(5)

「今ついた」
「ロビーで待ってろ」
五分ほどして、イケメンのビジネスマンが迎えに来た。ああ、よく見たら夫だ。
「遅かったな」
「渋滞だったっていったでしょ」
時間は七時四十八分。会場に入る前に、ケイタが肘を出した。腕組めってことね。はいはい。腕を絡め、笑顔で会場へ。こんなこと、いつまで続けるんだろう。バカみたい。
テーブルにつくと、相変わらずきれいだとか素敵だとかお似合いだとか、もう聞き飽きた褒め言葉をうんざりするくらい聞かされ、そのたびにありがとうございます、と大袈裟に喜んだ振りをしなければいけない。もう疲れる。ウツになりそう。
そういえば、ノジマくん、大丈夫かな。もう少ししたらタヤマくんに電話してみよう。
はあ、つまんないな。無理に笑ってると、顔が引きつりそう。ご飯もイマイチおいしくないし。もう帰りたいな。
 九時を過ぎると、パーティはお開きになった。やっと終わった……まだ今からタヤマくんのところに行かないといけないのに、すごく疲れた。
腕を組んで、みんなに挨拶をして。ああ、足が痛い。このヒール、絶対靴擦れする。
固まった笑顔でタクシーに乗ったとたんに腕を解く。お互い外側に顔を向け、私達は顔を見ない。
「仕事があるから、会社戻るんだけど」
「運転手さん、駅で降ろして」
家に帰るの? それともオンナのところ? まあ、どっちでもいいけど。振り向きもせず駅へ向かう夫を見送り、運転手に地図を渡す。
「ここ、行って下さい」

 タヤマくんのマンションにつくと、もう十時を過ぎていた。電話するタイミングも逃してしまっていた。えーと、305……ああ、ここか。
「サクラです。ごめんね、遅くなって」
出てきたタヤマくんはパーカーにジーンズで、会社のスーツ姿とはイメージが違う。こういうのも似合うんだ。ノジマくんはテレビの前でゲームをしていた。なんだそれ。
「ノジマくん、どう?」
「あ、部長! 僕、ちょっと元気になりました」
あっそ。そりゃよかった。
「お姉さんが迎えにきてくれるのね?」
「はい。タヤマさんが電話してくれたんです」
あ、そうなんだ。結構優しいじゃん。
「部長、コーヒーでも淹れましょうか」
「ああ、いい。おなかいっぱいで」
 しばらくすると、ノジマくんのお姉さんが迎えに来た。
「サクラと申します」
この名刺も何枚ばら撒いたんだろう。そして何枚ゴミ箱に捨てられたんだろう。
「じゃあ、ノジマくん、ゆっくり休んでね。仕事はみんなでカバーするから、心配しないで」
「はい。部長……ありがとうございました。あ、握手してください」
握手ね。それくらい、いくらでもしてあげるから。
「じゃあ、お姉さん、よろしくお願いします」
私はタヤマくんと、お姉さんとそのご主人とノジマくんを見送った。
「ほんと、助かったわ、タヤマくん」
「……部長、ちょっとよろしいですか」
タヤマくんは部屋へ戻っていく。時間は十時四十五分。もう眠い……でも、部下が話したいって言ってるんだから、聞かないと。
 なんかほっとしたらお酒が回ってきた。うう、ちょっと気分が悪い。
「タヤマくん、ごめん、お水もらえる?」
ソファに座ると、ちょっと目眩がした。タヤマくんはミネラルウオーターを出してくれて、床に座った。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。で、何? 悩み事?」
「いえ、そうじゃないです」
なんだろう。なんか言い辛そうだけど。
「人事のカワノから聞いたんですけど、異動の話が出てるらしいです」
「誰に?」
「部長にです」
え! 私? こんなに会社に貢献して、部下を育てて、クライエントを持ってて、優秀な私に?
「ど、どこに」
「子会社の支店長です」
それって、栄転ってことだよね。
「そう、なんだ……」
「もし、そうなったら、行きますか」
「ええ、まあ、東京なら」
「そうですか。そうですよね。部長は出世命ですもんね」
何、その言い方。私は部下のことも考えてるじゃん。
「……今日は指輪してるんですね」
「パーティでね、夫の付き添いで出てたの」
なんか、気まずいなあ。この雰囲気……
「部長、もし部長がいなくなったら、辞めるつもりです」
「え? どうして? 私がいなくなったら、タヤマくん、部長になるよ」
「出世とか、あんまり興味ないんで。俺、尊敬できる人の下で働きたいんですよ」
「タヤマくんは、上に立てる人だよ。自信持って」
「部長みたいに、自分を殺してまで、部下や会社のために働けません」
自分を殺して? どういう意味? 私は自分の意思でこうしてるだけだよ。
「私は別に……」
「部長は仕事もできるし、部下思いだし、すばらしい上司だと思います。みんな部長のこと尊敬してます」
そうでしょうね。だって私はすばらしい部長だから。
「どうして、ノジマの両親に迎えに来てもらわなかったんですか」
「どうしてって……思いつかなかったのよ。送っていかないとって思い込んじゃって」
「そうでしょう。部長はね、全部自分で背負っちゃうんですよ。仕事も、トラブルも、なんでもかんでも」
「それが『上司』でしょ」
「俺は無理なんです。そういうのが」
「タヤマくんは無理しなくていいと思う」
あれ? なんか私言ってることおかしい?
「上司になったらそうしないとダメなんでしょう?」
そうしないとって思ってたけど……だって、わかりやすいよね、『いい上司』として……わかりやすい? 『いい上司』って思われたいだけ?
「そんなに優しくなくていいんですよ」
知らない間に、泣いてしまっていたらしい。タヤマくんが、ティッシュを出してくれた。
「好きなんです、俺」
「え?」
「部長のこと」
一日に二回も告白されるなんて……四十になってもこんな奇跡が起こるのね。
「タヤマくん……」
「ダンナさんと、うまくいってないんですよね」
「そんなこと、ないよ」
「社内で噂ですよ」
「そんなの、噂だよ」
噂……そんな噂があるんだ……なんか、カッコわる……
「部長」
 男の人に抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう。そして、キスなんて……忘れてた。
「もうね、何年も、ほとんど口もきいてない」
こんなこと、初めて言った。人前でこんなに泣くのも、初めてかもしれない。
「俺に、何かできますか」

葉月零
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葉月零

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