あのときのイケメン少年
今日の長浜市は快晴。普段であれば満月が美しく街を照らし静かな夜を迎える筈だったが、現在はヌーの大移動のような追いかけっこが黒壁商店街で繰り広げられている。
「まだ距離が離れない!」と、意外にも元気なアリサの親戚に追われてリリエは走り疲れてきていた。アリサを抱えて息を切らしながらもまだ余裕のジョウは「そろそろ曲がるか!」と右方向を見た。「二人とも、こんなことになってごめんなさい」とアリサが弱気になると「何言ってんだ!そんなことよりお前は安全に子どもを産むことだけ考えてろ!」と叱った。先程のチャラチャラしたジョウとは違って、今はとても頼りになるとリリエは思った。そういえばマリコがジョウのことを、ただの歴史人ではないと言っていたけれどあれは・・・などと考えていると、後ろからガシャガシャーン、と大きな音が響いてきた。三人が振り返ると、背の高い少年が大量のトレーを親戚たちの前に投げつけ、その前に立って大群を足留めしている。「あっ!パン屋のバイトくん!」とリリエは叫んだ。そうだ、昼間にクロームぱんを買ったあの店の背が高いイケメン少年だと思い出した。よく見ると、少年が立っているのはパン屋の前だ。「ハヤテ!」とアリサも叫んだ。「えっ?」とリリエは驚いた。「彼がハヤテくんなの?」とアリサに聞くと、「そうよ、さっき話した私の幼馴染み」と心配そうな目でハヤテを見つめている。「危ないわよ!今その人たち何をするか分からないわ!」とハヤテに向かって叫ぶと、「アリサごめんな、何もできなくて。とにかく今は俺が留めておくからみんな逃げてくれ」と、まだ前掛けをしたままの彼は腕まくりをした。そして親戚に向かって「みなさん知っての通り、僕不良なんです。別に喧嘩が強いって訳じゃないけど、力はあります。怪我を負わせるつもりはありませんけど、もしこれ以上彼らに何かしようとするなら容赦しません」と言い放った。すると親戚はまた「お前は関係ないだろうハヤテ!そこをどくんだ!」「邪魔をするんじゃない、長浜が危ないんだぞ」と騒ぎ始めた。それに対抗してハヤテは「僕は何を言われてもここをどくつもりはありませんよ。もし追いかけるというなら、かかってきてください」と大群を睨みつけた。「うっ」とひるむ大群を確認して、ジョウが「今のうちだ!」と合図し、リリエも走り出す。
右へ曲がって走り、「とりあえずどこかへ隠れよう」というジョウの提案にリリエは頷き、「空いている建物があればいいんだけど」と立ち止まって辺りを見回した。すると目の前の陰から、数人の親戚を引き連れたマリコが現れた。「やはりここにおったか」とこちらを睨みながら近づいてくるマリコは、もはやRPGゲームのモンスターだ。「マリばあ!」とアリサが叫んだ。「私には何となく歴史人の場所を感じ取ることができるんだ。近道も知っているしね。甘く見るんじゃないよ」と、マリコがさらにこちらに近づいてくる。「チッ」とジョウが舌打ちをしたその時、彼の腕の中で「うっ痛たたた・・・!」とアリサが唸りだした。リリエとジョウが「まさか!」と同時に声を揃えると、マリコが「陣痛が始まったか!みな、アリサに子どもを産ませてはいかん!早くとっ捕まえろ!」と親戚に指示した。「お前の親戚は一体何人いるんだ!」とジョウはアリサに文句を言ったが、それどころではない。「仕方ないな」と言うと、ジョウは「リリエ!急いでそこの角を曲がれ!」と指示した。「えっ?!逃げ切れないよ!」と困惑するリリエにジョウは「いいから早く!」と叫んだ。「無茶だよ〜」と弱々しくなりながら言う通りにすると、急に目の前に琵琶湖が現れた。「あ、あれ?どうなってるの??」とリリエが整理できずにいると、「うーん、うーん」と苦しそうに唸るアリサをジョウは優しく地面に寝かせた。そして「待ってろ、今すぐ医者を呼ぶからな・・・」と下を向いて目を瞑ると、木の陰から何やら道具を抱えた、白衣の医者と助産師らしき二人が慌ただしく現れた。「これはこれは。まさか貴方様に呼んでいただけるとは!」と、白髪の医者がジョウに頭を下げ、後ろの助産師たちもそれにならっている。「そんなことはどうでもいい!彼女の子どもが生まれそうなんだ、何とか頼む」とジョウは彼らにアリサを託した。