、ごめん」
と舌を出す。
「ほら、今日の分」
と束になったパンフレットを差し出す。
「お~、ありがとう! さっすがジュンちゃん、仕事の出来る女!」
「注文通り、火村さんとのコラボ商品も差し込んどいたけど、急に言われても困るから」
パンフレットには、ステム(脚)が木目の美しい漆塗りに代わったワイングラスを大きくカラーで載せてある。
「まぁ、ウチの店と結婚式場のコラボ商品も便乗したけどね」
パンフレットを裏返すと、漆と金で絵を描いた蒔絵のつけ爪とデザインリングが印刷されている。
「え~、私のオリジナル商品。写真小さくない?」
「あんたが色々手を出すからでしょ」
絢子は得意げに微笑む。
「ま、実際手を取って貰えば、分かるから」
「うん、どれも自信作だもんね!」
とチカは踵を返し、
「それじゃ、会の主催のマルシェ、ガンバロ~!」
と拳を天につく。
「遅れておいて、調子いいんだから」
と二人で博物館裏の路地へと向かう。
並んで歩く二人を温かな春の陽光が照らしている。