section 11:Hard work---YR

Any dangers toils and anares
I have already come
'Tis grace has brought me safe thus far
And grace will lead me home

The Lord has promised good to me
His word my hope secures
He will my shield and portion be
As long as life endures

Yeswhen this flesh and heart shall fail
And mortal life shall cease
I shall possess whithin the vail
A life of joy and peace

The earth shall soon dissolve like snow
The sun forebear to shine
ButGod who called me here below
Will be forever mine

これまで数多くの危機や苦しみ誘惑があったが
私を救い導き給うたのは
他でもない神の恵みであった

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり私の一部となった
命の続く限り

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れる

やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

John Newton, Olney Hymns,1779
"Amazing Grace"より抜粋

周囲を見回したリーファスが白い息を吐き出しながら言う。
「肝試しだったら、なかなか良いシチュエーションなのにね」
オカルト事象や霊現象に慣れている彼女でも、さすがに夜中に一人では来たくないような場所だ。
元々ここは伯爵領内にある教会の墓地だったのだろう。今はすっかり荒廃しており、少し離れた場所に見える小さな教会もとっくの昔に廃墟となっているようだ。
「今ここで『霊魂君』を使ったら色々な幽体が見えるのかな?」
ケインの言葉にコメットが首を傾げた。
「どうだろうね。霊ってのは基本的には人間のいない場所にはあまり出ないもんなんだけれど」
若きオカルト探偵はここで不要な霊視を行ってみる気はないらしい。リーファスが小さな声で言う。
「"誰"もいない訳でも無いけれどね。何人かが興味津々でずっとこっちを見ているみたいだから」
霊感の強いリーファスは霊視を行わなくても、霊的存在の気配だけは分かる。普段の彼女はスイッチを切るような感覚で、あえて霊は見ないようにしている。中途半端に霊に注目すると無関係なものまで引き寄せてしまうと分かっているので、努めて無関心を装っているのだ。
「とりあえず、今『霊魂君』は出さないでおきましょうね」
妻の言葉にケインは「ちぇ」とつまらなそうに軽く舌打ちしたが、彼女に逆らってまで冒険する気もなかった。

霊廟の脇にある階段の前で、足元に向けてトーチの光を巡らせる。階段下にある入り口らしき扉が故意に外されているのが照らしだされた。古い重い鉄枠つきの木の扉だったが、蝶番やノブの部分が何かで破壊されているようである。
「ロジャース・ハワードって人は、結構乱暴者だったんだな」
ケインが壊れた扉の状態を見ながら言う。
「鍵が開かなければ、こうするしか入る手がないからね。手間が省けたじゃない?もし今日ここに鍵が掛かってたら、僕も同じような事をしただろうからさ」
「いや、コメットが結構乱暴なのは前から知ってるし」
ケインが妙に納得した苦笑を浮かべたので、コメットは「何だよ」と少々膨れっ面になる。
「とにかく、中に入って調査を続けましょうよ」
リーファスが二人の後ろから声を掛ける。
「あ、ちょっと待ってくれる?装備変えるから」
ケインは手荷物から、昨夜少しばかり改造を加えたゴーグルを取り出しながら言った。

