宿に戻ると、お母さんが宿の前で待ち構えていた。
「お母さん! お兄ちゃんが!」
「見れば分かるわ。まず落ち着きなさい」
お母さんは冷静だった。
「崇は?」
「土砂崩れに巻き込まれた」
「そう。気を失っているだけ?」
「多分な」
端的な会話が続くが、必要最小限の情報でお互いの理解ができている。
夫婦ってこんなかぁと思わずにはいられない。
いやいや、そんなことより。
「お父さん、早くお医者さん呼ばないと」
「お待ちください。今から村の診療所に連絡しても、明日の朝になります」
女将さんが口を挟む。
「そんな! じゃどうするんですか!」
私は自分が冷静ではない事に気がついた。
普段は散々小馬鹿にしているお兄ちゃんだが、やっぱり私のお兄ちゃんなのだ、と改めて自覚した。
「源さん」
「あいよ」
女将さんが「源さん」とかいう初老の男性を呼んだ。厨房から現れたので、料理人だろうか?
お兄ちゃんは部屋に運ばれ、布団に寝かされた。それでも目を覚まさない。
「右足のここ、打撲だな。骨まではいってない」
源さんはお兄ちゃんの右足を触り、そう断じた。
医者でもないのに、ここまではっきりと断定するのはどうなんだろう?
よほど不審な顔をしたいたんだろう。
源さんが私の胸中を見透かしたように、恐ろしいことを告げた。
「ワシに解体できんモノはない。人間の骨格なんてのは見りゃすぐ分かる」
解体……。まるで猟奇殺人の犯人みたいなことをいう源さんだった。
でもその程度で良かった。
私はまた、あの時の右手の感触を思い出した。
あの時のお兄ちゃんの右手。
石のように冷たい手。
「よし。茉莉、行くぞ」
お父さんが立ち上がり、ってええ? どこ行くの? お兄ちゃんを放っておいて?
「『探検』が終わっていない」
な――!
「それどころじゃないでしょ! お兄ちゃんが怪我したのに!」
「茉莉、崇は大丈夫だ。後は安静にしていればいずれ気がつく」
「だったら尚更――」
「いいか茉莉」
お父さんの語気に気圧され、私は続く言葉を飲み込んだ。
「崇は『探検中』に不慮の事故で脱落を余儀なくされた。それに俺たちがここにいても出来る事はない。お母さんもいるし、女将さんもいる。なら俺たちに出来る事は何だ?」
何を言ってるんだ、このオヤジは?
「『秘境』の『探検』を完遂させることが、崇への弔いだ。せめてそれくらいはしないとな」
と、弔いって。
お兄ちゃんまだ死んでないよう……。
「茉莉」
お母さんが私の肩に手を置いた。
「お父さんの性格は分かっているでしょう? ここはお母さんがいるから大丈夫。あなたはお父さんのそばにいてあげて」
は――?
この親は一体何を考えているんだ。
自分たちの息子が大怪我したんだぞ?
「崇が目を覚ましたら、絶対に『探検』がどうなったか訊くだろう。その時になんの成果もなく、ただここで看病してました、なんて言ったら……崇がどう思うか」
私は、その言葉にはっとした。
お兄ちゃんの事だ。きっと自分のせいで『探検』が中断され、自分のせいだと自らを責めるに違いない。
まったく。
厄介な家族だわ。
「お父さん」
「ん?」
「今度はちゃんと『滝』に向かってね」
お父さんは私のその言葉に、満足そうに頷いた。
「もちろんだとも!」
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