第09話『ファースト・ブラッド』
ユーリシスは残っていた仕事を片付け、自室へ戻ったのは日付が変わる直前だった。
「……まあ、俺もあまり人の事は言えないか」
彼は最低限の調度品しか置いていない自室を見渡し、人知れず嘆く。
制服をハンガーにかけてブラシを手早くかけ、寝巻きに着替えると脱ぎ捨てたカッターシャツを小脇に抱え、ブーツからスリッパに履き替えて廊下に出た。
共用部分にある乾燥機能付きの洗濯機に服を放り込み、標準コースでセットすると銀色の洗濯槽が回り始めた。それを確認して次はシャワールームへ向かう。
暗闇の中、手探りで照明の電源を探し出し、スイッチを押すと蛍光灯に明かりが点る。スリッパを入り口付近で脱ぎ、水色のタイルに足を落とすとひんやりと冷たかった。
一番奥の個室の前で服を脱ぎ、バスタオルを網棚の上に置くと赤い蛇口を捻る。最初は冷たかったが、徐々に熱い湯に変わってきたので青の蛇口を操作して適温に調節して頭からかぶる。
シャワーの最中に物思いにふけるのはユーリシスの癖の1つで、今も身体を洗いながらアドバンスド・チルドレンたちのことを思い返していた。
(……しかし、案外権限ないものだよな。少佐ってやつは)
色々と考えを巡らしたが、いいアイデアが全く浮かばない。
せめて基地指令クラスになれば色々と口出しはできるのだろうが、今の彼にそんな力はなかった。必死に勉強してきたのに、この体たらくだ。
ユーリシスは自分を笑った。
水気をタオルで拭き取って着替え、照明を消して自室に戻る。
パイプベッドに腰掛けていると、不意に備え付けの電話がけたたましく鳴った。男は一瞬ビクッとして驚いたが、すぐに受話器を取ると「ユーリシスです」と電話相手に名乗る。
『よーよー、少佐さん。テレビは……見てないよな?』
受話器のスピーカーから陽気なレコンの声が響いてくる。
「食事の後は今の時間まで仕事をしていたからな。それで、テレビがどうしたって?」
『またユークの領海侵犯だとさ。もういい加減にしろっての』
「管轄が違うだろ。海軍に任せておけばいい」
ユーリシスは右肩と右顎の間に受話器を挟み、机の上に置いてあったスマートフォンのスリープを解除すると情報収集を始める。
しかし、度重なる侵犯でネット住人の関心は削がれていたのか、大した情報は見当たらなかった。
「一応、発令所で確認をしてみる。お前はまだ寝ないで待機しておいてくれ」
『へいへーい……了解ですよーと』
ユーリシスは眠そうなレコンとの通話を切ると、内線で発令所の番号を打ち込む。
『こちら発令所』
「ユーリシス少佐だ。当基地の近海にユークリッド国籍とみられる不審船が目撃されたとの情報があるが、確認したか?」
『2332時(23時32分)に北西方向から3隻発見されましたが、海軍の哨戒艇の警告に従いすぐ西に転進。姿を消しています』
「いつもの手口だと思うか?」
『自分個人としての意見を言わせていただくなら、何か違う気がします。いつもは1隻や、多くても2隻だった。それに船部後方に黒いシートで何かを隠していたようです』
「最悪の事態も考えられるな……上層部と、指令は何と?」
『少将と大佐には連絡が取れません。上層部からは待機を命じられていて、最寄りの空軍基地からは偵察機が……えっ!?』
話していたオペレーターが突然、叫んだかと思うと、発令所内にどよめきが生まれているようだった。
「どうした」
『広域戦術データリンクがダウン。システムに接続できません!』
「何だって……」
指令不在の電話の向こう側は相当混乱しているようで、個人個人がなんとかシステムを復旧させようと各部署に連絡をとっているようだ。
「すぐ行く。当基地内限定でデータリンクを再構築しろ、急げ!」
ユーリシスはそう言って受話器を置くと、素早く制服に着替え、ドア付近にあった備え付けのクローゼットを開き、ハンガーに掛けてあった衣服を左右に寄せる。そこには黒光りするプッシュナンバー式の金庫があり、彼は4桁の暗証番号を手早く入力してロックを解除した。