所々苔の生えた湿った石段を降りて三人は、壊れた扉の内側を目指した。霊廟へ向かう細い通路の石の上をコツコツと響く3つの足音に混ざり、極小さな鼻歌が聞こえている。
先頭を歩いていたコメットが耐えかねたように振り向いた。
「ちょっとケイン、さっきから何で『ロンドンデリーの歌』なんか歌ってんのさ?」
隊列の一番後から返答が戻ってくる。
「いや、ちょっと思い出したもんで」
「こんな時にぼそぼそ鼻歌が聴こえてくるのって、何だか薄気味悪いからやめてくれない?普通に歌ってくれる方がまだ良いよ」
コメットにそう言われ、ケインは「あはは」と少し照れくさそうに笑う。
「怖いから賛美歌口ずさんで、お祈りしているのかと思ったわ」
これは二人の真ん中を歩いていたリーファスの言葉である。今のケインの鼻歌のメロディは賛美歌としてもよく歌われる曲なので間違いではない。
「んー、そんなに怖くはないんだけど。何となく、ひたすら黙ったままで静かに歩いてるのって退屈で」
確かに墓地に入った辺りから三人は緊急時に対処出来るようにとやや緊張していたので、かなり無口になっていた。
「気持ちは分かるけれど、あの鎧騎士がその辺に隠れていたらどうする気?鼻歌で気づかれて斬られたら困るわよ」
本当にそうなったら"困る"というレベルの話ではないのだが、その辺りは生来呑気なリーファスらしい言い回しだ。
「さすがにそれは無いだろう?ここからロンドンまで、馬での往復は遠すぎるじゃないか。この辺にはもういないと思うんだけどなぁ」
自分よりも更に呑気な夫にリーファスは言った。
「霊の世界っていうのは時間や空間の理屈が違うのよ。さっきまでここにいた霊が、次の瞬間にロンドンに現れるという事だって充分に有り得るんだから」
「えー、物理法則とか時間概念全然無視か?こっちに出てくる時くらいはこっち世界のやり方に従ってくれなきゃ」
「そんな事私に言われても困るわ。大体、あなたの発明品だって物理法則にきちんと従っているようには見えないわよ?」
「何だとー」
緊張感に欠けた会話を始めてしまったフレミング夫妻の前を歩きながら、コメットは「ここは笑うべきなのか怒るべきなのか」と少々悩んでいた。

やがて三人はやや広い場所に出た。付近の床には、青や緑のタイルで模様のような物が描かれている。
「これ、ケルト十字?不思議ねぇ。ここはキリスト教の墓地のはずなのに」
「宗教的な意図ではなく、単なる装飾扱いになってるんじゃない?まあハワード家がアイルランドに所縁のある一族なのかも知れないけれどね」
コメットは何の気なしに屈んで石の上のモザイク模様を見た。と、視線の端に赤黒い物が映る。懐中電灯を巡らせると、それはモザイクタイルの上から点々と左手奥へと続いているようだった。コメットが見ている物に気付いたケインは、何やら薬品らしき小瓶を鞄から出してきた。それを床の上の染みをピンセットで採取して瓶の中の液体に入れる。そして何やらゴーグルの横についた機器らしき物を操作した後に一言。
「あー、これは血だな」
「あら、それは血が分かるお薬なの?」
リーファスがそう尋ねたのでケインは実に嬉しそうな表情で説明を始めた。
「うん、1900年頃にドイツで発見された、えーと……名前はちょっと忘れたんだけれど、何とかって薬品でさ。血液のタンパク質に反応する薬品だよ。ドイツでは警察も殺人事件の調査なんかで使っているんだよ」
(作者注釈※1901年にパウル・ウーレンフートが発見した抗ヒト血清沈降素反応)
「まあ場所が場所だし、まさかペンキやジュースって事はちょっと無さそうだもんね。赤インクくらいなら良かったんだけどさ」
コメットは更に奥を灯で照らしながら言う。柱の向こうに大量の赤黒い物がある。点々と続いていた物はこぼれたような跡だが、そちらは意図的に床に不可思議な図案を描いていた。リーファスが口元を抑えて言った。
「招霊の儀式はここで行われたみたいね」
図案の上に幾つか配置されている物は既に腐敗したり乾燥しているため、何だったのかははっきり分からなかった。だが少なくとも素手で触りたい気分にはなれない物ばかりだ。転がった金属製の容器からは灰、カップのような物からは図案を描いた残りの液体らしき物がこぼれている。そして円陣になっている部分の中央には、鞘に収まったままの古い剣があった。
柄は書籍に掲載されている「Sword of Mercy(慈悲の剣)」の形状に似ているようにも見える。柄や鞘に施された細工は傷みが激しいが、元は実直な美しさを持つ物だったのだろう。コメットとリーファスは剣に直接触れても良いものかと躊躇っていたのだが、ケインは特に何も考えずにそれを手に取った。
「かなり古そうな剣だな」
「それってさ、ここで怪しげな召喚に使った物だと思うんだけど?」
コメットにそう言われて、ケインは手の中の剣をじっと見つめた。
「こんな剣で何か呼べるのかい?」
「だから、もう!ダイザード伯爵以外の誰を呼び出すって言うのよ。この魔法陣で召喚魔法を使ったのよ」
リーファスが言った。
「ああ、納得。そういう話だっけな。でも普通の剣みたいだよ」
そう言いながらもケインはいきなり触った事には少し後悔したようで、そっと丁重に剣を元の場所へと戻した。
「これ、儀式に使ったのは状況からも分かるんだけれど。前に見た騎士の剣とは全く違う物だよね」
コメットが首を傾げて言う。
「ええ、別の剣だわ」
霧の夜に鎧騎士が手にしていたのは柄と鍔で宗教的な十字架の形状を模した形をしていた。だが、こちらの剣はもっとシンプルな作りをしている。

