第05話『屍の歌』
アドバンスド・ウォーリアー計画。
現代の多様化する戦場で、情報量の多さは重要と言える。
最新鋭のステルス戦闘機や、イージス艦などの船舶には広域戦術データリンクにアクセスし、全軍で情報共有をする設備が整っているが、それを1人の歩兵単位で行おうというエイシア連邦軍の試みだ。
第一期は精密機材を防弾プレートなどで覆い、増加した重量を介護や工事の現場で活躍していた機械式の強化外骨格で支えることで克服した。
しかし、駆動部の対弾性能が不十分だったことと、稼働音の大きさに不満の声が上がりテストケースで頓挫してしまう。
第二期はそれより数年後にスタートする。
電子機器の性能重視だった方針は、それが頭打ちとなると同時に効率化・軽量化の方面に向かい出した。
それは情報処理機器の大幅な軽量化に貢献し、ようやく実用的な次世代の歩兵装備が完成する。
多くの情報を映し出す視界を妨げないHMD(ヘッドマウントディスプレイ)。
ヘルメットの左側頭部に搭載され、その重量わずか数グラムのスマートカメラ。
バックパックに搭載される薄型で軽量なメインコンピューター。
「まるでゲームのようだ」と実験に参加した兵士は笑いながら言った。
彼がやる事と言えば、情報収集衛星により索敵された敵性勢力に狙点を合わせ、アサルトライフルのトリガーを引くだけだったからである。
トライアルを経て、特殊部隊に配備されるも「トイ・ソルジャー」と言われて冷やかされていた。
だが、高度な情報ネットワークにより数々の作戦を成功させる。
第三期は開発者泣かせの展開が待っていた。
未来のテクノロジーを引っ提げて「協力者」とだけ名乗る者たちが現われたのだ。
現代医学の10年先を行くクローニング技術。
サイエンス・フィクションのテクノロジーであった微細なナノマシン。
瞬く間に周囲に溶け込んでしまうクローキングシステム。
人間と同等の動きを実現するマシンアームなどなど……。
新しい物を得て意気揚々とする研究部に対し、上層部は慎重だった。
軍強に動き出す事で、他国との摩擦を懸念する声も寄せられる。
そして討論を交わした結果、それらの技術はごく一部の特殊部隊の為だけに使われる事になる。
そこで生み出されたのは、強化外骨格の進化形である超人的な力を生み出すナノスーツ。
急激な負荷に耐えられるだけの身体を持ったアドバンスド・チルドレンたち。
歩兵戦闘の援護から、兵装次第では主力戦車から航空機まで対応可能なヴァンドリング・ヴァーゲンと呼ばれる歩行戦車。
その背景を知りながらユーリシスは「負傷を負った兵士の再生プロジェクト」とし、スティーブンスに説明をした。
「また……この世界で生きる事ができるのか。あの子は」
彼は戸惑いの色を浮かべながら黒髪の男に言う。
「しかし、機密により今までの記憶は消去させていただきます。我々は公にはできない存在なので」
「ユーリシス……君は一体どこに向かおうとしているんだ」
スティーブンスは仮面を被った、かつての学友に恐怖を感じる。
記憶にあるユーリシスといえば、恋愛に奥手でいつもスティーブンスたちの後を追いかけていた小さな存在だった。
そんなある日、エイシアの片田舎で銃の乱射事件があった。
死傷者は十数人に及び、犯人はその場でユーリシスにより射殺された。
犯人の銃創は眉間に1つ、胸部に2つ。そして太股に1つ。
目撃者の証言から正当防衛が成立し罪には問われなかったが、彼には妹を守れなかったという思いが重くのし掛かっていた。
――もう一秒早く引き金を引いていれば救えた妹の存在。
――逃げようとせず、最初から戦っていれば救えたはずの人たち。
そして少年は自分を守るだけの「優しさ」を捨て去る。
「……先輩。俺はね、この世界を救いたいんですよ。どうしようもなく、救う価値もないという奴もいるかもしれない。だけど、そんな世界でも懸命に生きようとする人たちがいる。だから、救いたいんです」
ユーリシスはスティーブンスに語りながらも、視線はじっとテレビの中のフィリーネを見つめていた。
