ドクドクと心臓が怖いくらい警鐘を鳴らしてくる。
(これは、この感じはたぶん恐らく……妖だ。)
そう思う理由としては紗紀がここに来たのが妖討伐の為だからだ。
「はぁ。随分と間が悪い」
「……私、頑張ります。『札に眠りし力よ我に力を』」
先程解いた筈の術で九尾の力を身に纏う。
(この為に、私はここに居る。必要とされて居るからには応えたい)
ピリピリと張りつめた空気の中、鳥居の前へと姿を現したのはおかっぱ頭をした少女だった。思わず躊躇う。
けれど少女は鳥居の真ん中、何も無い筈のそこに両の手の平をかざした。その瞬間、歪みのようなものが見て取れた。
「結界を破壊する気だね。そうはさせないよ。紗紀」
「はい!」
先程練習をした通りイメージをする。
(ここは絶対に通せない。結界を守るんだ)
「狐火!!」
「……返して……」
「え?」
青い炎が少女に向かう。その途中、少女が何かを呟いたような気がした。少女が飛びのくと同時に、紗紀が放った狐火とは別の狐火が少女を襲った。威力は紗紀の放ったものの比では無い。
「ああああぁあああああ!!」
業火に焼かれて少女が苦しみにもがく。その間何度も結界の貼ってある鳥居を両腕で叩く少女。
「返じて……!!あああああああああああぁああ……!!」
見ていられなかった。
その姿は妖になんか見えなくて。本当にただの少女が苦しんでいるように思えた。
思わず駆け寄ろうすれば強く腕を掴まれた。その腕を掴んだ者を見上げる紗紀。そこには冷めた眼差しで紗紀を見下ろすミタマが居た。
ゾクリと背中が粟立つ。
「駆け寄ってどうするの?……もう、手遅れだよ」
「……ッ!離して」
「いやだ。今回は下級妖怪だったから良かったけれど、一発で仕留められるようにならないともたないよ」
確かにその通りだ。ミタマさんが一発で仕留められた妖を私は倒すどころか掠らせる事も出来なかった。
けれど、初めて妖と対面して。下級妖怪だったとしても。敵だとしても。こんな、目の前で誰かが苦しみのたうち回るのを見送れだなんて。
酷いにも程がある。
手をこちらへ伸ばし苦しみに叫ぶ少女を見て、紗紀の瞳から涙が溢れた。
(これが、これから私達が立ち向かっていく事。こんな事をずっと……?)
その場に跪く。体が震えた。
(怖い。気持ち悪い)
「まだ始まったばかりなのに。……大丈夫かい?」
背中をさするその手を、紗紀は力強く払いのけた。ミタマはその衝撃に顔をしかめる。
「触らないで。……一人にしてください」
紗紀のその言葉にミタマは黙って従った。宿舎へと歩を進める途中、ミタマの背後でドサッと物が倒れる音がした。振り返れば紗紀が地面へと倒れ込んで居るのが目に映る。少し驚いた表情をしたが、直ぐに冷めた視線へと変わった。面倒だと言いたげに深い溜息を一つつくと、ミタマはゆっくり歩いて戻り紗紀を抱き上げた。
「やはり少しばり無茶をさせたかな。聖職者では無い人間の体は脆そうだ。こんな体でいつまで持つことやら」
ミタマは眠っている紗紀へと口付けた。失った妖力を補給させる為だ。
そうして紗紀を抱えて彼は宿舎へと向かった。
◆◇◆
目を覚ました紗紀は見知らぬ場所に戸惑う。瞬きを数回繰り返し、ゆっくりと視線を動かして見れば、壁にもたれかかって眠っているミタマの姿が見て取れた。思わず勢いよく起き上がる。
ズキン、と頭が割れそうに痛んだ。脳裏を過る先ほどの少女の光景。ぐわんぐわんと視界が揺れて、床に戻してしまった。
(気持ちが悪い)
「……お目覚めみたいだね」
(息が出来ない。苦しい)
ミタマの声は聞こえるが動悸と吐き気と息切れでそれどころでは無い。そんな紗紀を見てミタマはゆっくりと紗紀の前で跪いた。優しくその背をさする。
「呼吸に集中してごらん。吸うよりも吐く方を丁寧に意識して。いいかい?ゆっくりと吐き出して。大丈夫。次は吸ってー。うん、上手だね。もう一回吐いてー。また吸ってー。良い子だね」
それを何度か繰り返すと紗紀の呼吸は整って来た。ドッと湧き出る汗が纏わり付いて気持ち悪い。その上先程吐き出した物の匂いでもう一度吐きそうだ。
ミタマは内心ホッとしていた。また先程みたいに邪険にされて擦るその手を弾かれるかと思ったからだ。
「湯を沸かすよ。湯浴みをしよう」
そう言って彼女を抱き上げる。紗紀は浅く呼吸を繰り返すのが精一杯で抵抗しなかった。紗紀を居間へと運びながらミタマは紗紀の初めての戦いを思い返していた。
(そんなに衝撃的だっただろうか?)