コメットが再度周辺を懐中電灯で照らしていると、少し離れた柱の影にもう一つ何かが落ちているのが見えた。近づいて確認すると、それは開いたまま裏返しになっている本だった。今度はケインもすぐ手には触れず、三人でそれを囲むように屈んで覗き込む。
「これが"黄衣のキング"って本なのかな?」
特に怪しい霊気などは感じなかったので、リーファスは恐る恐る本を拾い上げた。古い皮表紙と羊皮紙で作られており、表紙には鉤爪を組み合わせたような(少しトリスケリオンに似た)紋章描かれている。裏表紙には蛇の輪を頭上に掲げた獅子顔の女性の横顔が箔押しされていた。記憶を手繰りながらリーファスが言う。
「裏表紙の顔はエジプトの女神だわ。何という名前のどういう神様だったかは、ちょっと思い出せないけれど」
「この表紙の模様は?」
コメットの問いにリーファスは「分からない」というように首を振った。
「これが本当に魔術書だったら、ゲーリーになら分かるかも知れないわね」
中を開いてみたが、文章はすべてラテン語だったので、ここにいる三人には比較的英語に近い単語しか読めなかった。

と、その時。前方に何か光らしき物が横切った。コメットが慌てて自分の手にしたトーチを消す。リーファスとケインもすぐに気付いてそれに習い、三人は柱の後ろに隠れて息を潜めた。

奥に続く納骨堂から足音と声が聞こえてきた。
「何故私が前を歩いてるのか、そろそろご説明頂けないかしら、ミスター・クローン?まさか、あなたはお墓を歩くのが怖いのかしら?」
「ああ怖いねぇ。何しろコメットの銃は45口径だからな」
どうやらリリスとゲーリーらしい。
「私も彼の銃弾をまともに受けたら、確実に死にそうなのですけれど?」
「何、心配要らないさ。俺が婚約者として、丁重かつ厳粛に君の葬式を出しておこう」
「No thank you.……このまま無縁仏になる事にするわ」
あちらはあちらで全く緊張感のない会話をしているようだ。いや、コメットに誤射される危険を語っている分には、本人たちには緊張があるのかも知れないが。コメットはうんざりして額に手を当て呟いた。
「もう。あの二人、僕を一体何だと思ってるんだよ。そんな危険人物じゃないぞ」
リーファスとケインは忍び笑いを漏らしながら、懐中電灯を再び点けた。合図のために奥の二人に向けて灯を振る。

