5

 大手門が大きく開かれ、陸続として黒い軍兵の列が出陣していく。
 本丸横手の軍港からも、武器、火薬、兵糧を積んだ船が、西へ向かって琵琶の湖を渡っていく。
 天正五年(1577)十月のことである。
 秀吉はまだ本丸にいた。
「正則、清正、早うわしの鎧をもて。脇坂安治は何処じゃ? 又助をの、一柳直盛を探して来い、秀久。これ、仙石、そなたに言うているのじゃ、行け、行かぬか。吉継と三成は、準備万端じゃな。よし、それでよい、控えていよ」
 一気に喋って、秀吉は太い息を吐き、どさりと胡座をかいた。
 それから、脇に控える吉政へ身を寄せ、
「やっと、悪たれ共が役に立ちそうじゃ。これでひと安心と言うものじゃ」
 言ったが、秀吉は何処か切なげであった。
 市松、虎之助、佐吉、平馬などが元服を迎え、秀吉の馬廻りとして出陣するが、主力は信長から預けられた旅団のひとつである。直属の軍団はまだないと言っていい。
「のう、でんぺい。此度の播磨は、手付けじゃ。播磨の先、中国山陰、山陽まで攻め取ってやるわ」
「はい」
「そなたの親父殿重政は、継潤と一緒に、わしの弟の小一郎に附けて先行させた。小六と半兵衛も今頃船の中じゃ。小一郎には留守居ばかりさせたでの、ここらで一番手柄をつけさせてやらねばならぬのよ。第一軍、第二軍も出立した。わしは主力を率いて、悪たれの馬廻りと出陣じゃ。おん大将が掲げられた天下布武。七徳の武を、天下に示す戦じゃぞ」
「将に、殿のお言葉の通りでございましょう。今も殿のお言葉が、それがしの胸に刻まれてございます」
「うん? わしは、何と言うたな?」
「あれは、我らを尾張につけと説かれにおいでの時でございました。丁度尾張のお館様が、比叡山焼き討ちを断行された直後でございました」
「ふうむ、そうであったな」
「その時、殿は最後にこう申されました。わしは殺しとうない。だが、わしが手を血で染めねば、泰平の世は来ぬと」
「ふふふふふ……そうであった」
 秀吉は眼を閉じ、ふた呼吸ほど置いて眼を開いた。
「吉政、わしのその決意は、今も変わっておらぬぞ。無駄な殺し合いは、誓ってせぬ。……だが、まだまだ人は死んでいく」
「はい……」
 それは、吉政にも痛いほど分かっていた。
 いつ果てるとも知れぬ戦国の世の終息は、戦の激流の彼方にある。
「吉政、小一郎を行かせる代わりに、そなたには損な役回りをさせるが、許せよ」
「何をおおせられるやら。戦場だけが、我らの仕事ではありませぬ」
「その重要さが分かるのは、そなたと小一郎ぐらいなものじゃ」
「殿がご出世になれば、我らも引き上げて戴けましょうゆえ、安心しております。何卒よしなに」
「こやつ、ぬけぬけと」
 秀吉と吉政は顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
「兵站が整うまで、そなたにはこの長浜の城の留守居も任せる。かかさまもねねも、そなたが留守居なら安心じゃと申している」
「忝いことでござりまする」
「だが、兵站が整うたなら、後の手当を十分に施し、そなたは荷駄を率いて姫路へ参れ」
「わたくしもでございますか?」
「そうじゃ。手が足りぬ。半兵衛も躰の具合が芳しくないでの。播磨の先には、五月蠅いのが控えておるわ」
「毛利でございますな」
 吉政の言葉に、秀吉は渋い顔で頷いた。
「ちと、長い戦になろうよ」
「私も、そう思います」
「それ故、そなたにも居てもらわねばならぬのよ」
「心得ました」
 秀吉が立ち上がった。
 吉政が威儀を正し、すっと頭を下げる。
「でんぺい、かかさまとねねを頼むぞ」
「はっ」
「出陣じゃ!」
 踵(きびす)を返す秀吉の陣羽織が、十月の光に、ぎらりと光って翻った。

 天正五年(1577)から天正十年(1583)。
 本能寺での信長横死まで、秀吉は中国方面司令官として、厳しい戦いに明け暮れることになる。吉政も、三木城、鳥取、中国からの大返し、山崎の合戦と、休むいとまはなかった。
 播磨攻めの最中、糟屋武則が秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いの五年前には加藤嘉明が、三年前に平野長泰が家臣となり、七本槍全員が揃うことになる。
 本能寺で信長が討たれた時、長浜城を占拠したのは、明智光秀に加担した阿閉貞正、貞大父子だった。阿閉親子は、山崎の合戦の後処刑された。
 長浜の城は、秀吉にとって、天下人へ駆け上る出発の城であった。
 秀吉だけではない。
 賤ヶ岳で七本槍と謳われた、秀吉子飼いの若武者達。
 関ヶ原で家康に戦いを挑んだ石田三成。
 関ヶ原で散った大谷吉継。
 道半ばに斃れた竹中半兵衛。
 兄を支え、大和百万石の大名となるも、病に倒れた小一郎秀長。
 宮部神社社僧から、大名への道を歩んだ宮部継潤。
 筑後国主となった田中吉政。
 それぞれが、戦国の世を生き抜き、またそれぞれの道を歩み出した。
 結集した全ての者にとって、長浜の城は、歩み進み出すための出発の城であった。
 彼らがこの城で過ごした年月こそ、若い命が夢を語り、互いの矜持を確かめ合った、青春時代でもあったのだ。
 やがて彼等は、甲冑に身を固め、己の信じる道の実現の為に、颯爽と出陣していった。
 長浜は、秀吉颯爽の城である。

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