第08話『反逆の狼煙』
ユーリシスは臙脂色(えんじいろ)の絨毯を進み、女子寮の3階まで来ていた。
ネームプレートのかかっていない一室の前で立ち止まり、呼吸を整えてベージュのドアを叩く。
反応はなかったが、中で慌ただしく物が動く気配を感じる。
しばらくして、ドア越しに女性の咳払いが耳に入り「どなたですかー?」とトロンとした声が響いてくる。
「ユーリシスだ。開けてくれないか」
「少佐!? わわ、待って……じゃない、待ってくださいー!」
「ああ、ゆっくりでいいから」
そして再び室内が賑やかになる。
「それそれ、それはこっちで……じゃない! あっち、あっちに持っていってー」
「ソフィア……落ち着いて」
けたたましい室内からフォリシアの声も聞こえてくる。
どんちゃん騒ぎが続いていたかと思うと、突然静かになりドアがゆっくりと開き、声の主の姿が明らかになる。
「お待たせしました」
本人は凜としているつもりだったが、鼻のかかった声色は相変わらずゆっくりとマイペースだ。
しかし、容姿に関して言えば彼女は別段だった。
鮮やかな金色のショートヘアは綺麗に整えられており、シャープな輪郭線で鼻先はすっきりと通っている。
豊かで形の良いバストにくびれたウェスト。そこからなだらかなヒップラインを描いていて、その理想的な体型は服の上からでも分かるほどだった。
短絡的に言えば、同性が羨むほどの美女だったのだが、声色とのんびり屋な性格が邪魔をしている。
ふと、よい香りがユーリシスの鼻をくすぐった。
食欲的な意味で。
「今日はカレーライスか。うちの基地で初めての食事がこんなのだとはな」
「いえいえっ。とても美味しいです。それで、あのー……これは?」
ユーリシスが差し出したモカコーラ(プレミアム)を不思議そうにソフィアがアクアマリンの瞳で見つめている。
「知り合いから強奪した。お前たちの修了記念にやる」
「これが、かの有名なモカコーラ!」
そこへフォリシアが横からモカコーラを1本かすめ取る。
「こら。お行儀の悪いー」
ソフィアは口を尖らしていたので怒っているのだろうが、相変わらずトロンとした口調だった。
「いいんだ。ほら、お前の分も」
「ありがとうございます。散らかっていますが、どうぞどうぞー」
ユーリシスは部屋に招き入れられるが、質素な二段ベッドと勉強机、傾いたスチール製の本棚の他には南アセリエ特産のみかん箱の上に20インチのパーソナルテレビが置いてあるだけだった。
センターテーブル代わりに置かれてた段ボールも品質に定評のあるアセリエ産だ。
「……どこの苦学生だ」
ユーリシスが呟く。
予算は削られていたが、最低限の生活ができるように彼女らにも給付金は出ているはずだ。
この様子だと前の施設では相当虐げられていたのだろうか。不憫な思いが彼の目の奥を刺激した。
「何か言われました?」
「いいや、別に」
「それでは、私はお茶でも淹れてきますね?」
ソフィアはそう言うと、机の上に置いてあった耐熱ガラスのポットを両手で大切そうに持ち、部屋から出て行った。
寮の共用部分に電気式ケトルがあるので、そこまで行くのだろう。
「あ、ユーリ。ここにどうぞ」
カーペットの上に直に座ろうとしたユーリシスだが、フォリシアがベッドを平手を返して誘う。彼は抵抗があったが、彼女の言うとおりにそこへ座る。
ユーリシスの身長でもちょうど小型テレビと同じ目線になるので、2人の余暇はここでこうやって過ごしているのだろうか。
「ここでの生活はどうだ」
黒髪の男がモカコーラの缶を段ボールの不安定な天板に乗せてフォリシアにたずねた。
「楽しいです。訓練は嫌いだけど……なんか、学校の寮みたいで」
「基本構造は先人類の大学生寮そのものを流用しているからな」
「そうなんですか。道理で……」
200年以上経つというのに、全く風化しない特殊コンクリートで覆われたこの元学生寮は、取り崩しが困難だったために内装をやり替えて軍の施設として使っている。
平和そうに見える施設でも、上空には無人偵察ドローンが常に目を光らせ、武装した兵士が巡回を行っている。発令所は軍の広域戦術データリンクと接続されており、他基地と情報を共有している。
兵力は現代戦では主流になりつつある強化外骨格が10体。最新鋭機の「エイジス」が1機。偵察用ドローンが予備を含めて4機。そしてナノスーツが3体。
装備こそ充実はしていたが、小さな内海を隔ててユークトリッド共和国が存在するため「刺激を与えない」程度の人員しか配置されていない。
「ただいまーですよ」
薄く緑色が溶け出している透明なポットを手に持ち、ソフィアが戻ってくる。
ユーリシス少佐たちが戦力不足に日々頭を悩ませているとは露知らず、訪問者たちは底抜けに明るかった。
逆に、それが唯一の救いとなっているのだが。
「ティーカップが2つしかないので、私の分を使ってください」
「ああ……ありがとう」
ユーリシスはソフィアからソーサーとカップのペアを受け取り、伏せてあったカップを起こすと彼女の前に差し出した。
生のハーブが泳いでいた淡いグリーンの液体がコポコポと注がれ、カップを満たしていく。
男は熱々のハーブティーを一口飲むと、テープなどで補強はされていた段ボールの上にカップを慎重に置いた。ここに水気のあるものを置くには少々勇気が要る。