ミタマには良く分からなかった。同じ種族でも無く、むしろ害を成すモノを焼き殺した。ただそれだけの事だ。人間だって昔は拷問に死刑等同じ種族をいとも簡単に殺して、殺し合って、痛め付けていたはずだ。そんなに不思議な事ではない。そう思うけれど、あの紗紀の様子を見ると大変な事をしてしまったような気にすらなる。腕の中で苦しげに目を伏せ呼吸をこなす彼女を見て、彼女から拒絶された苛立ちが消え失せてしまった。
居間に着くと紗紀を椅子に座らせ湯飲みに水を注いでやった。
「ほら口をゆすぎなよ。吐くときはこっちね」
そうして桶を机に置く。紗紀は返事の代わりに小さく頷いた。ミタマはせっせと湯飲みに水を汲んでは紗紀の目の前に並べた。
「これだけ湯飲みがあれば平気かい?湯を沸かすから少しここで待っていてね。あ、後水を飲む時はゆっくりだよ」
ずらりとたくさんの水の入った湯飲みが並びツッコミたいがそれどころではない。ミタマは心配そうに紗紀を見やり後ろ髪を引かれつつも湯を沸かしに風呂場へと向かった。
あれから数分後、ミタマが居間へ戻ると紗紀の姿は無かった。あんなに衰弱しきっていたのに自ら動いたのかと不思議に思う。
けれど妖の気配はまるで無い。鈴の音もしなかった。
ミタマは紗紀の居場所を気配で探る。閉じた瞳に映ったのは先程の寝室だった。ホッとしつつも何かあったのでは、とミタマは走り出した。
障子は開け放たれたままで、そのまま勢いで寝室に踏み入れる。
「紗紀!」
思わず呼んだ名は少し大きな声で、紗紀の体がビクリと震えた。紗紀は先程ミタマが跪いていた場所に座り込んでいた。近くには桶が置いてある。
「片付けをしていたのかい?」
「……はい。……ごめんなさい」
絞り出したような弱々しい声音で紗紀は謝罪をしながら片付けを進めていく。その間もミタマへ視線を向ける事は無かった。ミタマは紗紀の元へ歩み寄りしゃがむと紗紀の腕を掴んだ。
「後は俺が」
「離して」
しん、と空気が張り詰めた。紗紀は震えていた。ミタマはゆっくりとその腕を離す。人との接し方がいまいち分からない。そう思った。どうしてやるのが正解か分からない。かと言ってなんでも彼女の指示に従うのは違うと思った。
「片付けは俺がやるから。キミは湯浴みをして少し眠って欲しい」
「私の不始末ですから」
頑なに譲ろうとしない紗紀。ミタマは溜め息をつきたくなるのをぐっと堪えた。
「キミの気持ちも分かるけれど今は一刻も早く調子を取り戻すのが先決だと思う。キミには任務があるよね?」
ミタマの言葉に紗紀はピクリと小さく反応を示した。ミタマは生まれてこの方これ以上無いくらいに頭を使い言葉を選ぶ。
「これは命令じゃない。俺の願いなんだ。どう か頼むから今日だけでも休んで貰えないだろうか?」
佇まいを正し、深く頭を下げる。それはつまり土下座だ。真横に居るけれど紗紀の視界にはしっかりと見えていた。
紗紀はミタマに会わせる顔が無いのだ。どんな顔をしたらいいのか頭の整理すら出来ていない。まだ何も上手く返せそうに無くて、けれどそんなミタマを見てしまうと深く傷付けているのではと思えてならない。
「……分かり、ました」
それだけ絞り出すのが精一杯で、フラつく足元で立ち上がると風呂場を探しに向かう。ミタマはそんな紗紀を追いかけてそっと肩に触れた。
