あのころの私
冬の五輪で数え、三回前、平昌五輪、ソチ五輪よりも前のバンクーバー五輪の開催年となる二〇一〇年。
世界の地図で見て、ファーイースト(Far East)の海上に位置する日本列島。
列島の中心、本州のはるか東側の広い平野から海に突き出て、一年中温暖な気候に恵まれた場所。
東京・さいたま・横浜などからもそう遠くなく、春夏秋冬を通して多くのレジャー客が訪れる房総半島。
半島の突端の近くには、里美八犬伝の舞台でもある館山の街があった。
百合子は、一四才、館山の中心街から城山公園・上真倉よりにある長須賀に住んでいた。
紺色とクリーム色または銀色・菜の花色のツートンカラーの東鉄内房線電車に乗り、君津にある私立の中学校に通っていた。
百合子は、当時、夏に大輪の花を咲かせるやまゆりのごとく容姿端麗であり、性格もおとなしく、クラスの仲間からも慕われていた。
まさに、どこにでもいるごく普通の中学生だった。
だが、そんな彼女には、ほかの人と違うところがあった。
それは、今いる父親の芳夫・母親の美香が養親であり、生みの父母に関わる手掛かりや記憶を一切持っていないことであった。
さて、長い時間、館山の街を照らしていたお日様がりんご飴のように紅い夕日となって地平線の先に沈み、まもなく星の輝く空に包まれた。
百合子は、所属するテニス部の全体練習を終えて内房線の電車にのって帰宅した。
「百合子、あなたの好きなカレーが出来ているわよ。」
玄関先で美香がニコニコとした表情で佇み、百合子に言葉を掛けた。
「お母さん、ありがとう。」
百合子は、娘らしい元気な表情で美香に答えた。
さっそく、百合子は左手を足元の革靴に掛けて脱ぎ、リビングに移動した。
彼女は、ねこと同じ速さで歩き、紺色のブレザー・スカートと翡翠色のリボンが目立つ制服のいでたちで黒い通学かばんをさげていた。
リビングには、アンティークな椅子やテーブル、デジタル地上波対応テレビがあり、お洒落な雰囲気が漂っていた。
なお、テーブルの上には、常滑焼の洒落た柄のお皿があり、雲のように白くつやのあるご飯の盛られ、カレーがかけられていた。
また、カレーのそばには、作り置きしていたあさりの味噌汁が入れられたマグカップがあり、塩の香りを漂わせていた。
百合子は、席について喜びを心の底から湧かせた。
「あぁ、美味しそう。いただきます。」
彼女は、掛け声と共に、右手にスプーンを持ってカレーを食べ始めた。
そして、
「おいしい。お母さんのカレーは、いつ食べてもおいしいわ。」
百合子は、心洗われたかのような様子で美香に感想を伝えた。
「百合子。そう言ってくれるだけでも、ありがたいわ。」
美香は、うれしそうに顔をほころばせ、百合子に言葉を返した。
続けて、
「百合子。そういえば、東郷さんや中田さんたちと上手く付き合えているの?」
美香は、つぶらなやさしい瞳で百合子を見つめ、友人関係のことで尋ねてきた。
「お母さん、茜ちゃんとあこちゃんのことなら、仲良くできているから心配しなくても大丈夫だよ。」
百合子は、美香に心配なさそうな口調で答えた。
「それなら、心配しなくてもいいわね。」
百合子の話に、美香は肩の荷が下ろし、ほっとした口調で言葉を発していた。。
百合子は、まもなくカレーライスとあさりの味噌汁を食べ終えた。
食事の後、彼女は、置いていたかばんを右手に持って階段を上がり、二階にある自分の部屋に移動をした。
彼女は、部屋に戻るなり、パリの凱旋門に似た二段形の本棚に手を伸ばし、星座にまつわる雑学本を読んでいた。