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志奈が体調を崩してからーー志奈は俺の知っている志奈では無くなっているのではないかと思い始めてしまっている。
何故かというとーーーー
「那由多ーー!! おっはーヨーグルトルネード」
みたいなふざけた朝の挨拶をしてくるのが、今までの椎名志奈であり、俺の知っている椎名志奈だ。
でも、俺の前にいるのはーーーー
「那由多、おはよう」
どこにでも居そうなくらいに、普通の朝の挨拶をする志奈だった。
ーー俺の知っている志奈はもういない。
こんなことを気にしたって何になる。あんな小学生みたいなテンションの志奈が、周りからしたら変に見えるはずだ。
それに違和感を感じ、こんな朝からーーーー
「那由多、もしかして……遊園地のこと気にしてる?」
「あぁ、気にしてる。普段うるさい奴の寝顔があんなに可愛いとは思わなかったからさ」
「ならよかった。私のせいで台無しになったと思ってたから今日までずっと気にしてたんだよ?
ってーー朝から何言ってんの?! バカ!!」
顔を真っ赤に染め、無邪気な子供そのものの志奈に戻っていた。
志奈は遊園地で体調を崩したことを気にしていた。
それで落ち込んでいただけであって、俺が朝から気にしていたことは全て杞憂なんだ。
そう思うと、自分の心の足枷(あしかせ)がやっと外れたような開放感に満ち溢れていた。
「志奈、今日部活休みだろ? もし、暇ならパフェおごってやるよ」
気分の良い俺はライオンの檻に生肉をぶら下げて飛び込むようなことを言ってしまい、激しく後悔した。
そして、志奈は横断歩道の前で立ち止まっていた。
どの種類のパフェから食べようか悩んでいるのかと思っていたが、四車線の道路の真ん中にはーー事故で轢かれたであろう血だらけの犬が今にも死にそうな状態だった。
だが、信号が青のせいなのか血だらけで横たわる犬を誰も助けるわけでもなく、車はただ避けて進んでいる。
こんなの犬好きの志奈が黙っているはずがなく、青信号だろうが助けに行くかもしれない。
「志奈! 信号が止まったら、俺がすぐ助けに行くから。志奈は早まった行動はするなよ!!」
俺は志奈の左肩を掴み、こちらを振り向かせた。
そして、彼女からは対に滴る液体が皮膚を伝わり、硬いアスファルトに落ちていた。
だが、それは涙ではなくーーよだれだった。
「志奈ーーーーどうしたんだよ…………?」
俺の表情を見て気が付いたのか、垂れた唾をティッシュで拭き取るとひどく慌てた様子を見せていた。
「あぁっ、これ? どうしてなのかな?
きっと、朝飯食べ忘れたからかな? あははは」
戯(おど)けたように笑った志奈は、それを誤魔化そうとしていた。
俺と同じ学校の制服姿の女も犬の引かれた状態を見てはいるが、泣き出すわけでもなく、飲食をしながら普通に通り過ぎて行くだけだ。
あの女が食べていた食物を見たせいでよだれを垂らし、後で轢かれた犬を発見し、よだれを垂らした事実を隠蔽しようとしていた。
または、最初に言ったパフェの味を思い出し、思わずよだれを垂らしてしまった。
どちらにせよーーそれなら、合点も通る。どこにでもはいないが、食い意地が凄まじい女子校生と周りは思うだけだ。
誰もが変だとは思うが、取り止めて追求することではないと思い、時が経てば忘れてしまう程度のことだと感じるだろうーーーー。
けれど、それで納得してしまうと俺の今まで知っていた志奈はもういないんだと納得してしまうことになってしまう。
そんな心の葛藤をしている内に、正義感に溢れた男性が血だらけの犬を何の抵抗もなく抱え、そのまま車に乗り、去って行った。
「あの犬。助かるといいね、那由多」
「あぁ、そうだな」
志奈の犬を思う言葉が、今の俺には上辺だけの言葉にしか思えなかった。