第03話『掃除屋』
再編歴238年3月6日 明け方
「あ……うぅ……」
フィリーネの意識が次第に覚醒していく。
それと同時に眠っていた神経が目を覚まし、頭に鈍痛が走る。
目の奥と前頭部がズキズキと痛み、気分が悪い……少女はそう思いながら、ゆっくりと目蓋を開けた。
「リーネ。よかった……大丈夫?」
前の座席に座っていたはずのアイリが、泣きそうな顔で少女の顔を覗き込んでいた。
彼女はお気に入りのコートをフィリーネに被せ、その下に着ていた白のカーディガンは大きく裂かれていた。
それが自分の包帯代わりに使われた事を知り、フィリーネは「ごめんね。折角の服なのに……」と謝罪する。
「……いいの。それより、動ける?」
「うん、なんとか」
座席のベルトはアイリが外してくれたのだろう、フィリーネの身体は自由に動いたが、すぐに違和感を感じた。
本来水平であるはずの機内が大きく傾いており、ねじ切られた機体フレームからは地上が見える。
彼女らを乗せた447便は、メントルシュからアイゼンブルグに向かう湾岸部の上空で突如制御を失い、立木をかき分けながら辛うじて崖の上に不時着していた。
「……何が起こったの?」
「分からねえ……。突然、左翼のエンジンが爆発して……これを再生してみてくれ」
アイリと同じく前の座席で空の様子を録画していたヨシュアの声が聞こえてくる。
その手は震えており、彼の表情からもいつもの余裕は全く見られなかった。
「手、震えてる。大丈夫?」
「心配ない。気が動転しているだけだ」
心配そうに聞いてくるフィリーネに、ヨシュアは目一杯の笑顔で答える。
それが余計に不安心を駆り立てるが、彼女はカメラを受け取ると不慣れな手付きでダイアログやボタンを操作しながら録画フォルダを開く。
サムネイルにフィリーネの寝顔が現われ、再生ボタンを押すのを躊躇してしまうが「見てくれ」という彼の強い視線を感じ、彼女はボタンをゆっくりと押した。
『……録画始まってるか。えーと、現在238年3月6日午前4時半。あと数時間でアイゼンブルグに到着する。空のグラデーションが綺麗だ。アイリも見てみろ』
カメラがくーくーと寝息を立てていたフィリーネから窓の外を向く。
右前方には複合金属の翼が伸びていて、4基あるジェットエンジンのうち2つが垂れ下がっていた。
『きれい……』
『だな、リーネも起こすか?』
『止めておきましょう。それよりも、もう少しこうして……』
カメラは依然外を向いており、アイリとヨシュアが話しているのが聞こえる。
次の瞬間、機体が右方向に傾いて急旋回を始めた。
2人が叫び声を上げるよりも早く、光の弾のようなものが左翼端のエンジンに命中し、爆ぜる。
静まりかえっていた機内が激しく揺さぶられると同時に騒然となり、助けを求める声や泣き叫ぶ声で溢れかえっていた。
そして2発目の「何か」は右胴体部で炸裂し、機体の一部を吹き飛ばした。
座席ごと凍り付くような空へ飛ばされていく乗客をカメラはしっかりと記録していた。
「……ッ」
フィリーネが思わず口を手で覆う。
それでも、彼女は墜落するまでの様子を記憶に刻み込む事を止めようとはしなかった。
そして再生を終えたカメラの電源を落としてメモリーカードを抜き取ると、手荷物で持ち込んだ鞄の中にあったビニールの密封袋の中に入れて念入りにチャックを閉じた。
「おい、何考えてるんだよ」
黙って見ていたヨシュアが口を開いた。
「あれは対空ミサイルだと思う。なんでこの機を落とそうとしたのかは分からないけど……最悪の場合も考えられるから、お守り」
そう言うブロンドの少女はまるで別人だった。
いつものような柔らかな雰囲気はなく、落ち着いた様子で今、目の前で起こっている現実に対処しようとしている。
しかし、それは所詮年端もいかぬ子供の浅知恵であることは後々知ることになる。
「分かり易く言ってくれないか。まるで理解できない」
冷静を通していたヨシュアが苛立ちを覚えながらフィリーネに言う。
アイリはただただ、現実を見たくないといった様子で自分の弱々しく握った手を見つめていた。
「……説明はあとで。とにかくここから出よう。ヨシュア、アイリ。動ける?」
「う、うん」
アイリは平常時と立場が逆転している事で既視感を覚える。
あれは、そう――……一緒に海へ行った時だ。
ライフガードが居ないような小さな海岸で、フィリーネは溺れていた中年男性を迷うことなく颯爽と助け出し、観衆が冷やかす中、人工呼吸や応急措置を施した。
冷笑は次第に沈黙に変わり、沈黙はその男性が息を吹き返すと歓声と拍手に変わった。
フィリーネの表情には一片の曇りもなく、ただ生還した男性に微笑みかけていたのがアイリの記憶に強く残っている。
「生きて帰れるよね」
アイリがポツリと呟いた。
「前に進む意思があれば、きっと」
フィリーネが力強く答える。
ヨシュアとアイリの2人には、幻想的なアメジストの瞳が仄かに光を放っているように見えた。
口はきつく真一文字に結ばれて、意思の強さを伺わせる。
「生きよう。みんなで……必ず」
アイリはそれに当てられ、弱気だった自分を振り払って立ち上がる。
ヨシュアも痛む身体に鞭を打って座席から通路へ這いずりだした。
「2人は外へ出て、安全なところまで退避して」
「リーネはどうするんだ」
