表裏

「何だと!? 治部に刑部に、嶋左近!? 嘘だ!」
「嘘ではない……が、仮に嘘だとしてもおぬしにとっては状況は変わらない」
 刑部は仏像のような微笑みでナユタを見下ろす。
「くそ……くそっ!」
 ナユタは奥に向かって駆けだそうとしたが、近くにいた火車の者がすぐにその身体を取り押さえた。
「何を! 放せ!」
「お前、よくこの状況で自分一人だけ助かろうと思えるな? たとえ豊臣の兵がお前を逃してしまったとしても、もう、俺たちがお前を逃がさねえよ」
 こんな男の言うことを聞いて、信じてきた火車の者たちの後悔と憤りはどれほどのものだろうか。
「ああっ、くそ、こんな奴らに……俺の計画が、人生が……、っくそ、くそ!!」
 身体を拘束されながらも、じたばたしてまだ悪態をついているナユタに、左近が近寄る。
「やったこと相応の罰は必ず受けてもらう。まず、見苦しいので少し大人しくしてくれ」
 左近はナユタの腹部に一撃をお見舞いすると、その狙った場所と瞬間が見事で、ナユタはすぐに気絶した。
 そして無惨に床へ平べったくなっているナユタの身体を、兵がてきぱきと回収する。
 ナユタの声がなくなると、場は静かとなった。火車の者たちはナユタを自ら差し出した格好になったが、火車の者たち自身も捕まる覚悟で、暴れる者は一人もいなかった。
 治部にとって印象的だったのは、火車の者たちがどこかほっとしているようにも見えたことだった。火車がどんどん過激になっていって、引くに引けなくなっていたのだろう。
 治部はここから、「佐吉」としてではなくまさに「治部」として言葉を発した。
「殿下のお命を狙うなどという大事件だ。ナユタが悪かったかもしれないが、おぬしらも、少なくともその計画を知り、一緒にいたからには罪は免れない……しかし、最後におぬしらが良心を取り戻したことは誰の目に見ても明らかだった。でなければ、ナユタはあのように怒らなかっただろう。よって、儂はおぬしらの減刑を望み、そのために努力する。おぬしらも、取り調べには素直に応じてくれるな?」
 火車の者たちは驚いた顔をしながらも各々が頷き、大人しく兵たちに連れられていった。
 そうして火車の者たちと左近が連れてきた兵たちがこの場からいなくなると、がらんとして広大な空間が目立った。治部たちの他には現場の封鎖と調査をするための兵が数人しか残っていない。
「ひとまず、一件落着といったところか」
 刑部が晴れやかな声で言った。
「そうだな。ひとまず。おつかれ」
 二人は台の上から降り、肩を抱き合った。
 治部にとって、火車の者たちを言葉の力で改心させられるかどうかは賭けだったが、意外にもナユタが一役買ってくれたかもしれなかった。ナユタは皆の前で、治部を論破することによって人心を掌握しようとしたが、その勝敗は逆で、効果はそっくりそのまま治部がもらったのだった。
「左近はどうしてここへ兵を連れてこれたんだ?」
 治部と刑部はまだ兵に細かく指示を加えている左近の元へ、駆け寄った。
「それが、実は逃げた罪人を捕まえるために兵を出す許可をお願いしたのです」
「え、ということは?」
「牢の中の、忍たちには逃げられてしまいました。忍たちがお互いの首を絞め合って、自死を試みている……という演技をしているのを見張りの兵が、罠とも知らず止めに入ってしまったんです」
 左近が苦い顔をする。
「そうか、止めに入った兵を倒せば扉は開いたままになっているし、奴らの力があれば外にいる見張りの兵を倒すのもたやすいか」
 治部は納得したくないものの、冷静に状況を想像して納得してしまう。
「はい……ですが、彼らを捕まえるという名目でこちらへ兵を出すことが出来ました。忍びの者が火車の本部に戻ってくる可能性はまず考えられるでしょう?」
「心配かけたな」
 左近がなんとか理屈をつけてここまでやって来てくれたことを知り、治部は改めて左近に感謝する。刑部も、治部の隣で申し訳なさそうな表情を作った。
「とにかく、ご無事で何よりです……でも、何か、あったでしょう? 殿も、刑部様も気が乱れておられる。某の目を誤魔化すことは出来ませんよ」
 二人はぎくりとした。もちろん、あの例の匂いのせいだろうが、そのことを知るはずのない左近がどうしてそれを指摘するのか。