「ところで、ソフィア伍長にフォリシア上等兵も。2人とも行き先は決まっているのか?」
そこでようやく少佐は話を切り出した。
突然、自分の階級を言われて仕事の話だと知った彼女らだったが、一瞬固まっただけですぐに寛いだ様子に戻る。
「私は詳しくは言えないですけど、高官の護衛任務に就くことになっています。短期の予定なので、その先は未定ですが」
金髪の女性はポットの中の半分をフォリシアのカップに注ぎ入れると、机の置いてあった自分のマグカップを取り、残りを入れてしまう。
「自分は……えーと、24時間後にレコン少尉とアラークの方へ駐留部隊の援護へ」
フォリシアはそう言いながらクイっと茶を口に入れるが、相当熱かったようで薄紫色の目の端に涙を滲ませ、必死に堪えていた。
ユーリシス少佐は思う。自分でまいた種ながら、本当に彼女らは人を超えた力を持った存在なのだろうかと。
こうして見ると、年頃の娘にしか見えない。
泣いて、笑って、時には怒りもしただろう。彼女たちは今を確かに生きている。
「そうか。2人が離れるのは、寂しいか?」
そこで唐突にユーリシスは、とある考えが頭に浮かんだ。
「まだまだ手のかかる妹みたいなものですからねー?」
「頼りない姉みたいなのを放っておくわけには……」
ソフィアとフォリシアはほぼ同時に言う。
そして互いの顔を見つめ、そして苦笑いを浮かべた。
「今はまだ無理だが……絶対、一緒に仕事を出来るようにしてやる。約束する」
ユーリシス少佐は珍しく熱くなっており、自分でも早まったか……と若干後悔していた。
しかし、アドバンスド・チルドレン第二子のソフィアは「はいっ。楽しみにしていますね?」とまばゆいばかりの笑顔で応えた。
それが彼女からの好意の印であることを朴念仁であるユーリシスは、妹分と離れるのがそんなに嫌だったのか……と勘違いをする。
そして腹の虫が騒ぎ出したので、残っていたハーブティーを飲み干すと「ご馳走様。美味しかったよ」と言い残して部屋から去って行く。
「……」
その後ろ姿がアクアマリンの瞳に焼き付いているのか、ソフィアは心ここにあらず、といった様子で閉まっているドアを見つめていた。
***
2人の部屋を後にしたユーリシスは、早足で1階の大食堂にある将校専用のスペースに陣取っていたバーンツの向かい側に座る。
基本的に下士官や将校も同じ食事が提供されるが、上になればなるほど「特別食」として色々メニューが追加される。
この日は主にアセリエで愛されている「カレーライス」というスパイシーな料理で、少佐である彼にはおまけとして豚肉のフライが乗せられていた。
それはサクッとあげられており、噛むと肉汁が口の中で広がりカレー自体との相性も抜群だ。
「ユーリ。君は実に美味そうに食べるな」
「……そうでしょうか」
ユーリシスはポーカーフェイスを崩していなかったはずだが、付き合いの長いバーンツ少将はデザートのこんにゃくゼリーを摘まみながら楽しそうに言った。
「それでバーンツ少将。増強の件は承認していただけますか?」
フライとカレーライスを交互に口に運び、あっという間に食事を平らげたユーリシスはせわしなく手を組んで祈りを捧げると、鼻息荒くバーンツ少将に言った。
彼は綺麗に刈り揃えた灰色の顎髭を指の腹で撫でながら「ふむ……」と呟いた。
「エイジス用の120ミリ滑空砲が2門。SSM(地対艦ミサイル)が6発。ほか、無補給で1週間戦える備蓄か。こんなものが上を通ると思っているのかね」
少将は傍らに置いてあったクリアファイルに目を通しながら確認するように黒髪の男に言う。
「ユークトリッドが軍強を進めているのに、我が軍は何ですか。こんな片田舎に基地を構えて……最新鋭の機体と人員がいるというのに」
ユーリシスは少しずつ自分の中の炎が激しさを増していることに気付いていた。だからとはいえ、なかなかそれを鎮火することはできない。
「まあ、そうイライラするな。ユークがどれだけ子供な国だったとしても、紛争1つで大騒ぎする世の中だ。侵攻など、あり得んよ」
「……はい」
考えを見透かされているような少将に、ユーリシスは父親に反抗する子供のような心境で、それは違う。と言いたいのを堪えた。
「では、失礼します。明日の準備があるので」
男は立ち上がり、基地司令のバーンツ少将に一礼して立ち去ろうとする。
「ユーリ」
遠ざかろうとしていた彼の背中をバーンツが呼び止める。
「君はこの世界が好きか?」
「それはどういう意味でしょうか」
ユーリシスは振り返り、バーンツに言う。
「言葉通りだよ」
「と、言われましても」
少しだけ困った様子のユーリシス。少将の意図がどこにあるかは分からなかったが、大した意味はないのだろうと彼は片手で頭を掻きながら口を開く。
「どちらでもないですね。浮き沈みが激しくて、色々な局面が見れるのは楽しいですけど疲れます。ですが、ここで生きていくには付き合っていかないといけない。恋人にはしたくないタイプですが」
「そうか。そんなに良くないが……まあ、行きたまえ」
バーンツのいつもの口癖が聞けると思っていたユーリシスは、小さく息を吐いて自分のオフィスへと戻っていった。