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わたしの名前は石田三子。
その名前にはまだ慣れない。
本来であれば、石田みつなり子(仮)と名乗るのが事実に則しているのだろうけれど、どうせおじさん以外の誰も信じてくれないだろうし、信じられたところでわたしには説明できない。
石田みつなり子(仮)というのは、長浜市の宣伝事業である長浜ものがたり大賞のキャンペーンガールで、おそらく石田三成を参考にして造られた架空のキャラクターで、髭と冠が特徴的な女学生だという、誰にでもわかるようなことしかわたしは知らない。
わたしが世間と比べて優位に知っていることがあるとすれば、それは石田みつなり子(仮)がわたしであり、おじさんの造った石田みつなり子(仮)のフィギュアがわたしの身体であるということくらいだ。
おじさんが言うには、ある日、おじさんが丹精込めて造形していた石田みつなり子(仮)の八分の一スケールフィギュアが工房から消えていて、代わりに生身で等身大の石田みつなり子(仮)が倒れていたらしい。状況から察するに、おじさんのお手製フィギュアに、わたしという魂が付喪神よろしく宿ったと言えるのかもしれないけれど、そんな状況証拠でわたしは安心しない。
不安。
何の存在理由もなくこの世界に誕生したという理不尽。
以前、おじさんは流行りのコンテンツである異世界転生ものの知識を借りて、神様のような上位存在がわたしをこの世界に送り込んだのではないかという妄想じみた仮説を披露してくれたけれど、わたしにはおじさんの工房で目覚める以前の記憶はないし、異世界転生ものの主人公に大抵付与される超能力にも身に覚えがない。
わたしはただ、石田みつなり子(仮)というアイデンティティを命綱にして生きていくしかない。
とはいえ、わたしが石田みつなり子(仮)であることを公言すると生活に支障を来たすので、わたしは石田三子というおじさんが与えてくれた名前を代用し、近所の高校に転入して日々を遣り過ごしている。けれど、未だに不安を抱えて生きていることには変わらないし、生きていること自体が不安でしかない。
そして、今のわたしにとっての当面の不安というのは、この進路希望票に集約されているのかもしれない。
第一希望。
第二希望。
第三希望。
片手で数えられるほどの自由意志も、わたしには手に余る。
そもそも、わたしが塾に通っているのは、わたしという存在の理由付けを求めてのことだったけれど、当然というべきか、塾の先生も参考書もわたしについて何も説明してくれない。
それでも、わたしは諦めるのがこわくて、せめてこの世界について調べようと徹底的に勉強したけれど、生物学は生命の由来を説明できていないし、物理学は宇宙の由来を説明できていないのに、わたしの由来なんて誰にも説明できるわけがない。
そして万策が尽きたところに、塾の先生は進路希望票を突き付けてきた。
石田さん、勉強熱心だね。
受験生にも見習ってほしいよ。
石田さんは優秀だし、大学でやりたいこともあるんでしょ。
は?
馬鹿じゃないの?
わたしの気持ちも知らないくせに。
わたしが誰なのかも教えてくれないくせに。
過去も現在も白紙めいているわたしに、どんな未来を描けというんだ。
ねえ、神様。
この問題用紙には誤りがあります。
わたしの宿命といっしょに訂正してほしい。