 今更になって、ここで起こったことを左近にそのまま説明するのは非常にまずいと治部は焦り始めた。火車に入りたいふりをして密儀伝授の場に参加したものの、おかしな香の匂いで危うく二人とも正気を失くしかけ、なんとか逃げ出したのに、その後は火車の者たちの前で演説を始めたのである。
「うん、まあ、これほどの事件だ。儂らだって疲れるさ」
 治部はなんとか話を誤魔化そうと自分の肩をもみもみとしながら、それらしく言う。しかし左近にそのような小手先の技が通用するわけがない。
「疲れるとか疲れないとかそういうことを言っているのではありません。そもそも、殿はこれまでにも『これほどの事件』があったところで、疲れたと素直に言えるほど可愛い性格をしていないでしょう」
「そ、な、なんてひどいことを言う! 儂だって、疲れる! 疲れたってよく言う! なあ、刑部殿!」
「ううん、それはどうだろうなあ」
「刑部殿!」
 治部は左近から見えない角度で刑部の着物を後ろから引っ張るなどしたが刑部は全くどこ吹く風と、知らんぷりを決めている。刑部は、目の前の左近を切り抜けることよりも治部をいじめる方を優先したのだ。
「確かに儂は治部殿が疲れたと言っているのを聞いたことがない」
「刑部殿? 今、状況を考えて?」
「だが、儂はそんな負けん気の強い治部殿がまた好きだ。ここで嘘はつけん」
 刑部が何の恥ずかしげもなくきっぱりと言い切ると、治部はもはや、どうしていいか全く困った。その困惑した治部の様子を見て、左近は目を細め、刑部は満足した。
「では嶋殿、申し訳ないが、ここを任せてよいだろうか? 儂らには急ぎの用事がある。殿下との茶会が待っているのでなあ。ほら、治部殿、急ぎ参ろう」
「あ、ああ! 急いでいる!」
「それを言われたら、引き留めるわけにはいきませんね」
 左近は肩をすくめながらも、またいつでも何があったか問いただす機会はあると思っているので、そう悔しがってはいない。気持ちよく二人を送り出した。
 治部はその言い訳があったかと心の中で刑部に拍手を送りながらも、もっと早く助けて欲しかったとも思うので感謝の気持ちは口にしなかった。
「佐吉、怒っているのか? 俺は嘘を一つも言っていないから、怒られる筋合いはないと思うんだけどなあ」
「それは分かっている。が、時と場合によるだろ」
 治部は少し恥ずかしくなって、刑部から顔をそらす。
「おお、そういうことを佐吉の口から聞くとは思わなかった」
「やっぱり馬鹿にしてるな?」
「してない! してない!」
 刑部は普段の大人びた様子からは想像の付かないようなあどけない顔で笑いながら、駆け出した。
「ほら、茶会にはまだ間に合う! 早く行こう!」
「もう……分かった!」
 ここで矛を収めてやるのは年上の仕事だと治部は判断し、刑部と一緒になって駆け出す。すると自然に笑みがこぼれてきた。
「幸せだ、今」
「俺も同じことを考えていた」
 そのあとは二人、何も話さなかった。




 その夜、名護屋に数ある陣の中で、とりわけ大きな陣のうちの一つ。ある殿さまと、その家臣が囲碁を打ちながら会話を楽しんでいた。
「……やはり、そう上手くはいかないか。秀吉は生き延びたし、天守もそのまま。せめて天守が燃えてくれれば、それでも十分、士気に影響して反乱を誘導出来たのに惜しいことだ。あのしょうもない集団だけでは、忍を投入しても焼け石に水か」
「まあ、仕方ないでしょう。やはり天下を動かすには、このような消極的な方法ではだめです。もっと大きく、危険を取ってでも動かなくては」
「そうだな。儂も考えを改めよう。それに、治部と刑部がいかに邪魔かということも、今回でよく分かった。その対策も考える」
「ええ、はい。某の勝ちです」
「あれっ、いつの間に! もう一戦、付き合え」
「はいはい。いくらでも、付き合いますよ」
 この男たち、石の下で蠢く虫のように、じいっと天下を狙っている。だが、上にのしかかる石をどのように排除しようか執念深く考えている一点で、ただの虫とは大きく異なっていた。
(終)

江中佑翠
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江中佑翠

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