一瞬会話と足音が途切れ、リリスの声が聞こえてきた。
「無条件降伏しますので、どうか撃たないで下さいな」
「撃たないってば!!」
コメットの声が地下に反響した。

「ふむ。間違いなく"黄衣のキング"だ。表紙の紋章はYellow Sign。魔術的な意味を持つ紋章だと思ってくれたら良い。しかし全くなんて酷い事を。こんな貴重な書物を投げ出すとは」
合流したゲーリーはリーファスから受け取った本の表面についた埃と踏みつけられたような足跡を丁寧に払いながら言う。
「召喚が上手くいかなかったと思い込んで、怒って捨てて行ったんでしょうね」
リリスが呟く。ロジャース・ハワードは自宅で死亡していたのだ。儀式の直後は何らかの理由でダイザードが現れなかったのは間違いない。
リリスはやや目を細めゲーリーの手元を見ていた。"黄衣のキング"の裏表紙だ。蛇輪を頭上に掲げた横顔の獅子の女神の肖像。
どうやら嫌な予感は当たってしまったらしい。

そのまま、しばらく何か考え込んでいたリリスがやがて顔を上げる。そしてゲーリーに向けて言う。
「呼び出せる?」
その場にいた全員がリリスの方を見た。
「はあ?」
「えーと」
「何だって?」
「妙案だね。今、ここでって事?」
コメットは意図を察したらしい。
「他に手はないでしょう?ロンドンに帰って、霧が出るまで待つ訳にいかないじゃない」
そこまで言われて他の3人にも分かった。
「今、再びここでダイザードの霊を呼び出せるか?」とリリスは言ったのだ。ゲーリーは魔術書のページを繰りながら答えた。
「最初の招霊儀式の時に使った物は使えなくなっているんで、同じ方法で呼び出すのは無理だな。でもこの剣がダイザードの物なら、何とかなるだろう。どうする、腹据えてやってみるか?」
ぐるりと他の三人を見回したゲーリーにコメットが答えた。
「僕に依存はないよ」
「俺も賛成だな。こんな物騒な物をここで放置して帰る訳にいかないもんな」
ケインも同意する。最後にリーファスが少し考えて答えた。
「呼び出すゲーリーに危険が無いのなら、私も反対しないわ」
ゲーリーはニヤリと笑った。
「ご心配有難う、リーファス。まあ俺は上手くやれるって自信だけはあるよ」
「では、是非お願いします。ミスター・クローン」
微かな笑みを浮かべリリスが言うと、ゲーリーは召喚のための準備を整え始めた。

ロジャース・ハワードが描いた以前の召喚陣は使えないため、少し離れた場所にゲーリーは赤い液体を使い新しい魔法陣を描いた。
「それは血じゃないわよね?」
気味悪そうに言うリーファスにゲーリーは答えた。
「血の代用品みたいなものだな。ドラゴン・ブラッドと呼ばれる樹脂から作られた赤い液体に別のハーブを調合した物だ。ウィッチクラフトではよく使われている品で、別に実害はない」
鮮やかな赤い色の液体で描かれた図案と一緒にヘブライ語らしき文字を書き、一通りの作業を終えたゲーリーは全員を呼び集めて、円陣の中へと入った。ケインが呟いた
「あ、魔法陣の中に霊を呼ぶ訳じゃないんだな」
リーファスが納得したような顔で言う。
「招霊術でもよく似た方法を取るわよ。これは呼び出す相手から術者を守るための場所なのよね」
「そういう事だ」
ゲーリーは全員が正しい位置に入っている事を確認すると、詠唱を始めた。何かの韻を踏んだような言葉だったが、それが何語でどういう意味を持つ言葉なのかは他の者たちには理解出来ない。だが書かれている文字はヘブライ語のように見えるので、それも同じ種類の言葉なのだろう。
詠唱が一度途切れ、再び始まると目の前に黒い靄が現れる。それは徐々に人の形になり、やがて鎧を着込んだ形を取った。