そこには「あの時」から愛用している11.5ミリ口径の拳銃と8発装填できる空のマガジンが2本。そして赤いパッケージの11.5×23ミリの弾薬が12発入っている紙箱が2箱ある。
弾を装填したままだとマガジン(弾倉)のスプリングが劣化する為、作戦活動中以外は予備弾倉を空にしておく必要がある。
これは階級や隊の役割によって異なるが、戦闘が主な任務ではないこの基地の隊員は、警備班以外は基本的に銃器の携帯を禁じられていた。
ユーリシスは11.5ミリ弾をケースから抜き取ると、手慣れた様子でマガジンに最大容量より1発少ない7発を込めてもう片方のマガジンを取ろうとした。その瞬間、腹に響くような重低音が周囲の空気を振るわせた。
各階に設置された非常事態を知らせるベルがジリリリリと耳障りな音を立てている。それに叩き起こされた非番の兵士たちが制服に袖を通しながら廊下の様子を伺っていた。
「慌てるな。全員戦闘準備だ。まずは兵器庫に……」
「伍長が……マクーレン伍長がまだ中にいるんですよ!?」
「足がっ、俺の足があぁぁぁ!!」
廊下を駆けながら様々な人間模様が目と耳に入ってくる。
ユーリシスは歯を食いしばりながらただ走った。
(今、自分がやるべきことは……)
「少佐!」
建物のあちこちにロケット弾が着弾し、戦場さながらの模様になっていた廊下でユーリシスは少年の声に呼び止められた。
「ソイル」
アドバンスド・チルドレンの第一子であり、当基地最年少であるソイルがそこに居た。
明るい星色の頭髪に愛くるしい顔には大粒の汗を浮かべ、優しい淡いサファイアの瞳はきつく細められていた。
瓦礫に身体を挟まれていた警備兵を助けようとしているようだ。
「僕が瓦礫を持ち上げますから、その間にこの人をっ」
「あ、ああ……」
自分が今やるべきことではない――ユーリシスはそう言おうとしたが、少年の必死な姿に心打たれて協力することにした。
ナノスーツを装着していれば、この程度の瓦礫は何てことはないが、今のソイルの姿はライトグレーのスウェットだ。
「せーの……はっ……ぅ……!」
少年の合図で瓦礫が僅かに浮く。ナノスーツを装着していなくとも、彼らの身体能力は常人に比べて桁外れに高い。
しかし、冷却機能を兼ね備えたナノスーツなしには膨大な熱量に身体の冷却が追いつかないため、脳が死んでしまう恐れがある。
それを承知の上でソイルは目の前の人間を救おうとしている。
兵士の両脇に手を通していたユーリシスは全身で彼を引きずり出した。
「はぁっ……はぁっ……」
「ソイル、大丈夫か」
「僕よりも……はぁ、この人をっ……」
少年に言われ、ユーリシスは引きずり出した男の負傷具合を確認しはじめた。
(頭に損傷ないが、意識はなし。心拍数低下。上腹部から出血……脊髄が圧迫されている恐れがあるので、これ以上動かすのは危険か……止血をして、衛生兵を待つのが利口だな)
医学など、講習以上のものは何も知らない少佐は自分に苛立っていた。万能な人間などいないのは理解しているが、世の中には自分1人でどうしようもできない事が多すぎた。
「ソイル。救急ステーションからファーストエイドキットを」
「分かりました」
少年は息を整え、小さな身体で廊下を駆けていく。
その間、ユーリシスは負傷している兵士の携帯していたと思われるアサルトライフルを点検した。
特に目立った外傷はなく、まだ使えそうなので脇に置いておいた。
今の段階でこれ以上できることはなかったので、ハンドガンを構えて周囲警戒をする。
T字路の左へと消えて行ったはずの気配が、今度は右から近付いてきて柱の付近で止まったようにユーリシスは感じた。
「……ソイル?」
そうではないと思いながら、彼はそれでも彼の名前を口にせざるを得なかった。
次の瞬間。黒ずくめの男が右の柱より姿を現した。
