第十二歩
千年以上前の人達が想いを込めた文章を、時を越えて読み解く。
想像も出来ないような長い間読み継がれた、短いラブストーリーやキラキラした素敵な物語。
今行われている本日最後の授業、古文って基本的にロマンチックだと思う。
興味が無くはない。
しかし今はダメだ、眠い。
昨晩は久しぶりにフットボールの世界にどっぷり浸かって大いに楽しんだ。
一人で何杯もお茶を飲みながら「どうやってんだ、あのフェイントは?」「おいおい、サイドバック上がり過ぎだろ、後ろがガラ空き!」などと呟きつつ数試合を観ていたら、いつの間にか薄明るくなった窓の外で雀が鳴いていた。
今日はもう一日中眠過ぎて、昼休みも急いで昼食を済ませた後はずっと机に突っ伏していた。
今が一番の眠気のピーク、先生の一本調子な声は呪文の詠唱にしか聞こえない。
魔法の効果は抜群、彼のレベルの高さが推し量れる。
教科書で顔を隠しつつ最低限勉強しているポーズだけをとり、諦め気味に少し眠ることにした。
ちょっとだけ、ちょっとだけ……
のつもりが、起きたらすでにホームルームも終わり、教室には誰もいなかった。
椅子に座ったまま大きく伸びをして、固まった体を覚醒に馴染ませる。
大分すっきりしたな、人間体調が悪い時は無理しちゃだめだな、寝て良かった。
授業の半分とホームルームを事実上欠席してしまったことからの罪悪感。
それが消える程の大きな満足感を抱きつつ、出しっ放しになっていた教科書を鞄にしまう。
侑とのえるは、都心のサッカーショップに練習用のウェアを買いに行っているはずだ(俺は眠気を理由に断った)。
まずウェアから、つまり見た目から入るところが大変あの二人らしい。
侑なんてたくさんジャージ、持っているだろうに。
明日菜は友達と遊びにでも行ったんだろう、あいつはさっぱりした性格が好かれて意外と同性の友達が多い。
素っ気ない態度をとったり時々冷たいことを言ったりしても、芯の部分では優しいやつだ。
可愛げだって無くはないと言うこともありえないことではないかもしれないと言い切れなくもない。
片付けが終わった俺は椅子から立ち上がり、教室を出た。
今日の晩めしは何にしようかな、残り野菜がたくさんあるから食べちゃわないと。
野菜たっぷりあんかけチャーハン、トマトと豚肉と野菜を全部放り込んでコンソメの鍋、鶏がらスープでさっと煮ておかずスープ的なのを作ってもいい。
ぼんやりとメニューを考えながら廊下にでると、五十嵐桃花がビニールに包まれたバスケットボールを抱えながら歩いていた。
「あれ、まだ帰ってなかったんだ?」
帰宅部の五十嵐がまだ校内にいることに少し驚きつつ、聞いた。
「あ、ああ三浦君。ちょっと高橋先生から頼まれて。私日直だから」
立ち止まって五十嵐が応える。
彼女と会話するのは随分久しぶりな気がする。
「何を頼まれたの? ボール運び?」
「うん、職員室に届けられてた新しいボールを体育倉庫まで運んで、ビニールを剥がして軽く拭いておいてくれって」
「けどそれってバスケ部の仕事じゃないの?」
「なんか今日は部活が休みで、明日の午前の体育で新しいボールが必要みたいなの。だから今日の日直の私が頼まれたと思うんだ」
日直ってことはもう一人いるはずだが……。
そんな俺の言いたいことを先読みするように、五十嵐が続ける。
「もう一人の日直の赤木君は、風邪でお休みみたいで」
高橋先生というのは俺達のクラスの担任だ。
普通の先生なら五十嵐に仕事を頼んだりするのは避けそうなところだが、彼はあえて五十嵐に任せる。
そうすることによって自信をつけたり、周りとの繋がりが出来たり、つまりは本人の為になると考えているようだ。
俺は高橋先生のそういうところを、本当に相手のことを考えているところを素直に尊敬している。
「そうか。けど女の子一人で全部運ぶのは大変そうだな」
この時間まで掛かっているということは、結構な数のボールがあるのだろう(五十嵐の足を考えれば、人より余計に時間が掛かるはずだ)。
「皆手伝ってくれようとしたんだけど、大丈夫だからって言っちゃったんだ」
五十嵐が微笑む。
「手伝うよ、俺暇だから」
「ありがとう、けど平気だよ。私も今日予定無いし」
今まで何度も目にしてきた柔らかな拒否の壁だ。
何故だか今日の俺は、その壁を強引に突破してみたくなった。
遠慮する五十嵐を無視してボールを取り上げる。
「体育倉庫まで運べばいいんだよな?」
「ほ、ほんとに大丈夫だから、べ、別に遠慮とかじゃないの。私一人で出来るから」
俺はまたも無視して、ボールを持ったまま廊下を五十嵐がついて来れる速度で歩き出す。
五十嵐はなんだかいじけたような、ちょっと不安そうな可愛らしい顔で俺の斜め後ろをついてくる。
ようやく諦めてくれたみたいだ。