ゲーリーが唇の端を歪めて言う。
「こいつを制御するのはちょっと無理らしいぞ」
以前霧の夜に見た黒い靄のまとわりつく剣を手にした騎士は、一同の方に向けてそれを構えた。それが振り下ろされる前に、全員が同時に魔法陣の外へと避ける。
剣術の心得がない一同に正確な間合いなどは分かる訳もないが、相手が一、二歩で踏み込める距離にいれば確実にこちらが不利というくらいは分かっていた。
魔法陣での待機している間に怪光線銃をセットしていたケインが後方から一発目を撃つ。だがそれに怯んだ様子はなく、相手は剣を構えている。
「あの時は何か嫌そうにしてたのになぁ」
不満を漏らしながら、ケインは次の攻撃のためのエネルギーを充填した。

コメットも近接は不利なので、愛銃を使い霊力を込めた弾丸を放った。
ほぼ同じタイミングでリーファスがタリスマンを握りしめて祈り、空間に現れた光のナイフを相手に向けて飛ばす。彼らの霊能力での攻撃は物理防御を無視してダメージ貫通する種類の物だ。
ゲーリーは奥へ下がってポケットに入れていた自作の魔術写本を開く。極短い詠唱の後に足元から現れた白い不定形の物体が人の形に変化して、甲冑の騎士に飛びつく。相手は避けることはせずにそれを切り裂く。だが形を持たない白い物体は、再び人の形に戻り騎士に執拗にまとわりついていった。
その隙を縫ってケインが二発目の怪光線を放った。

間合いを保ったまま騎士の背後へと回ったリリスは、ある事に気が付き、目を見開いた。ダイザードの持つ剣の鍔の辺りを凝視する。そこにあるのは見覚えある象嵌。"黄衣のキング"の裏表紙にもあった女神の横顔である。
「これも……?」
ドクンと心臓が大きく波打つ気がした。
「ちょっと、突っ立ってたら危ないってば!」
いきなり横に弾かれリリスは我に返る。立ち尽くしていた彼女に、ダイザードの視線が向いていた。どうやらコメットが気づいて軽く突き飛ばしてくれたようだ。
「有難う」
素直にそう言ったが、まだリリスは剣から視線を外す事が出来なかった。
黒い靄に包まれた刃。よく見るとダイザードの周囲にまでそれは及んでおり、鎧全体を包み込んでいるようにも見える。

リーファスが祈りの言葉を紡いだ。
「Have mercy upon me, O God, after Thy great goodness
According to the multitude of Thy mercies do away mine offences.(神よ、慈悲によって私を憐れみ、深い憐憫によって私の咎を消し給え)」
瞑想状態に入る直前のリーファスの"目"に、大きな光が見えた。平伏したくなる程の光の渦が自分の遥か上空にある。そして、いつも共にいるハイヤーセルフ以外の、何か別の存在をそこに感じていた。

意識を霊能力に集中させているリーファスのすぐ側で、ケインが三発目の怪光線を放った。撃たれたお返しと言わんばかりに、そちらに向けて鎧騎士が剣を振り上げる。ケインは反射的に手にした武器でその攻撃を受けた。大きな音を立てエネルギーパックが破壊され、火花が飛び散った。壊れた銃は暴走したのか、そこから溢れでた強い光が地下墓地の奥まで照らし出す。

その時、騎士の動きが止まった。
忌まわしき黒き剣を見ていたリリスは、黒い靄が溢れでた強い光によって掻き消された事に気づく。
「コメット、あれ撃って」
やや上ずった早口でリリスが言った。名指しで呼ばれたコメットが問い返す。
「何をさ?」
「鍔の紋章よ。早く」
剣に目線を向けたままリリスは言う。コメットもようやく先程からリリスが目で追っている物が何なのかを知った。
(自分で撃てば?)とも思ったが、彼女の様子はとても逆らえる雰囲気ではなかった。そして反動の大きい45口径で、確実に小さな部位を狙うチャンスは相手の動作が止まった今しかないだろう。銃声が響き、霊力を乗せた銀色の銃弾が飛ぶ。そして女神の横顔がひび割れた。