……反射防止塗装のされた金属製のアサルトライフルを持って。
「……ッ!」
遮蔽物のない廊下だったので、彼は辛うじて身体を隠せるほどの大きさの瓦礫に飛び込み、ユーリシスは身を隠してハンドガンのスライドを引いた。ハンマーが起こされてチャンバーに1発目が送り込まれる。
刹那、黒ずくめの男がフルオートで瓦礫目掛けてAP(徹甲)弾を見舞った。乾いた銃撃音が壁に反響する。
身体のすぐ横をかすめていく銃弾に晒されながらも、ユーリシスは遮蔽物から銃だけを出し、応射を行う。圧倒的な火力の差の中、合計14発の弾薬だけでどこまで耐えられるのか怪しいところだったが、それでも男目掛けて撃たずにはいられなかった。
本人は自覚していないが、ユーリシスの射撃のセンスはなかなかのもので、今現在でもそれは十分に発揮されていた。
3発放ったうちの1発は柱を深く抉り、破片を舞い散らせて敵の視界を遮り、1発は外したが最後の1発は左肩部に命中した。防弾プレートと鉛弾がぶつかる低い金属音が響き、先の潰れた11.5ミリ弾の弾頭が転がり落ちる。
その男は着弾の衝撃でよろめきはしたが、すぐに姿勢を立て直し遮蔽物に身を隠すことなく悠々とライフルのマガジンを交換し始める。
(強化外骨格かっ……クソッ!)
パワーアシストにより通常の兵士よりも重量のある装甲板で覆われたその敵は、ハンドガン程度の弾では無力化することも難しい。一般歩兵で彼らに対抗するには対物ライフルかロケット砲を持ち出さないとならない。
ユーリシスは意を決し、遮蔽物から立ち上がると素早く黒ずくめの男の頭部を捉え、引き金を引いた。
彼のヘルメットを貫通こそしなかったが、11.5ミリ弾の着弾の衝撃が襲いかかる。金属バットでバケツを叩いたようなゴンッという音が響き、彼は大きくよろめいた。
だが、ユーリシスは跳ね上がった銃口を再び頭部に向けて引き金を絞る。時間が溶いた飴の中を行っているように感じた。硝煙が視界に被さる前にユーリシスはマガジンに残っていた銃弾全てをヘルメットに叩き込んだ。
そのあまりもの衝撃に彼は仰向けに転倒しそうになるが、スーツのオートバランサー機能が姿勢を巧みに制御して、それを阻止した。
だが、頭部に何発も強烈なパンチを受け、その男は視界が定まらずにいた。手先に力が入らず、ライフルを落としてしまう。いくら強靱な強化外骨格でも、中は生身の人間だった。
その隙に、ユーリシスは弾切れでスライドオープンしたハンドガンのマガジンキャッチを押しながら左手を予備弾倉を入れておいた腰のポーチに滑らす。そして、銃本体から空のマガジンが床に落ちるよりも速く、銃弾を満載した弾倉をハンドガンに叩き込み、スライドストッパーを親指で押して、スライドを前進させた。
「ま、待て!」
くぐもった訛りの強いエイシア語が聞こえてくる。
「そのまま動くな」
「分かった……撃たないでくれ」
ユーリシスの降伏勧告に男は従ったかのように見えた。
「ユーリ!」
彼の左から名前を呼ぶソイルの声が聞こえ、彼は顔を傾けようとした。
「……!」
その強化外骨格の男の動きに迷いはなかった。相手の隙につけこみ、素早くサイドアームのハンドガンを抜き、相手の無防備な頭を撃ち抜き、そこから右の少年を確保する。簡単な動作だ。
しかし、それは彼が腕を動かそうとした瞬間に起こる。11.5ミリの重い銃声2発響き、身体が大きく揺らめく。
「捕虜にする価値はないか……」
ユーリシスはヘルメットに銃弾を撃ち込みながら自分の背丈よりもある強化外骨格に接近し、胸のベストにつけていた破片手榴弾のピンを抜き、押すようにその男を蹴り飛ばした。
転倒の衝撃でレバーが転がり落ち、彼が立ち上がろうとした5秒を待たずにドンッという頭に響く音が伝わってくる。
「……」
ユーリシスは負傷していた兵士が流れ弾で息絶えているのを確認し「ソイル。行くぞ」とアサルトライフルを彼目掛けて投げつけた。