二人の帰宅ロード

 学期末テスト一週間ほど前のある日のことだった。
「ノボル、今日からテスト前で部活がないだろ。途中まで一緒に帰らないか?」
 ホームルームが終わると、サナエはすぐさまノボルの席までやってきてこう言った。
「え?」
 サナエの提案に、ノボルは思わずどきりとした。女の子と一緒に帰るなどということは、小学生の一斉下校の時からなかったからだ。
「なんだ、嫌か? それとも、何か用事があるのか? それなら仕方ないが……」
「いや、もちろん、いいけど」
「そうか。じゃあ、一緒に帰ろう」
 そういうとサナエは自分の席に戻り、帰宅の準備をした。
 七月の青空。夏色を呈して鮮やかな自然の照明が優しくあたりを照らす。校門の前には、いつもより早く帰路につく生徒たちでごった返していた。
 ノボルとサナエは昇降口で靴を履き替え、玄関を出る。出迎えてくれたまぶしい太陽の光に一瞬目が眩むが、少しすると、いつもの下校時刻よりも明るい世界が広がっていた。
 時々帰る友人に「ばいばい」と手を振りながら校門を出ると、ノボルとサナエは二人の帰り道の方向に向かう。
 太陽に照らされ、数メートル先のアスファルトの地面がゆらゆらと揺れている。吹き出してくる汗は絶えず、しかし時々訪れる日陰と、生ぬるい風が、わずかであるが肌に蓄積された熱を奪っていった。
 住宅街になり、人気が徐々になくなっていくが、ノボルとサナエはずっと黙ったままだった。サナエの美しい黒髪を見ながら、何か話しかけなければ、とノボルは話題を探していた。
「それにしても」
「ん?」
 ノボルが話しかけると、サナエはふとノボルの方に振り返り、立ち止った。思わずノボルも立ち止る。
「どうして急に、一緒に帰ろうと思ったのさ」
 ノボルが言い終えると、サナエははと何かに気が付いたような顔をした。
「ああ、こちらから誘っておいてすまなかったな。せっかく一緒に帰るのだから、何か話しかけるべきだったな」
「いや、それはいいんだけど」
 ふと風が吹き、ノボルとサナエの髪を揺らす。夏服の制服にまとわりつく汗が、少し乾いた気がした。
「ずっと一人で帰るのも、なんだか味気ないと思って。それで、たまには誰かと一緒に帰るのも悪くないと思ったのだ」
「だったら、ほかの女の子でもよかったんじゃないのか? 途中までなら、こっちから帰る人も結構いるし」
ノボルたちが歩いているのは、住宅街に向かう道だ。そのため、何人か同じ学校の生徒が同じ道を歩いているのが見える。
「むう、普通だったらそうするのだろうが」
 そう言うと、サナエは再び歩き出した。ノボルも、その後をついていく。
「私には、ほかの女子のように、一緒に遊んだり、一緒に話したりする子はいないのだ。だからいつも一人でいた。それが楽だったからな」
「それにしても、何で僕なんだ? サナエなら、一緒に帰ってくれる男なんていくらでもいそうじゃないか?」
「女の友達もいない私に、男を誘えと? 君も妙なことを言うな」
 サナエはふぅ、とため息をついた。
「そもそも、あのクラスの男たちは、どうも品がなくて困る。女子と話すにも下心丸見えな感じもするし、平気で髪や体を触ってくる。そんな奴らと一緒に帰っていたら、途中で何されるかわからないだろう。それならいっそ、一人でスマートフォンでもいじっていたほうがまだマシだ」
「それは僕でも同じことだろう」
 若干不機嫌そうな顔で一気に話すサナエの隣で、ノボルは言った。
「ん、なんだ、君は私に欲情するのか?」
「な、何を急に!?」
 急にサナエがこちらを見て妙なことを言い出すので、ノボルは驚いて真っ赤になる。それを見て、サナエははっはっは、と笑いだした。
「いいじゃないか。自分のことを見て欲情するということは、少なくとも相手にとって自分は魅力的に見えるということだ。本来なら、それはとてもうれしいことなのだぞ」
 真顔な笑顔でサナエがこちらを見るので、ノボルは思わず視線を下に向けた。
「もっとも、普通の女子に対して、君に欲情してます、などとダイレクトに言ったら気持ち悪がられるだろうけどな」
「そりゃそうだ」
 そう言ってサナエの顔を見ると、機嫌がよいのか、いつも見せない笑顔を見せていた。その笑顔に、ノボルはサナエの別の一面を見たような気がした。
