運命の試験スタート

 そしてテスト当日、数学の勉強に集中するノボルに、サナエはこっそり声を掛けた。
「ノボル、もし私と付き合うことになったら、何をしてほしい?」
 突然の質問に、ノボルは思わず椅子からこけそうになった。
「な、何を急に言い出すのさ?」
「いや、その、恋人になるなら、いろいろとしてほしいこともあるだろう? ヤスユキに勝ったなら、ご褒美に一つだけなんでも言うことを聞いてやろうというのだ。……いや、なんでも、というのは言いすぎか。その、金銭的に難しかったり、能力的に不可能だったり、私に大きな負担がかかるものはやめてほしいのだが、そういうもの以外であればなんでもするぞ?」
「……とは言われても、別にしてほしいことなんてないんだけど。……そうだな、じゃあ、テストが終わったら二人で喫茶店に行こうよ」
 ノボルがそう言うと、サナエは拍子抜けをした顔でぽかんとしていた。
「なんだ、そんなことでいいのか? 別に、私を性奴隷にするとかでもよかったのだぞ?」
「な、何を突然……」
 サナエの一言に、ノボルは椅子から飛び出しそうになった。
「まあ、それは冗談としても、ノボルはもっと欲を持った方がいい。自分がやりたいことを明確に出した方がいいこともあるのだぞ」
 そんなことを言っているうちに、テスト開始を告げるチャイムが鳴った。教室内の生徒は教科書やノートを片付け、筆記用具だけを机に準備した。
「よし、じゃあ約束だ。もしノボルが勝ったら、テストの後二人で喫茶店に行こう。そのあとのプランも、きちんと考えておくんだぞ」
 サナエはそう言うと、自分の席に戻った。

 テストは二日間行われたが、ノボルは勉強をしていた数学以外の教科の手ごたえは感じられなかった。
 二日目のテストが終わり、ノボルは久々にサナエと一緒に帰ることになった。
「どうだ、ノボル。テストの調子は」
 他には誰もいない通学路で、サナエはノボルに声を掛けた。
「え、ああ、うん。数学だけは結構自身あるよ」
「まあ、数学だけは頑張ったからな。他の教科はどうだ?」
「そりゃぼろぼろに決まってるだろ。数学しか勉強してないんだから」
 そう言って、ノボルはため息をついた。いつもより早い時間の通学路は、夕方の空気よりも軽く感じる。
「本当に数学しかやってないとはな。他の勉強もしておかないと、後々苦労するぞ」
「な……僕はサナエのために数学に絞って勉強したのに」
「そういえばそうだったな。そうかそうか、君は、そんなに私のことが好きなのか」
「そ、そうじゃなくて、サナエがあんな勝負を受けるから」
 あまりに慌てるノボルを見て、サナエはクスクスと笑い出した。その笑い声に応えるように、少しぬるい風が二人の髪の毛をなでる。
「そんなにむきにならなくてもよいではないか。それより、数学はどの程度自信があるのだ?」
 しばらく笑っていたサナエだったが、急に表情が引き締まる。
「そうだね……計算ミスがなければ、満点とれるくらい」
「なるほど、大体九割程度か」
「なんで計算ミスしてる前提なんだよ」
「所詮人間の完璧など、せいぜい九割程度だ。まあ、勉強をしなければ、もっとひどい点数を取っていたのだろうから、君にしては頑張った方だ」
「何だか褒められているのかけなされているのか、よくわからないなぁ……」
 ノボルはため息をつきながら、サナエの先を歩いた。サナエは、慌ててノボルの後を追う。
「とにもかくにも、ノボルは今日まで全力を尽くしてくれた。あとは休み明けの結果次第だ」
「うん。多分、大丈夫だよ……多分」
 先ほどまでの自信が、徐々になくなっていく。ノボルの口元は笑っていたが、目は落ち込んでいるように見えた。
「まったく、落ち込んでいても始まらないというのに。仕方ない、君におまじないをしてあげよう」
「え?」
 ノボルが振り向くと、サナエはノボルの額に軽くキスをした。
「え、な、何を……」
 ノボルは急に顔が熱くなるのを感じた。確かに外の空気は暑いが、それとは違う熱が顔に帯びていく。
「おまじない、と言っただろ。それとも何か? 君はファーストキスとか、そういうのを気にするのか?」
「い、いや、そうじゃなくて……」
 真っ赤になるノボルを置いて、サナエは先に進んでいく。気が付けば、ノボルとサナエの帰り道が分かれる交差点に差し掛かっていた。
「じゃあな、ノボル。来週も、たくさんおしゃべりできるといいな」
 そう言いながら、サナエは笑顔で手を振って夕日の向こう側へ消えていった。

 連休が明け、テストの結果が返ってくる日がやってきた。ノボルは特にやることもないのに、いつもより早く登校した。
 誰よりも早く登校したつもりだったが、教室には既に何人かのクラスメイトが勉強をしている。「おはよう」と一言告げると、ノボルは自分の席に着いた。特にやることもなく、ノボルは教科書を机にしまうと、机にうつぶせになった。
「今日はテストの結果が返ってくる日か……どうなるんだろうな」
 今日のテストの返却、そして勝負のことが頭をよぎり、少しだけ不安になる。しかし、しばらくすると意識が薄れ始めてきた。
「おはよう、ノボル。まったく、どうして君は学校に来てまで寝ているのだ!」
 不意に、バンッ、という音が教室に響き、ノボルの背中に痛みが走る。
「痛っ! な、何するんだよサナエ!」
「今日は大事な日なのだぞ。それなのにどうしてそんなにのんきでいられるのだ?」
 サナエは少し不機嫌そうに、自分の教科書類を机に片付けていく。
「別にそういうわけじゃないよ。僕だって結果は心配だし、かといって今からできることもないし」
「それもそうか。人事を尽くして天命を待つ、といったところかな」
「まあ、数学だけならなんとか……」
 ノボルとサナエが話をしていると、前の入り口からヤスユキが入ってくるのが見えた。ヤスユキは一瞬こちらを見るが、すぐに近くの女の子に声を掛けられ、自分の席に向かった。
「……やはり見ていて腹が立つな。どうして女はああいうのが好きなのだろうか?」
「まあ、普通は頭も顔も良ければ惹かれるのが当たり前なんじゃないのか?」
「ノボル、人は外見だけじゃないぞ。人間性が悪ければ、いくら顔や頭がよくても嫌われるのだ」
「それはそうだけど、普通はまず外見が……」
 ノボルが途中まで言いかけると、朝礼のチャイムが鳴った。立っていた生徒が一斉に自分の席に戻り、担任の先生が教室に入ってくる。
「とりあえず、放課後にまた話そう」
 サナエがそう言うと、後ろの席から「起立」という声が聞こえた。

フィーカス
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