彼女は倒れても倒れても、起き上がり必死に歩こうとしている。
父親は計画の概要書と承諾書を交互に見ながらため息をついた。
「ユーリシス。すまんが、少し考えさせてくれ」
「分かりました。それでは、私はこれで」
今日中に回答を期待していなかったようで、黒髪の男はスッと立ち上がってスティーブンスに一礼すると、颯爽と立ち去っていった。
「……聞いていたのだろ?」
「はい」
紅茶がなみなみと注がれたカップを置いた銀色のトレイを持ち、シビルがゆっくりと居間に入ってくる。
彼女は夫の分のカップをセンターテーブルに静かに置くと「どうして嘘をついていたの?」と落ち着いた様子で彼を責めた。
「現実を突き付けるだけでは、あまりにも酷だろうと思ったんだ。それに、治療法がない訳ではない」
「だけど、この間先進医療は保険の適応外で、まだまだ高額だって」
「金がなんだ。あの子のためなら、私は……」
スティーブンスはそう言いながら、あのときに提示された法外な金額を思い出し、自分の不甲斐なさに肩を落とす。
「分かっている。分かってはいるんだ」
そんなやり取りが現実世界で行われているのを露知らず、ブロンドの少女は歩行訓練を続けていた。
それから数週間後。
フィリーネは奇跡的な回復を遂げていた。
まだまだ頼りない足取りだったが1人で歩く事もできる。
だが、火傷の痕だけは可憐な少女の面影を全て奪い去っていた。
外に出る度に他人の哀れみの視線を浴び、彼女の心は徐々に荒んでいく。
「大丈夫だよ。わたし、負けないから」
せめて両親だけでも安心させようと、彼女は気丈に振る舞う。
しかし、フィリーネの心は残酷にも打ち砕かれる。
それは、見舞いに訪れた高校時代の同級生が帰ろうとしたときのことだ。
半開きだった廊下から彼女らの声が漏れてくる。
「だけど酷い傷だったね。私だったら耐えきれなくて自殺してるわ」
「男に媚びてた女の末路よ。いい気味」
聞こえるように話してたのか、そうでないのかは問題ではない。
こみ上げる感情の塊が一筋の光となり、彼女の頬を濡らした。
そして、慈悲などとうの昔に忘れ去ってしまった現実が再び牙をむく。
父が出張で不在のときに事件は起きた。
呼び鈴が響き、玄関の方へ行った母シビルが少年2人に拘束されて戻ってきたのだった。
「よう、お姫様」
そう言う少年は刃渡りの短いナイフをちらつかせ、フィリーネの顔を覗き込むように言った。赤いキャップを被り、バンダナで口元を隠していたので顔が判別し辛い。
そのあとから部屋に入ってきた小太りの少年は黒光りのする拳銃をシビルに突き付け、そのままソファーに彼女を押し倒す。
「動くなよ。と言っても、その傷でまともに動ける訳ないか」
赤いキャップの少年はナイフの刀身をペタペタと少女の細い首に擦り付けると、「それと騒ぐな。騒いだら、母親から殺す」と声のトーンを低くしてアメジストの瞳を睨んだ。
(この人たち、本気だ……)
フィリーネは戦慄する。
少年らの瞳は狂気の色に染まっていた。
まともに話が出来るような相手ではない。
身体がまともに動けば……いや、動いたところで凶器を持った相手に何が出来るというのだろうか。
彼女は自らの無力さに打ちひしがれていた。
「フィリーネ……」
母が泣きそうな表情で娘を見ている。
少女が歯を食いしばりながら押し黙ると、彼女の傍らにいた少年は、ソファーに押しつけられていたシビルの近くに歩み寄ると、手にしていたナイフで喉元から下へかけてとゆっくりと衣服を裂いていく。
「へへ……子持ちのクセに、こんないやらしいアンタが悪いんだぜ」
彼らの顔が醜く歪む。
赤いキャップの少年は、母性の象徴ともいえる大きな乳房を鷲掴みにすると、彼女を少しも顧みることなく荒く揉み扱いた。
「痛いっ……止めて……乱暴しないでっ!」
「いっ、いい声で鳴けよ? 俺たちを満足させなかったら、娘から殺すからな」
小太りの少年が左手で銃を構えたまま、シビルの形の良い顎を右手で引き寄せ、強引にその艶やかな唇を奪った。
もう1人の少年は興奮した様子で、下腹部をまさぐる。