「Pater noster, qui es in caelis:
sanctificetur Nomen Tuum;
adveniat Regnum Tuum;
fiat voluntas Tua,
sicut in caelo, et in terra.」
朗々と祈りの声が響く。声の主はリーファスだ。しかし、今彼女の口から発せられている言葉は英語ではない。
「ラテン語?」
怪訝な表情でゲーリーが首を捻る。リーファスは英語以外は話せないはずだ。しかし彼女は「主の祈り」をラテン語で祈祷している。やがて声の調子が変わる。
「Domine Jesu Christe, Rex gloriæ,libera animas omnium fidelium defunctorumde poenis inferni,(主イエス・キリストよ、栄光の王よ、全ての死せる信者の魂を地獄の罰と深淵からお救いください)」
「何言ってるんだ?」
馴染みのない言葉を発し続けている妻に、ケインは戸惑う。霊能力を使っている最中なのは分かるので迂闊に触れることは出来ない。しかし、もしそうでなければ彼女の頬を軽く数発叩いていたかも知れない。

怪光線銃からはまだ光が漏れ続けている。光に照らしだされたダイザードの膝がリーファスの祈りの声に合わせたように折れる。剣が手から離れて転がり、上半身がまるで懺悔でもするかのように項垂れた。急激に鉄の鎧が腐食したように崩れ始めた。それはやがて完全に形を失い、石の床の上にまるで聖灰の如く静かに光ながら落ちていった。

詠唱が止み、トランス状態だったリーファスが目を開けた。頭上の光に吸い込まれた後、何者かが自分の口を使って、祈りの言葉を紡いでいたのは彼女も覚えていた。
「大丈夫か?」
心配そうな夫に頷いて見せながら、リーファスはふと気がついた。
「今のは、ダイザード伯爵の鎮魂をしたカトリックの司祭様だわ」
「え?」
問い返すケインにリーファスは言った。
「まさか私に高次元界の霊が降て来るなんて思わなかったけれど……。司祭様はダイザード伯爵の事を忘れていなかったのね」

霊界には詳しくないケインに妻の言葉の意味は半分も分からなかった。だが、彼女が無事であり、ダイザードの霊が去ったことは分かる。彼はほっと息をついて壊れてしまった怪光線銃からエネルギーパックを抜き取った。暴走で溢れ出ていた光が消えた。

「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように……」
口の中で細く呟いたリリスの声は誰の耳にも届かない。

その時だった。リリスの視界に、落ちたままになっていた剣が映る。それは再び禍々しい靄が剣を包み始めていた。
「ゲーリー下がって!」
滅多に大きな声を出さないリリスの切羽詰まった声に、ゲーリーは慌てて数歩下がった。だが時既に遅し。一番近い位置にいた彼に向け、黒い靄は触手を伸ばし絡みついた。そしてゲーリーの右手が落ちていた剣を拾い上げ掴んだ。
「ちょっと!何でそんな物拾うんだよ!?」
コメットが思わず叫ぶ。
「これは俺の意志じゃない!皆、離れてくれ。こいつ、攻撃する気満々だぞ!」
誰が見てもこの状況はまずい。剣術の心得が全くない上に筋力のないゲーリーの攻撃はおぼつかない物だったが、まさか彼を倒す訳にもいかない。
ぎりっと唇を噛み、リリスがカメラのフラッシュを光らせた。ケインの銃から光が消えた瞬間に靄が現れた事を考えると、光に弱いのかも知れない。光を浴びた瞬間、ゲーリーの手が止まりコントロールが解けたようだったが、剣を捨てるだけの時間は無かった。リリスと同じ事に気がついたのだろう、リーファスが落ちていた懐中電灯二つを手にして剣に向けた。わずかだがゲーリーの右手の動きが遅くなる。
しかし、剣に宿る悪しき存在は諦めていないようだ。コメットの方に刃は向かってくる。
「わ、ちょっとちょっと待ってよ!」
飛び下がって避けた踵に、何かがコツンと当たった。それが何か気がついたコメットはすぐに拾い上げて、こちらに向けてゲーリーが振り上げた剣を攻撃を受け止めた。

