第02話『生け贄』
「うぐぐぐ……」
小型旅客機の中で18歳になる癖毛のブロンドをした少女が、子供のように両手でシートにしがみついていた。
「みっともない……。ほら、ベルト着用のサイン消えたわよ?」
アイリが呆れ顔で自分のベルトを外しながらフィリーネに呼びかける。
人生初めてで緊張するのは分かるけど、離陸前からガチガチに固まっているのでそろそろ慣れてほしい……アイリはそう思う。
「最近は安全高度だとネットも使えるんだよな。暇せずに済むな」
そんなフィリーネの事は露知らずといった様子で、ヨシュアは呑気に自分のタブレット端末を取り出してネットを巡回し始めた。
胸の内は何か声を掛けたかったのだが、シャイな性格が災いして言葉にならない。
「な、なんでみんな平気なのぉ~……」
周囲を見るが、どの乗客も音楽を聴いたり新聞を見たりして寛いでいる様子だ。
離陸前にフィリーネが勝手に熱い契りを結んだ不安そうにしていた男の子も、今は心底安心した寝顔で夢の中にいる。
「空飛んでるんだよ? 脱出できないんだよ……」
「大丈夫だって。そんなに簡単に墜落なんかしないよ」
「そうは言うけど……」
アイリがだだっ子のようにするフィリーネを優しく諭す。
すると次第に落ち着いてきたのか、顔の筋肉がほぐれてきてメントルシュ空港に到着するころにはいつもの彼女に戻っていた。
ここメントルシュはエイシア連邦東部に位置する都市で、「華の都」とも言われる。
花栽培の歴史が長いことが由来とされているが、先の大戦の戦火から逃れた文化的価値のある多く残る首都部では、観光業が盛んだ。
加えて、世界のファッションブランドメーカーが多く本社を構えていることからファッションの発信地としても知られている。
3人は空港からタクシーを拾い、中央駅まで出ると大型ロッカーに衣類の入った鞄を放り込んで身軽になる。
ちょうど昼食時だったので、腹の虫が鳴く前に旅行ガイドに書いてあった小洒落た料理屋に向かうことにした。
「こういう店って、観光客向けだから美味くないんだよなー……」
オープンカフェ風だったその飲食店に入る間際でヨシュアがポツリと呟いた。
ウッドデッキが足に心地いいのか、フィリーネは無駄に歩き回っている。
昼には早かったのか、人がまばらで3人は店員にすぐ案内され、窓際の茶色い革張りの席に座った。
そして、3人はメニューを見て愕然とする。
「ラ……ランチが200コール(約2,000円)だと……?」
それは長くファーストフードや大衆食堂で飢えを満たしていたヨシュアにとって法外な価格だった。
「あらー……4食分の値段ね。これは」
アイリも訝しげに目を細めてメニューの「お上品」な写真を見つめている。
「……むぐ」
そんな2人を見て、「こういうレストランなら普通だよ」と言いかけたフィリーネは慌てて口を噤(つぐ)んだ。
ガイドブックには「メントルシュではお手頃な値段!」という曖昧な表記しかなかったので、ここはまだ良心的な方なんだろう……と、3人はランチを注文し、それをじっくりと味わって再び街を歩く。
「どうだったよ」
店を出てから数分、やや不機嫌そうに先頭を歩くヨシュアが女子2人にたずねた。
「美味しかったけど……量が少ないわ」
「わたしも。テレビで見てる以上に小盛りなんだね」
その問いに体重が気になるお年頃の2人が赤裸々に答える。
どこかで食べ直すかを話し合うが、目の前にあったのは世界的チェーンのファーストフードショップの「バーガーロード」だった為、その案は即取り下げとなり、落ち着かない胃をなだめながらメントルシュの街を歩く。
「わぁ……すごいよ、アイリ。本当にお花が沢山ある! 歩いてる人たちも派手じゃないけど、洗練されてるって感じ。いいなぁ~」
「恥ずかしいから、そんなにキョロキョロしないでよ」
「シャッターを切るのが止まらないな……」
先ほどまでの淀んだ空気はどこへやら。
心の中で仕切り直しをし、彼女たちは目を輝かせながら散策を楽しんでいた。
