section 4 :Comet "XIX.The Sun"
Bloomsbury, London
同じ頃、ラッセル・スクエアを右手に見ながら颯爽と歩く一人の少年の姿があった。きちんと仕立ての良いツイードのコートとウールのハンチングベレー帽を被り、かつかつと景気の良い足音を立てている。しかし、どう見てもどこかの中流家庭の息子が無理して背伸びをしているようにしか見えないのは否めない。
目的地までもう少しという辺りの四つ角で、同方向に足を向けている一人の女性と出会った。あえて素知らぬ顔で歩き過ぎようとした時、背後からこんな呟きが聞こえてきた。
「まだ学校は終わらない時間なのに、子供がこんな場所に?秋のハーフタームは終わったはずだし、冬休みにはまだ早いわよね」
少年は足を止めると、後ろを歩いていた女性を軽く睨んで言った。
「僕は君より年上なんだよ、リリス。大学院までちゃんと卒業したしね! 」
「I'm sorry ,sir.」
「うっかり過剰反応してしまった」という表情の相手とは対照的に、心にもない謝罪を口にしたリリスは非常に良い笑顔である。
少年、否、見た目は少年のように見える青年コメット・スターは、口の悪いリリスにわざとらしくため息をついて、再び目的地の方へ歩き始めた。二人の行き先は同じ場所のはずだ。しかし「一緒に行く必要はない」と言わんが如く、猛然と速度を上げて歩くコメットが必然的に先を行く事になる。リリスも歩く速度は早い方だが、この時のコメットは半ば競歩でもしているかの勢いだったので「随分せっかちね」と思わず呟いてしまった程だ。
未成年にしか見えないコメットだが本人も言う通り、大学院を卒業している歴とした成人男性である。身体的な要因(小人症など)がある訳ではない。十代に見える小柄な体格と童顔だというだけの話だ。彼は(別に容姿のせいではないが)一般の職業ではなく、「探偵」を生業にしている。信用職とも言える仕事なので、顧客にも「子供? 」と不振がられる事も多い。だが見かけによらず腕っ節は強く、調査能力も高いのでこれまで引き受けた仕事は概ね良い結果を残していた。
リリスは時折思い出したようにコメットの容姿をからかうのだが、悪意より「何故幼く見えるのか」という興味からのようである。コメットにしてみるとそれがまた気に入らない。だが余程暇で無い限り、彼女の毒舌はあえて無視しようと心に決めていた。
……とは言え。恐らくは途中ですれ違った何人かの大学生たちも、リリスと大して変わらない印象を抱いているのは間違いない。
やがて先を歩くコメットが指定先の古書店の前に着いた。ガラス入りの木製の扉を開ける時に少し後を見ると、リリスはまだ一つ向こうの角の辺りを歩いている。建物内の階段部屋に入った彼は、そこでまたもや見知った女性に出くわした。
「あ、リーファスも呼ばれたんだね」
コメットが声をかけると相手の女性リーファスは頷いて答えた。
「こんにちは、コメット。あなたも今回のメンバーなの? 」
「そうだよ。外にリリスもいたから、どうやら"いつものメンバー"になりそうだね」
そこまで言った時、リーファスが後生大事に抱えた本に気がついた。
「へえ、珍しい物持ってるじゃない。それ『黎明の書』でしょ? 」
「今ここで買ったのよ。なかなかこの手の本って見つからないから運が良いわ」
「確かに君は運が良いね。もし僕が先に見つけていたら、間違いなく僕の物になっていたからさ。……読み終わったら貸してくれる? 」
「ええ。でも今回の仕事が終わるまで読めないから、しばらく先になるわよ? 」
「有難う。いつでも良いよ」
コメットもリーファスと同じく霊能者としての才能があり、子供の頃からオカルトに強い興味を持っていた。これは父親の影響だ、と、今も彼は思う。彼の父親は優秀な霊能力者だった。コメットが物心ついた頃の父親は、心霊調査機関のエージェント「ゴーストハンター」としても活動していた。
心霊調査機関は、国を超えたオカルト対策専門の秘密組織だ。世界中に支部を持ち、秘密裏に一般の警察などの司法関係では調べられない心霊現象や怪異に対処している。非営利団体だが、各国の資産家とスポンサー契約を結び運営を行っているらしい。スポンサーとなる資産家の大半はオカルト趣味の持ち主や、現実に怪異に悩まされた事のある人物など。あくまでも噂だが融資の見返りとして調査機関からエージェントを優先的に派遣して貰えるとも言われている。