「お風呂場まで案内をさせてくれないかな?……頼む」
「……お願い、します」
紗紀の答えにホッとしてミタマは紗紀を抱え上げた。紗紀は驚いたが何も言わなかった。これ以上会話が長引くのが億劫だった。何より早く一人になりたかった。
「ここだよ。ゆっくりして来て。その間に寝室は綺麗にしておくね。あ、それとも別の部屋がいいかな?部屋数は結構あるんだ。どうする?」
「……さっきの部屋で」
「……うん、分かった。気を付けてね」
カラカラとスライドをして戸を閉める。ミタマはしばらく動けないでいた。すると少ししてから戸の向こう側から嗚咽が聞こえ始める。ミタマはそっとその戸を撫でた。どうしたら彼女は話をしてくれるだろう。自分と比べればまだまだ若い子供だ。自分なら上手くやれると思っていた。上手い事懐に入り、気持ちを射止めさえすれば手っ取り早く物事が進む。そう楽観的に考えていた。
ミタマは重い足取りで寝室の掃除へと戻った。
紗紀はのんびりと湯船に浸かっていた。黒く長い髪が湯船に浮かんでたゆたっている。べっとりとした汗を流せて気分が少しスッキリした。
けれど一人になると悪い方へとあれこれ考えが巡る。安易に引き受けた妖討伐。けれどそれは正解と言えるのだろうか?討伐とは傷付けたり殺したりしてしまう事だ。それは逆もまた然りでこちらが臨戦状態ならば向こうだって手加減しないはず。
(何より私は誓ったんだ。討伐という任務をクリアして安泰な未来を手に入れるって)
一人で生きて行く為に。
それなのに、あの妖の少女の事が心の中に重たくのしかかる。私が望んでいる事は何かを傷付けた上に成り立つ事。
けれど放っては置けない。私がこの神社の封印を守らなければ本当の神社の場所がバレてしまう。もし封印が解かれでもしたら妖どころか今度は人々も危険に巻き込んでしまう。
色々な物を天秤にかけては駄目だ駄目だと頭を振った。名案は何一つ思い浮かばなかった。一つだけ心に決めたのは次ミタマと顔を合わせたらしっかり謝罪と、お礼を言おう。
お風呂から上がると紗紀はその足で寝室へと向かった。いつものパジャマとは違って真っ白い浴衣だからか妙に恥ずかしい。そして少し冷えると感じた。
「あの、ミタマさん……?」
寝室に着き勇気を振り絞って声をかけてみたけれどそこにミタマの姿は無かった。部屋は綺麗になっている。寝るように言われたけれど、せめて一言伝えよう。先程の決心が揺らがないように、と拳を強く握りしめる。
すると、シャンと鈴の音が鳴った。嫌な気配だ。紗紀はこの気配を知っている、そう思った。脳裏を掠める妖の少女。
ズキンと痛む頭。ふらつくけれどそれどころでは無い。紗紀は胸元からお札を取り出した。
「札に眠りし力よ我に力を」
九尾の姿になると体がとても軽くなった。そう言えば身体能力が増すとミタマが言っていた事を思い出す。
「急がないと」
気配のする方へ紗紀は走る。思った以上のスピードにつんのめりそうになる。
(こんなに早く走れるなんて)
自分の足で走っておきながらあまりに早く流れる景色に酔いそうになる。もっと鍛錬を積まないと、と紗紀は思った。
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