儀式に使われたと思われる、恐らくは本来の"ダイザードの剣"だ。鞘から抜く暇さえ無かったが、かろうじて攻撃を跳ね返す事には成功した。双方が剣を持っていれば武器戦闘の心得のあるコメットに分がある。鞘を抜き捨てて、こちらに向け剣を構えた彼ににゲーリーは苦笑する。
「頼むから、俺を斬らないでくれよ?」
勿論、ゲーリーに攻撃を加える訳にいかない事は全く変わりないのである。
「善処するよ。でもうっかり当たっちゃった時は諦めてよね?」
少し意地悪い返事をしながらも、コメットはゲーリーの手の中にある剣を落とす事に専念した。何発か打ち込むと体力の無いゲーリーは息を切らせ、動きが鈍る。
攻防の末、剣はゲーリーの手を離れて転がった。リリスはそこに銃口を真っ直ぐに向けた。至近距離に近づいた彼女に黒い靄が伸びる。だが帯状になったそれが届くよりも前に、彼女の銃弾はひび割れた獅子の女神の顔を微塵に砕いていた。

「全く、厄介な代物だったな」
ぜえぜえと肩で荒い息をつきながらゲーリーはその場にへたり込んでしまった。
「ゲーリー、大丈夫?怪我はないみたいだけれど」
ゲーリーを気遣うリーファスにコメットが少々不本意な顔で言う。
「当たり前じゃない。僕はちゃんと彼には当たらないようにしたんだからね」
確かにゲーリーはコメット本人を狙って攻撃していたが、コメットは剣しか狙ってはいない。何かの間違いでかすっていない限り、怪我はなくて当然だ。

「今の剣の黒いモヤモヤがダイザードも操ってたって事なのかな?」
ケインが他の四人に向けて問いかける。
「ええ、たぶん。この剣が関係ない人を襲わせていたんだと思うわ。すごい悪意をあの靄から感じたもの。でも何故この剣を彼が持っていたのかしら?」
リーファスが首を傾げる。
「"持ち込まれた"のよ。鍔の象嵌の女神の顔は、魔導書の裏表紙にあった物と同じ物。日記に書かれていた肌の黒い男が『儀式に使え』とでも言って渡したんじゃないかしら?」
表情を消したままリリスが言う。
「一体何のために?」
疑問形で呟いたコメットを、リリスは横目で一瞥する。
「推理はあなたの担当じゃないの、少年探偵さん?」
「そういう無茶振りやめてくれない?……って言うか、僕は少年じゃないし!」
思い切り憤慨した様子のコメットだが、リリスの視線はぼんやりと遠くを見ている。何か他の事に気を取られているようだった。

"野獣の一員"と名乗ったという男。肌は黒いが彫りの深い黒人ではないその男は、金に困って手段を選ばなくなっていたロジャース・ハワードに目をつけた。だが、特に何か目的があった訳ではないのだろう。真意は分からないが、ダイザードを蘇らせてどうにかしたかったとは思えない。ダイザードが使った黒い剣は、"魔剣"の類だ。悪意を持ったこの剣は殺戮を繰り返し血を啜っていたのかも知れない。しかし、放置したままその男の影は見えない。実験的な物だったのか。或いは見捨てられたのか。
だがリリスの手の中には、それを解き明かすためのピースはない。彼女は考えを中断し、まだ文句を言っているコメットに向けわざと大きくため息をついて見せた。

事後処理を終えて時計を見ると、針は午前7時過ぎになっていた。日照時間が短い英国の真冬もそろそろ日が昇り始める時刻だろうか。
祈る人も既にいない、打ち捨てられる運命にある地下墓地を抜けゴーストハンターたちは明るくなった地上世界へと戻った。

nyan
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nyan

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