目が覚めると視界には木々の木漏れ日が差し込んでいるのが見えた。空気はとても澄んでいて少しひんやりとしている。どこか心地が良い。
紗紀は何度か瞬きをして、ゆっくりと体を起こした。そして気付いてしまう。今まで枕にしていたのはミタマの膝であった事を。
「ええっ!?ミ、ミタマさん!?」
思わず上ずった声を上げてしまった。紗紀は慌てて口を塞ぐ。けれど当の本人はすぅすぅと小さな寝息をたてていた。
(眠ってる……?)
それにしても、間近で見れば見る程に綺麗だなとそう思う。真っ白なまつ毛なんて初めて見た。それに眉毛に髪の毛……耳に尻尾。
順に目で追う。自分には無い耳や尻尾がどうしても気になってしまう。どんな触り心地だろうかと好奇心が湧く。そっと手を伸ばし、触れようかどうしようか逡巡していると腕を掴まれた。
「うおっ!?」
「うおっ、てご主人様?中々に面白い奇声だね」
「す、すみません」
恥ずかしくなって空いてる方の手で口を塞ぐ。自分の女の子らしさの無さがとても悲しい。
ミタマはそんな紗紀を不思議そうに見つめて、思い出したように紗紀の手を引き寄せた。自分の頬に当て擦り寄る。
「あ、の!!な、何して……」
「貴女のモノなのだから好きに触れてくれていいのに」
そうミタマが言い、ふと先程ミタマに触れようとしていた事を思い出して再び赤面した。
「起きてたの!?」
「寝ているとは言っていないよ」
(ドS!)
まさかのミタマの発言に心臓よりも胃が痛い。紳士系かと思いきや意地悪なのかもしれない、と紗紀は頭を抱えたくなった。先が思いやられる。
「さて、戯れもここまでとして色々と説明をしなければいけないね」
(戯れてたんだ……)
やっと解放されてほっと一安心する。ミタマは立ち上がるとゆっくりと歩き始めた。紗紀も立ち上がるとミタマに続く。
「ここがその……神社のフェイク?」
「ええ。俺が居た神社とそっくりそのまま。空気も結界も。封印のお札の気配も」
ミタマは鳥居に、狛犬に順に触れながら懐かしそうにそう言った。
「……妖は……異世界でも来るの?場所くらい把握してるんじゃ?」
「妖は気配で動いているものが多いんだ。現地では結界を強めてお札の気配を薄めているんだよ。だから、きっと確実にこちらへやって来る」
(つまりそれって……囮?)
そう言葉にしかけて思わず口を噤んでしまった。言ってはいけない気がしたからだ。
ミタマはそんな紗紀を横目にまた歩き出す。
「この拝殿の後ろにある宿舎に今日から住むんだよ」
「え!住む!?待ってください!何も準備してないです」
「こちらに何でも揃っているから気にしなくて大丈夫。それに、あの機械を使えば欲しいものを送ってもらえるよ」
ミタマの指差す先にはに先程紗紀が眠っていた場所で、借りたタブレットが転がっていた。紗紀の血の気が引いていく。慌てて駆け寄りタブレットを拾い上げてぱっぱっと汚れを払った。
「私は借り物に何て事を……」
ウッカリどころかすっかり忘れていた。タブレットを両手で掲げて拝む。
「キミは面白い事をするね。そう言えばキミの名は白花……何?」
「あ、そうでしたね。私、白花紗紀と言います」
「紗紀。よろしくね。さっそくだけど、いつここが狙われるか分からないから戦う練習でもしとこうか」
ミタマの言葉に忘れていた事を思い出す。
(そうだった。私はその為にここへ来たんだ。妖と戦う。その為に)
ミタマを見る。その紗紀の瞳は意を決したようで凛としていた。紗紀の長いか黒髪が揺れる。ミタマはそんな紗紀の瞳を見て驚いたようだった。もう少し怯えて時間を要すると踏んでいたからだ。
「好条件ですし、自分の身を守らなければいけないので指導の下よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる。そんな紗紀の姿に面白いモノでも見るようにミタマは少しだけ笑った。
顔を上げた紗紀の頬にミタマは手を伸ばした。もう片方の手で紗紀を引き寄せる。驚く紗紀は声を出す間も無く唇を奪われていた。力が注ぎ込まれるのを感じる。
これは……?
ドクン、ドクンと力強い気の流れを確かに感じた。ミタマは唇を離すと懐からお札を取り出した。それを紗紀にと手渡す。受け取った紗紀は困惑しながらもマジマジとお札とミタマを交互に見やった。
「俺の力を送ったよ。これでその力がある限りは巫女と同様に式神も術式も扱える」
「い、今の、必要ありました?」
「ん?口からがダメならもっと凄い事をする事になるんだけどむしろそっちを御所望かい?」
「いえ結構です!!」
紗紀のあからさまな反応にミタマはクスクスと楽しげに笑ってみせた。そんなミタマを見て面白くない紗紀は目をそらす。
「そう怒らないで。体内に気を送り込む必要があるんだ。口付けがもっとも速くて楽だからね。後はそうだな。俺の血を……舐めるとか?」
「……それはそれで……いやですね」
「意外と美味しいかもよ?」
「話を進めましょう」
紗紀のキッパリした物言いに、ミタマは残念だ、と肩をすくめて見せた。紗紀は見て見ぬフリをしてもう一度渡された御札を見る。
そこには狐の絵が描かれていた。
「その御札を使ってみて」
「御札を、使う?」
初めての事で首を傾げる。使い方が全くもって分からない。どこかに貼るのだろうか?自分の額に当てて見る紗紀。
ミタマはそんな紗紀を見て感心していた。
「思った以上に見所ありそうだね」
てっきり馬鹿にされるとばかり思っていた紗紀の方がむしろ驚く。
(もしかして当たりに近い?)
