保田の女の子
時計の針が七と三を少し過ぎた位置を示す頃。
電車は、周囲にぎざぎざとした山と半円形の入江に囲まれ、物静かな集落が立ち並ぶ駅に到着した。
ここは、保田駅といい、周辺には早春の水仙で名を知られる江月集落、テレビ番組で時々取り上げられる保田漁港の海鮮茶屋・ぱんやがあり、浮世絵の創始者・菱川師宣が生まれ育った場所でもある。
まもなく、到着した電車から車掌がホームに降り立ち、手馴れた様子でスイッチを押してドアを開けた。
ホーム上にいたスーツや制服姿の人々は、空気のシューとした音を発するドアに吸い込まれるようにして千葉行きの電車に乗り込んでいった。
それと共に、後ろよりの二両目に一人の制服姿の女の子が乗車した。
その女の子の名前は、東郷茜といい、水仙の里として知られる江月に住み、百合子の親友である。
また、百合子と共に渡鍋学院のテニス部のエースとされる人物でもある。
見た目は、大人しくて気品があり、特筆すべき点は、くりくりとして可愛らしいつぶらな瞳、緩やかにカーブしたショートヘアとパズルのピースと同様に整った顔、夏にたわわに実る大きな桃の果実を思わせるふっくらとした胸くらいである。
身体つきは小柄で、百合子を鏡に映したかのように似ていて、同じ渡鍋学院の制服を纏っていた。
さて、茜は、電車の中でうろうろと見渡した後、しっかりとした足取りで百合子のもとに近寄ってきた。
そして、
「広瀬さん。本日から学校が始まりますね。」
茜は、百合子に顔を近づけ、はきはきとした口調で語り掛けた。
このとき、茜は、部活動の後輩のようにすました表情を見せていた。
「茜ちゃん、そうだね。」
百合子は、うんうんと顔をうなずかせて茜に答えた。
百合子もまた、心の底から沸き立つ喜びを顔に表した。
「茜ちゃん。中学生最後の学年だから、お互い仲良く頑張って行こうよ。」
百合子は、何の曇りのない表情を浮かべ、励ましの言葉を茜に掛けた。
「広瀬さん、もちろんです。」
茜は、心にくもりのない雰囲気を漂わせ、百合子に言葉を返していた。
お互いに鏡をうつしたように姿が似た百合子・茜の二人は、電車の中で時間をつぶした。
具体的には、雑談として最近のニュース、日々の出来事などを話し、目的地の君津駅までの時間を過ごした。
百合子・茜の話す様子は、さながら実の姉妹が語り合うかのように見えた。
二人が乗る千葉行きの電車は、日曜大工に使うノコギリの刃を連想させるギザギザとした山の頂が目立つ鋸山のトンネルを潜り、春の潮風が香る安房路に別れを告げ、さくらやみつばつつじ・すみれなどの花が美しい上総路をひた走った。