彼女はベルトに繋がれたまま息絶えた乗客の喉元に手を当て、安否の確認を取っているようだった。
本来は乗務員が行うことだが、この大惨事にそうは言っていられない……フィリーネは絶望的な状況下でも、1人でも多くの人を救おうとしていた。
「……1人だけいい格好しようとするなよ。俺にも――」
「ヨシュアはアイリをお願い。頼むから、離れて」
フィリーネはそう言うと、ビニールで包まれたメモリーカードをヨシュアに手渡し「それを持ってて」と言い、作業を再開する。
「分かった。危ないと思ったら、すぐに逃げろよ。自分が巻き込まれたら、どうにもなんねーぞ……」
少年はそう言うと、フィリーネと離れたがらないアイリの肩を押し、前方の機体の断裂部から出て行こうとした。
「いやっ、リーネ! 放っておいて一緒に逃げよっ。リーネ!!」
アイリの声が遠ざかっていくと、次第に身体が震えだす。
結局は見栄っ張りだけじゃないの……少女は苦虫を噛み潰したような顔で、淡々と他に生存者がいないかどうかを叫びながら見て回った。
だが、それは徒労に終わり、炎上するエンジンがタイムリミットを知らせて少女は機外に飛び降りた。
2~3メートルほどの高さにも関わらず、全身をバネのように使ってエネルギーをうまく拡散させる。
外に舞い降りたフィリーネは、辺りの凄惨さに眉をしかめた。
機体の部品が至るところに散乱し、身を焦がす炎が立ち上がっている。
彼女は次に機体から十分に距離を取り、誰1人助けられなかったという失意と、なぜ自分たちだけが生き残ってしまったのかという自責の念に駆られていた。
すると、砂利を踏みしめる音が聞こえ、素早くそちらの方向を向く。
「生存者か」
黒ずくめの男2人を引き連れてその男はこちらにやって来た。
背丈は180センチ前後、中肉中背の40代くらいの中年男性だ。
よくよく見れば、後ろに控えていた男たちは反射板を取り付けたパワードアシストスーツを装着している。
それは機械式の強化外骨格よりも柔軟で、出力こそ劣るが作業現場や災害救助などで数多くの功績をあげている。
最初、彼らを見たときに少女の頭には「始末屋」の文字が思い浮かんだが、そんな人間が自分の居場所を知らせるような反射板をつけて歩くわけがない。
「始末屋」など、フィクションの世界に長く浸かり過ぎた。と、少女は思いっきり笑った。
「……大丈夫か?」
「あはは……いえ、大丈夫です。ちょっと妄想が過ぎたかなと」
「そうか。他に生存者は?」
「まだ機内にいるかもしれませんが……分からないです。そういえば、18歳くらいの男の子と女の子を見ませんでしたか?」
「知らないな。友達なのか?」
「はい」
その男とフィリーネが話していると、パワードスーツ姿の男たちが機内から軽々と遺体を運んで来ては並べて下ろしていた。
「エンジントラブルと聞いているが、機内で何か不審な人物は見なかったか?」
男は水筒をフィリーネの方に放り投げ、「痛み止めだ。飲んでおけ」と錠剤も投げてよこした。
「うーん……。そういえば、メントルシュ空港でおじいさんが何か言ってました」
「何と?」
男はかかんで少女と目線を合わせる。
優しそうな目をしていた。
無骨な指には銀色の指輪がはめられており、既婚者であることが伺い知れる。
「『この便は呪われている。絶対に乗るな』みたいな……?」
「そうか……」
「あ、他にもエンジンが突然爆発して」
「それは初耳だな」
フィリーネは敢えて「撃墜された」とは言わなかった。
全てを言うのは安全が確保されてからにしようと思ったからだ。
そして言われたとおり、水と痛み止めを飲み込むと痛みが引いてきた気がした。
だが、副作用なのだろうか。
猛烈な睡魔が襲ってきて、重たくなる目蓋を押し返す事ができずに彼女は暗闇の世界に落ちていった。
「……天に召される彼らに主のご加護があらんことを」
重たい黒の世界で、あの男の声が響いた。
(なに、これ……)
少女の思考は定まらず、頭を押しつぶされそうな圧迫感を感じる。
「本当にやるんですか?」
動揺を隠せない別の男の声がする。
「カイル。お前は今までどうやって食ってきた? ここで私たちが止めたところで、世界は何も変わらんよ。また別のやつらが出てくるだけさ」
「ですが……俺は」
「……もういい。その苦しみから解放してやる」
刹那、拳銃の発砲音が響き、真鍮の薬莢が地面に当たる音が聞こえた。
そして、誰かが崩れ落ち、少女の細い身体の上に放り投げられた。
(……っ!)
胸が圧迫されて、息ができないほどの苦しさを感じる。
そして何か液体のようなものが自分たちにかけられていくのが鈍い感覚でも分かった。
「悪く思うなよ、カイル」
ガソリンを遺体にかけていたパワードスーツの男が空になったタンクを置き、ライターに火を灯すと距離を取ってそれを放り投げた。
瞬時に着火し、たちまち大きな炎の塊へと成長していく。
フィリーネは懸命に意識を呼び起こそうとするが、身体は全く反応を示さず、辛うじて片目だけを開くことができた。
視界に映ったのは男たちの背中。
遠ざかる輸送用のヘリコプター。
そして身を焦がす炎。
(……わたしは、ここで死ぬんだ)
あれだけ友人たちを励ましておいて身勝手だと思いながら少女は2人の無事を祈り、静かに目を閉じた。