第五歩
スーパーからの帰り道、ちょっとの沈黙の後明日菜が急に呟く。
「……桃花ちゃん、今日も一人でお弁当食べてた」
「そうだな」
五十嵐桃花。
俺達のクラスメイトで、高校からの知り合いだ。
いや、正確には俺は中学から知っている。
一方的に。
中二の夏に見かけた試合でピッチに虹を架けたあの10番、それが五十嵐桃花だった。
入学式の後教室に入ってきた彼女を見た瞬間、俺は生まれてからしたことのない顔をしたと思う。
驚きと、会えた喜びと、一瞬にして悟ってしまった事情が高速で頭を巡り、頭の中が白紙、いや様々な絵の具でめちゃくちゃに塗りたくられたような混乱を覚えた。
彼女の両足は、膝から下が義足だった。
教室に入った彼女は皆からの遠慮がちな視線を浴びながら、出来るだけ目立たないように入口近くの席に座った。
そして姿勢を落ち着かせると、誰にも話しかけられないようにじっと机を見つめていた。
あの試合で見せた明るさはなかった。
姿形はあどけなさを残しつつもあの時より女性らしくなり、俯くとと柔らかな髪が頬にかかってきれいだった。
兵庫県の子のはずなのに……引越してきたのか?
そんなことよりあの足は?
事故、病気、一体どうして?
そんな不躾な質問など出来るわけもなく、前の席の初めて見る男(後に親友になる侑だ)や明日菜と入学式で紹介されていた新しい担任のことや何やかやを話した。
けれど頭の中は混乱したままで、その日どうやって帰ったかもよく思い出せない。
二年の夏になった今、やはり桃花は一人ぼっちだ。
いや、正確には孤独ではない。
入学初日から今日まで友達になろうと話しかける男子も女子もたくさんいたし、不便を解消しようと桃花の体を支えたり荷物を持とうとする女子もたくさんいた。
けれどその度に、桃花は困ったような笑顔で口数少なく遠慮するのだ。
もちろん周りは「クラスメイトなんだから、気を使わなくていいよ」と再三言うのだが、桃花は拒否こそしないものの受け入れもしない。
やんわりと「大丈夫だから」と遠慮を繰り返すだけだ。
そして話しかけられたら笑顔で応じはするものの、自分から積極的に話題を出したり友達を作ったりはしなかった。
それでも、今でもクラスの大半は桃花の力になりたいと思っている。
だが当の本人から拒否されてしまっては……。
そして今日も桃花は一人でひっそりと昼食を食べたのだ。
まるで自分の存在を消そうとするかのように。
「一年の時から何度か話しかけたり、遊びに誘ったりはしたんだけど」
少し落ち込んだ様子で明日菜は呟く。
「明日菜は頑張ってるよ」
そういうところは素直に尊敬してしまう。
翻って俺は全然ダメだ。
必要がない限り話しかけもせず、極力意識しないようにしている。
もちろん本音では力になりたい。
けど俺が一番話したいことはサッカーの話なんだ。
あの虹をかけた、時間を止めたフライスルーパスの話なんだ。
……そんな話、出来るわけがない。
これ以上彼女にとって残酷なこともないだろう。
あんなに輝いていた、二度と戻らないものを語るなんて。
「料理、手伝おっか?」
トーンを変えて明日菜が話しかける。
「お前何にも出来ないじゃん、結構です」
「パスタぐらい茹でられる」
「生姜焼きを石炭にしたやつに何も言う資格はなーい」
パスタなんて茹でさせたらすいとんになってしまう。
イタリアの食文化の代表があられもない姿になってしまったら、シルヴィオ・ベルルスコーニも卒倒してACミランを売却してしまうかもしれない。
ジローラモもユニクロしか着なくなるかもしれない。
「家でも手伝わせてくれないんだ、この前なんてお母さんに洗い物もしちゃだめって言われて。」
「何枚割った?」
「……四、五、六、七枚あたり?」
そりゃだめだ。
うちでも手伝わせないと固く心に誓った。