目の前で犯される母親を前にし、フィリーネの失いかけていた神経の1つに鋭い光が差した。
「……ぅ」
僅かだが、彼女の口から言葉が漏れる。
「お前、何か言ったか?」
「いっ、いいや。何も」
「う……ぅ……うわああああぁぁぁ!!」
それはフィリーネの咆哮だった。
身体の神経がブチブチと切れていくのが分かる。
(――かまうものか。目の前のこいつらを止められれば)
少女の中に何かが目覚めていた。
鉛の枷が取り払われた身体は軽く、頭に立ちこめていた霧は晴れて思考が定まる。
フィリーネが叫びながら椅子から立ち上がった途端、乾いた拳銃の発砲音が居間に響き、身体に衝撃が走ると同時に左肩が焼けた感触に襲われる。
「さっ、騒ぐなと言っただろ!」
拳銃を手にした少年が手を震わせながら言う。
その目は焦点が合っておらず、動揺の色を隠しきれてはいない。
(こんな痛み。あの時に比べれば……)
少女はそう思いながら心で笑っていた。
「くっ、来るな!」
しかし、フィリーネは止まらない。
一歩、そしてまた一歩。確実に距離を縮めていく。
3発の銃火が間接照明だけだった居間を明るく照らしだし、木の床へ真鍮の薬莢が落ちていく。銃口と空薬莢の排出口からは硝煙が立ち上っていた。
彼女は左肩に1発、腹部に1発。そして右頭部に致命傷を受けて仰向けに倒れ込んだ。
「へっ、へへへ……」
少年は初めての人殺しに酔っていた。
彼は背徳の味を存分に堪能し、口元を手で拭う。
「フィリーネ!」
シビルが崩れ落ちた娘に駆け寄ろうとするが、ナイフの少年に羽交い締めにされていて動けない。
「チッ。今の銃声で警察が来るぞ」
「どっ、どうする。顔見られてるだろ」
「勿体ないが……やっちまえ」
彼らには最初から女2人を生かしておく選択肢はなかった。
その予定が早くなってしまっただけのことだ。
「う、恨むんならあんたの娘にしてくれ」
銃口がフィリーネの骸から、泣き叫ぶシビルの頭に向けられる。
少年が9ミリのオートマチックハンドガンのトリガーを引こうとした次の瞬間。
「2人ともそのままの姿勢で武器を捨てろ」
そこには居間の入り口で端正な顔だちのユーリシスがハンドガンを構え、立っていた。
徹底して感情を表に出さないタイプの彼は冷静を装っていたが、腹の中は煮えくり返る思いでいっぱいだった。
彼の警告は虚しく、少年は引き金に手をかけたまま素早く振り向こうとし、狙いも定めずに引き金を乱暴に引いた。
そのうちの1発がユーリシスの左頬を抉り取り、一筋の赤い線を作り出す。
「迷い」をとうの昔に捨て去ったユーリシスは、少年の胸元にすかさず鉛弾を撃ち込んだ。彼の身体に赤い花が咲き、膝を床について、崩れ落ちそうになっていた少年の頭にさらにもう1発の銃弾が見舞われる。
そこで彼は絶命し、床に血だまりを作る骸に成り果てた。
「なっ、なっ……な」
黒髪の男は動揺する赤いキャップの少年に照準を合わせ、無慈悲に引き金を引いた。
円錐形の9ミリ弾に比べると低速だが、11.5ミリの台形の弾頭はソフトターゲットに命中した際に強力なエネルギーを発生させ、ストッピングパワーに優れる銃弾は、ナイフを握っていた手を粉砕する。
「あが……手がっ、俺の手があぁぁぁ!」
手を吹き飛ばされた少年が床をのたうち回る。
護身用としてはオーバースペックな大口径拳銃は、「あの事件」で犯人をすぐに止められなかったユーリシスが得た教訓によるものだった。
黒髪の男は革靴の先で少年の顎を思いっきり蹴飛ばすと、彼は動かなくなった。
「フィリーネ……しっかりして? あんなにリハビリ頑張っていたじゃない……。起きて? おね……がい……だからっ」
シビルははだけた身体も隠さず、娘に這い寄るとその肩をゆすった。
しかし、彼女は何の反応を示さず、ただ温もりだけが逃げていく。
「……神はいつだって残酷だ」
脱力した様子で壁に寄りかかるユーリシスの脳裏に、あの事件の惨状が鮮明に蘇る。
心拍数が上がり、息切れがする。彼もまた、無力だった。
通報を受け、警察が駆けつけたのはそれより10分もあとのことだった。