 住宅街はとても静かだった。小中学校は今の時間はまだ授業中なのだろうし、買い物の時間にもまだ早い。テスト前ということで早めに終わった高校生が数人自転車で通り抜けた以外は、人の姿は見られない。
 しばらくの静寂の中、何とか会話を続けようと、ノボルは話題を探した。
「もしさ」
「え?」
「僕が途中でサナエを襲ったりしたら、どうするのさ? ほかの男と一緒にいたら、何されるかわからないんだろ?」
 結局話題が見つからず、先ほどの話の続きをしようとしたが、後でノボルは自分は何を言っているのかと後悔した。
「君は、そんなことしないだろう」
「いや、しないだろうって」
「私にはわかるのだ。ほかの男子と違って、女子に話しかけられた時も、なんというか、返答に優しさを感じるのだ。下心とか、そういうのが見えないというか。悪く言えば、欲がないのだな」
「僕は、普通に対応してるつもりなんだけどな」
「そうか。君らしいな」
 サナエはフフッと、わざとらしい笑い声をあげる。
「で、どうなんだ? するかしないかじゃなくて、何かの間違えでサナエを押し倒したりしたら」
「ふむ、そうだな。そうなったら」
 サナエは右手を顎に当て、なにやら考える素振りをする。
「私も、その時は覚悟を決めるしかないか」
「か、覚悟って」
 予想もしなかったサナエの返答に、ノボルは驚いて立ち止ってしまった。サナエも合わせて立ち止り、後ろを振り返る。
「それはそうだろう。例えば私がノボルをこの場で押し倒したとして、私が声を上げでもしろ。ノボルは近所の人に通報されて警察行きだ。そうなってしまったら、私はまた一人になってしまう。それでは困るではないか」
「自分の身はいいのかよ」
「だから覚悟を決めると言っただろう。ほかの男子だったらともかく、ノボルという話し相手を失うことを考えるなら、それくらいの覚悟はするさ」
「僕以外にも、話し相手くらい作れるだろう」
「それができていれば、苦労はしていないよ」
 サナエはフフッ、と今度は自嘲気味に笑った。
「まあ、ノボルも健全な男子高校生なら、女子に手を出したいと思うこともあるだろう。だが、時と場合と場所と相手の気持ちを考えて手を出すことだな。さっきも言った通り、ノボルが通報されていなくなるのは、私としては困るのだからな」
「いやいや、そんな相手いないから」
「まったく、君らしい答えだ」
 吹き抜ける風に後押しされるように、二人の足は早まっていく。そして二人は、住宅街の一つの十字路にたどり着いた。とはいっても、小さな交差点である。
「そうか、君とはここでお別れか。やはり二人で歩くと時間が経つのが早いな」
「ん、そうなのか? 僕はいつもより長く感じたけど……」
「そうか、君はそう感じたのだな」
 サナエは相変わらず笑ったままだが、その顔がなんとなく作られた笑顔に見える。ノボルはそこでしまった、と思った。
「そうだ、こういう時に言う言葉があったな」
「言葉?」
 そういうと、サナエは自分の帰る方向へ走っていき、少し進んだところでくるりと振り返った。
「じゃあな、ノボル、また明日」
「え、あ、ああ、また明日」
 ノボルが返すと、サナエが向こう側でフフッと笑う。
「やってみたかったんだ、こういうの」
「なんだそれ、変わってるな」
「何を言うか。こうやって、きちんと相手と別れを告げる。そして、また明日会おうと約束する。そうすることで、相手のことを思って、明日のやる気につながるではないか」
「そんなものなのか? 全然気にしてなかったけど」
「そうか、まあ、別にどうでもいいことだけどな」
 何を考えているのかわからないな、と思いながら、ノボルも自分の帰る道に進む。途中、振り返ってサナエの方を見た。
「それじゃあサナエ、また明日」
「ああ、また明日な」
 その言葉を最後に、二人はそれぞれの家路についた。
 いつも歩く、慣れたはずの通学路。しかし、家に近づけば近づくほど、ノボルは何か喪失感のようなものを感じていた。
「おかしいな、一人で帰るときはこんなことなかったのに」
 不思議な感覚に見舞われながら家に到着すると、ノボルは玄関のドアをゆっくりと開けた。

フィーカス
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