「言霊って聞いたことないかい?この御札を使うには言葉を込める必要がある。例えばそうだな。狐をイメージしてみて。そしてこう唱えてくれるかな?『札に眠りし力よ我に力を』」
言われた通りに狐をイメージしてみる。耳に尻尾。そして先程教わった言葉。
「札に眠りし力よ我に力を」
眩しい光と共に体の中から力が巻き起こるのが感じ取れる。温かく強い、光……。
あまりの眩しさに目を閉じ、光が収まった頃に目を開ければ服装が変化していた。そう、まるでミタマと同じような、式服と言うのか?狩衣姿だ。頭を触れば耳もあり、尻尾も九つしっかりついていた。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九。九!しっかりある!イメージ通り!って私に生えてるんですが!!」
「え?誰に生やす気だったの?」
「いえ、生えるとは微塵も。ただイメージしただけでこんな事になるなんて……」
「それってもしかしなくても俺をイメージした?」
ミタマの問いに紗紀は恥ずかしげに小さく頷いてみせる。その紗紀の耳は恥ずかしさからか垂れていた。
ミタマは楽しげに紗紀の耳を撫でる。
「あの!ちょっと!やめてください!」
「耳って意外と敏感だよね。分かるー。それはそうと、まさか一発で成功するなんてやっぱり見込みあるね。順調順調」
「これで戦えるんですか?」
褒められて嬉しいやら格好が恥ずかしいやらで何とも言えずに俯く紗紀。
そんな紗紀の目の前でミタマは手を差し出した。顔を上げた紗紀の目の前でその手の中に青い炎が宿りゆらゆらと揺らめく。
「……凄い」
「狐火、だよ。やってみて」
自分の手のひらを見つめてイメージをしてみる。見た通りに手のひらで揺らめくあの青い炎を。
ポッと小さな火が灯り、それが徐々にイメージ通りの大きさまで広がる。
「……出来た。綺麗」
「これで真っ暗な所に一人ぼっちになってしまっても安心だね」
ミタマのその言葉に、え?とミタマを見上げた。けれど彼は何食わぬ顔をしてにこりとよく分からない笑みを浮かべる。
初めは優しそうな人だと思ったけれど彼と会話をすればするほど分からなくなって来る。掴めない人だ。
「妖狐の姿になってる間は運動能力も跳ね上がってるから跳躍力も動きの速さも増し増しだよ。敵の攻撃は避けて、こちらも攻撃する。試してみようか」
そう突然言われたかと思うと、ミタマは距離を取った。
紗紀は分けが分からないままミタマを眺める事しか出来ない。
(試す?ってそれは……ミタマと戦ってみるって事?)
ミタマは紗紀を見るとさっきのようににこりと笑ってみせた。それだけなのに紗紀には攻撃が来るとなぜだかそう思った。ミタマが片手を掲げて狐火を水平に複数並べる。そうかと思った瞬間、その手を振りかざしたと同時に火の玉が紗紀へと襲いかかる。ミタマの動きをじっと見つめていた紗紀にはその手が振り下ろされる瞬間が分かった。それと同時に一気に後方へと下がる。紗紀が先程までいた場所に火の玉は全て落ち、轟々と青く燃えていた。避けたからいいものを避けなければ確実に紗紀が燃えていただろう。
そう思うとゾッとした。
「さすがだね。信じていたよ。キミならきっと避けてくれるって。燃えなくて良かったね」
「……っ」
「じゃあ次は、さっき見た通りに攻撃して来て」
そう言われて紗紀は先程のミタマの動きを思い出す。ミタマならきっと余裕で避ける。そうは分かっても攻撃となると躊躇ってしまう。
イメージは出来る。炎の数、攻撃した後の炎の強さ。片手で支持する攻撃のタイミング。
「大丈夫。俺は避けるから。安心して攻撃しておいで。本音を言えばこれが敵ならしっかり攻撃してくれないと困るんだけどね」
ミタマの言うことはもっともだ。紗紀はゴクリと生唾を飲み込んだ。
(イメージしなきゃ。集中して。さっきと同じように手のひらに炎を灯して。それを複数に増やす。そして片手を掲げて……狙いを定めて、振り下ろす)
火の玉はミタマ目掛けて飛び、けれどその手前で落下した。
「狙いは悪くないかな。うん。初めてにしては上出来かな。よし、一旦休憩しようか。まだその体に慣れないだろうし。生身の体の方が心配だ。術を解除しよう。『解術』って唱えてみて。イメージは……」
「元の姿」
「大正解」
紗紀の答えに満足そうに笑うミタマ。いつも笑う、にこりとはまた違う素に近い笑顔。その表情は好きだと素直に思った。
ミタマに言われた通りにイメージをしながら呪文を唱えれば光と共にいつもの自分の姿へと戻った。
そしてひらりと宙に舞う御札。紗紀は慌ててそれを掴む。
「それがあればいつでも俺になれる。無くさないように」
「はい!」
「さて、上がろう。少しゆっくりした方がいい」
そう促されて宿舎へと向かう。その瞬間、シャン。と鈴のなる音がした。途端にピンと張りつめた空気へと様変わりする。
嫌な予感がした。
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