コメットの父親は調査員として優秀な人物だったらしいが、十年前の調査中に消息を断ってしまった。当時はまだ「本当の子供」だったコメットは父親の行方を探すために、改めて心霊能力の修行や戦闘に関する知識と実技を己の体に叩き込んだ。そして大学院卒業後は、オカルト関係の事件も請け負える探偵となり、仕事の合間に父の消息を探り続けていた。
その彼が父と同じ「心霊調査機関」からスカウトを受けたのは、当然と言えば当然だろう。コメットをエージェントとして招いた男は"ジャッカル"と名乗っている。勿論仮名だが、表舞台には出ない秘密機関での匿名はさほど不思議ではない。この男は英国内の管理者のかなり上部の人間らしく、主にロンドン近郊の調査指令を出しているようだった。
現在までコメットに届く指令は全てこの"ジャッカル"からの物だった。リーファス、ケイン、リリス、そしてゲーリーもまた然り。
"ジャッカル"配下に何人の心霊調査員が存在するのかは調査員には全く知らされてはいない。
彼らは前金の振込と共に送られてくる指令用音盤から調査の内容を受け取り、それに対応する。それを終えると連絡要員を通じて報告書が指令者である"ジャッカル"の元に送られ、調査員たちの指定口座に報酬が振り込まれるシステムである。
額面は仕事の危険度にもよるが最低で前金10ポンド以上、成功報酬50ポンド以上と約束されていた。(失敗した場合にも一定額は保証されている。)
しかし仕事内容はけして安全ではなく無事に仕事が終わるとは限らない。コメットの父親もそうして戻らなかった一人だ。だが調査員には契約時に幾ばくかの保険金が掛けられているようで、何らかの「事故」があれば家族の元には規定額が贈られるという事になっていた。
リーファスとコメットが本について話しながら階段を上がると、手持ち無沙汰のあまり持参した機器類を黙々といじっているケインが一人で部屋にいた。
「やっと来たか」
「お待たせ」
リーファスが笑顔で夫のいる椅子の側に座った。
「すぐにリリスも来るよ」
「という事は今回も"いつものメンバー"って事だな」
そう言うケインに、暖炉に火を入れながらコメットが頷いた。そろそろ夕刻という事もあって部屋は冷えていたのだが、機械いじりに夢中だったケインはその事にも気がつかなかったようだった。
リリスが古書店の入り口付近に来た時、目の前に黒いベビーロールスが止まった。彼女はそれを横目に階段部屋の扉へ向かったのだが、先に扉に手を掛けたのはたった今車を降りたゲーリー・クローンである。
「どうぞ、ミス・グレイス」
恭しくそう言ったゲーリーにリリスは「どうも有難う、ミスター・クローン」と答えて扉を潜った。
「ところで先日の件だが、前向きに検討してもらえたかな? 」
リリスに続いて建物に入ったゲーリーが問いかけてくる。リリスは「またその話か」と思うが、極力愛想の良い笑顔で答えた。
「私は既婚者だと何度も申し上げたはずでしてよ」
「でも俺は、君のご夫君が亡くなっていると聞いたんだが? 」
リリスは足を止めてゲーリーに向き直った。
「確かに世間的にはそうなっていますわ、ミスター・クローン。でも遺体が発見されていない以上、生きている可能性も有りますので」
答えなれた言葉をつらつらと並べる。正直な話ゲーリー以外の男性からの求婚や縁談もあったので、彼女の返答もパターン化している。
リリスは雑誌を飾るモデルや銀幕を彩る女優と並んでも全く引けを取らない容姿の持ち主だ。しかもまだ若い未亡人。男性諸氏から見れば、こちらが再婚でも初婚でも扱いやすいようにでも見えるのかも知れない。
しかしながら外見とは相反して、頑固で毒舌家で跳ね返りで超がつく程の堅物である彼女は、そうやすやすと陥落するような玉ではなかった。過去、彼女と結婚していた相手も「心を開かせるのは無理か? 」と諦めかけた時期に口説き落とせたようjな状態だった。
行方不明の夫に未練らしきものはある。何しろリリスが人生の中で唯一「家族」と呼べたのは彼だけだ。だが彼女は貞淑という訳でも操立てしている訳でも無い。ただ納得がいかないのだ。結婚すぐ床一面の血を残して消えた夫にも、遺体が見つからないのにすぐに未亡人として扱われた事にも。
ついでに言えば「自分も細君を亡くした身だから」という安易な理由で求婚するゲーリーにも、かなり納得はいかない。
ともあれこの二人が揃って階段を上がり、これで"ジャッカル"に呼ばれたゴーストハンターたち全員が指定の場に集合した事になる。