「男の子の方がカメラ上手だよね?」と、フィリーネに訳の分からない事を言われ、カメラマン役を押しつけられたヨシュアも最初こそ不満そうにしていたが、写真を撮るのは嫌いではなかったので、記録係として旅行を楽しんでいた。
「えーと。ガイドブックによれば、そろそろ記念塔が見えてくると思うんだけど……あ、見えたよー」
街路を左に折れたところで、フィリーネが目標地点を白い指で差して2人に振り返った。
そこは景観を損ねるという理由から、付近の建物は高さが制限されており、記念塔の周囲が都市の中にぽっかりと空洞を開けているように見える。
そのふもとまで歩いて行く3人。
敷地内は白い石畳が続いており、ところどころに緑の芝生が広がっていて人々の憩いの場になっているようだ。
塔の下まで辿り着くと、空高くに鉄塔がそびえ立ち、見上げようとすると首が痛くなるほどだった。
「すごいねー。高いねー!」
上を見ていたフィリーネが興奮した様子で言う。
「でも、これはアレだろ。先人類の建造物の真似を――」
ヨシュアがそこまで言いかけると、アイリはそのつま先を思いっきり足で踏みつけて「空気読みなさいよっ」と口を開いた。
「元々は電波塔として建てられたけど、同時に大戦からの復興のシンボルでもあったのよ。それを何? 先人類の記録なんて、ほとんど残ってないじゃない。どう真似するのよ」
「むう……ネットでそういう書き込みがあったんだよ」
「あなたはもう少し自分で考えなさいっ」
こんな危なっかしいやり取りも、彼女らの中では日常だった。
「あ、途中まで上れるみたいだよ。行こうっ」
エイシア人としては小ぶりな鼻から興奮した様子で息を荒く吐くフィリーネは、そんな2人などお構いなしに先行し、入場チケット売り場へ駆けていく。
「ちょっと待ってよ! リーネ!」
アイリがフィリーネに追いつき、彼女らがいつもしているように手を取り合いながらじゃれ合っていた。
ヨシュアはそんな様子を見ながら、痛む左足をよそにデジタルカメラのEVF(液晶画面を用いたファインダー)を覗き込み、2人の笑顔を記録に残した。
***
「1日目、ご苦労様でした!」
「お疲れー」
「お疲れさん」
メントルシュ郊外の格安ホテルのレストランで、3人は夕食を囲んでいた。
価格が価格なのでフルコースまでとはいかないが、10代である彼女らにとってはランチ以上に贅沢な品々が並んでいる。
特に目を惹いたのは子羊のグリルだ。
茶色で光沢のあるソースが皿に敷き詰められ、骨付き肉はこんがりと焼き目がつけられていてとても美味しそうだ。
まずディナー用のワインで乾杯した彼女らは、それを少しだけ口に含んで味を楽しみながらゆっくりと飲み込んだ。
「ワインはまあまあね。料理はどうかな」
アイリはそう言いながら、ベビーリーフやパプリカで鮮やかに彩られたサラダを口にする。
「昼間の時とは違って、なんか大人になった気がするね」
「そうだな。高校生の頃はファーストフードばかりだったもんなぁ」
フィリーネとヨシュアもそれを味わいながら話をしていた。
「でも、これで最後かもしれないんだよね……」
フィリーネのアメジストの瞳が寂しそうに光を僅かに放っている。
ヨシュアはサラダを口いっぱいに頬張ったばかりだったので、急いでそれを噛んで胃に送り込み、ワインをぐいっと飲み干して「最後じゃねーよ」と彼女を真っ直ぐに見つめて続ける。
「これで最後じゃない。これからも俺たちは友達だ」
力強い言葉とは裏腹に、何故かその表情は少しだけ陰りが見える。
彼はフィリーネに友人以上の好意を寄せていた。
そして、それ以上にこの3人の関係が好きだった。
これからも「友達」である事を宣言して吹っ切れたつもりでいた。
その心中を知らないアイリだが、彼の言葉に応えるようにフィリーネの色白の手と自分の手を重ねる。
それにヨシュアも続き、3人の手が重なった。
「2人とも……ありがとう」
ブロンドの少女は目元を潤ませて礼を述べる。
「さ、湿っぽい話は最終日にでもして、今日は盛り上がろう!」
「静かにな」
羽目を外して新しいボトルを開けそうになっていたアイリを、冷静なヨシュアが止めた。
料理はそこそこの味だったが、それは3人にとって特別な食事だった。