1 光の輪

 満月の光を浴びながら、僕は祈るような気持ちで火竜に息を吹き込んだ。
その夜は風の無い晩だった。澄み切った空気の中に響き渡る笛の音はどこかもの悲しく、
それでいて燃えさかる炎のように熱かった。僕はいつしかその情熱を帯びた炎の中に
飲み込まれ、焼き尽くされてしまうかのような錯覚に陥りながら必死になって演奏を
続けていた。

「橘君、橘君てば!!」
 どれほど時間が経ったのか全く分らなくなった頃、いきなり耳元で
珠里の叫び声が聞こえた。
「何?どうかしたの?」
僕は額から流れ出る汗をパーカの袖で拭いながら尋ねた。すると彼女は湖の
中心を指で示しながら、興奮気味に答えた。
「ほら、あそこを見て!!」
慌ててその方向を見た僕は驚いて目を見張った。

 湖の中心が光っている。
その光はチカッチカッとフラッシュを焚いた時のようにしばらくの間点滅を繰り返した後、
輪のような形となって湖上に現れた。やがて2つ、3つ、4っ・・・と増えて行き、
間もなく連続した光のトンネルのようになり、僕達のいる岸辺まで到達した。
 僕と珠里はただ呆気にとられてその光景に見入るばかりだった。
すると今度は傍らにあった目玉石に変化が起こった。

 パアーンッ!!
 突然、石全体が閃光を放った。そのあまりの眩しさに目を覆った僕は
その直後、石から妙な音が聞こえてくるのに気付いた。
 ブーンブーンブーン・・・
 それは機械的な音だった。またその音を発している目玉石自体がバイブレーターの
ように振動を始めた。それは新しく掛けられたばかりの注連縄がユラユラと揺れている
事からもよくわかった。
(一体何が起こっているんだろう?)
 僕と珠里は不安な面持ちで、お互いの顔を見合わせた。すると突然、
目玉石から声が聞こえてきた。

『音弥、そして天眼の娘よ、私の声が聞こえますか?』
「き、菊石姫、その声は君だね?」
 僕は反射的に答えていた。決して忘れることの出来ないその声を
再び耳にして感動に震えながら・・・

『ええ、そうです、音弥。
あなたがここに再び帰って来てくれて、嬉しく思います』
「僕もだよ、菊石姫。この一年、君のことを忘れた日はなかった。
君のお陰で僕は、あれから順調に龍笛奏者の道を歩み始めているんだよ」
『ええ、わかっています、音弥。でもそれはあなたが私の言葉を信じて
天命を受け入れたからこそ。あなたはこれからも自らの力を信じて、
その道を歩んで行けばいいのですよ・・・』
 姫の言葉は以前と変わらず優しかった。
次に姫の言葉は珠里に向けられた。

『ようこそ、珠里。よくここまで来てくれましたね?』
 珠里はその言葉に、深く一礼してから答えた。
「ええ、菊石姫。私は夢の中で聴いた貴女の言葉に導かれて
この湖にやって参りました。私は水神に仕える巫女です。御用があれば
何なりとお申し付けください」
『ありがとう、さすがは由緒正しき神社の娘。それでは申し上げましょう。
珠里、そして音弥。あなたがたを今夜ここに呼んだのには理由があります。
実は今、龍神界はあなた方お二人の力を必要としているのです・・・』

(えっ?珠里だけじゃなくて・・オレも?)
 予想もしなかったその言葉を聞いて、僕は驚いて顔を上げた。
一方、珠里の態度は落ち着いたものだった。姫の言葉は続いた。

『音弥、あなたが驚くのも無理は無い事です。しかしもう一刻の猶予は
ないのです。今からあなた方二人はそこにある光の輪をくぐらなければ
なりません。その道は私達のいる、龍神界へと続いています。私はその道の先で
待っています。ですからどうぞ私の言葉を信じて、その輪が消えてしまう前に
中に入って来て・・下さい・・・』
 姫の言葉はそこで途切れてしまった。それと同時に先ほどまで聞こえていた
震動音も止み、石の動きもピタリと止まったのだった。

 僕は激しく動揺していた。
(これから龍神界に行くだって?まさかそんな・・・!?)
 突然、未知なる世界からの呼びかけでそこに行くだなんて、僕には容易に
受け入れられるはずもなく、恐怖心が先走った。
(一体どうしよう?)
 僕はすがるような面持ちで珠里を見た。すると

「さあ、グズグズしていると光の輪が消えてしまうわ。だから勇気を
出して行くわよ!」
「で、でもさ、ちょっと危険過ぎないか?無事に帰れるという保証もないんだし・・・」
 すると珠里は目を吊り上げて言った。
「なーに言ってるの?私達は龍神様に呼ばれているのよ。断るなんて絶対、無理。
二人なら、きっと大丈夫だから!!」

 こうしてまたもや僕は珠里に押し切られ腕を鷲づかみにされると、あっという間に
まばゆく光る輪の中に足を踏み入れて行ったのだった。







神倉万利子
この作品の作者

神倉万利子

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