宿屋にて

「よし、今日も客は来ない」

 ある種清々しい気持ちでエスノアは言い切って、カウンター内で副業の作業へと取り掛かる。
 それは鉱石の加工だった。
 午前の間に仕入れた鉱石を、自分の腕と魔法の力を利用して加工する。
 こうした副業はわりと王都では流行っていて、作った物を土産として売っている店もあるぐらいだ。
 エスノアの場合、鉱石に魔力を注ぎ、研磨して別の加工をする人に売っている。
 魔力といってもお守り程度のものだ。
 健康のお守りにはちょっとした治癒の魔法を、といった具合に。

「エスノア、ちょっとはお客さんを増やそうって思わない?」

 ひょっこり奥から顔を出した少女はアルファだ。
 行き倒れていたところをキリィが拾って、この家で働いている。
 見た目はキリィと同じぐらいに見えるアルファだが、目が金色で竜と人間のハーフなのだという。
 褐色の肌もフイネイでは見ない珍しい色だ。
 年齢もエスノアより年上のはずだが、仕草が全体的に幼いせいもありそんな感じはしなかった。

「俺の努力で客が増えるなら苦労はしないさ」

 エスノアは適当にそのあたりを流す。
 事実その通りだ。
 かつてこの宿を切り盛りしていた名物女将はもういない。
 愛想はあっても、華のない男が店主では客がやってくるはずなかった。
 一応、今はかろうじて夜は食事処として客が来るぐらいだ。
 真面目に考えると、頭が痛くなる。

「もう、もっと真面目に考えてよ」

「考えてるよ。君が何で俺を知っていて、俺に懐いているかとか」

 そもそもキリィが彼女を拾って帰って来たのも、雨に濡れて朦朧としていたアルファがキリィを見て『エスノア』と呼んだからだった。
 正直、エスノにとってアルファは見覚えのない女の子だった。

「んー……ひみつ」

 エスノアが彼女の素性を問うと、にへらっと笑ってアルファは逃げてしまう。
 今回も同じように笑って奥へと引っ込んでしまった。
 恐らく洗濯した物を取り込んで、それぞれの部屋に置きに行くのだろう。

「秘密って言うけど気になるよなぁ……」

 無理に聞きだしても話さないだろう。
 エスノアをどうして知ってるのか、どこの出身なのかなど疑問は山のようにあるけれど、答えてくれないのなら無理に質問するわけにもいかない。
 何故ならエスノアやキリィの胃袋はがっちり彼女に掴まれているのだから。

「まあ、気にするだけ損だ」

 そして頭を切り替えて自分の仕事に集中しようと思ったのだが、そこで弟が帰って来た。

「兄ちゃんただいまー! 場所ちょっと借りるよー!」

 そう飛び込んできた弟の後ろからは、一緒に遊びに行った宿泊のリカル。
 さらにその後ろに地味な服をまとった金髪の少女、無遠慮にジロジロと内装に目を配る金目の男が続く。
 油断なく、といった感じで男は護衛のように見えた。

「いったい、何をしてきたんだ」

 エスノアが呆れて問うとキリィは興奮を隠しきれない様子で兄に説明する。

「ちょっとお姉ちゃんとぶつかっちゃってさぁ。凄いんだよ、この兄ちゃん金目だもん。本物の竜だよ!」

 目をキラキラと輝かせる弟に、エスノアは大きくため息をついた。
 この国の出身なら知らぬ者はいない。
 竜は王族の護衛である。
 つまりやってきた男が竜であるなら、少女は王族ということだ。

「そんなに竜が珍しいの? あなたも連れてるでしょ?」

「違うよ。リカルの兄ちゃんは半分だけ竜なんだもん」

 はしゃぐキリィをほほえましく思ったのか、尋ねた少女はキリィの言葉で驚いたように口に手を当てる。
 ちょっとしたしぐさにも品を感じる。
 エスノアは少女の素性は考えないことにして、アルファを呼ぶ。

「アルファ。お客さんがお見えだ。何かお出しして」

 奥に向かって呼びかける。
 それに気づいた少女は慌てたようにエスノアを振り返る。

「お構いなく。話をするだけで……」

「いえいえ、弟が失礼したようですので、お詫び代わりです」

 少女の言葉を遮ってエスノアは頭を下げた。

「キリィ。ちゃんと謝ったのか?」

「謝ったよ」

 キリィがふくれっ面になる。
 その兄弟のやりとりを見ていた金目の男が小さく笑う。
 本当に小さな笑みで、言われなければわからなかっただろう。
 しかし少女は気づいたようで、今度は男を見る。

「なんだ。むっつりしてるけど、そういう表情《かお》もできるんだ」

「仕方ないだろう。お前と初めて出会ったのは出かけるほんの少し前だぞ」

「だって、あまりに愛想ないんだもの」

 少女と男は言い合いながら、四人掛けのテーブルに並んで座る。
 その向かいにはリカルとキリィが座った。
 なかなか見られる光景じゃないな、とエスノアは四人を見守った。

「まず、自己紹介しましょ。私はレイナ、こっちはルーク。そちらは?」

「リカル。こっちはこの宿の店主の弟のキリィだ」

 合わせたようにリカルは自分の名前と、ついでにキリィを紹介する。

「リカルね。じゃあ出身は? この国じゃないんでしょ? 半分竜ってどういうこと?」

 身を乗り出してレイナは次々と問いを発する。
 リカルはその勢いに圧されながら、苦笑して答えた。

「俺は南大陸からやって来たんだ。俺の父は人間、母は竜だった。半分っていうのは文字通り」

「南大陸っていうと……」

 思い当ることがあるのか、レイナは口元に手を当てて首を捻る。
 なかなか思い出せないのか渋い表情だ。

「南大陸は大昔に竜が住んでいた大陸だぞ。残ってるのは闇竜がほとんどだと聞いているが、今は勉強しないのか?」

 ルークが何気なくそう言った。
 親切な解説ではあったのだが、最後の一言が余計だった。

「今思い出そうとしてたのよ。ってことはあなたのお母さんは闇竜なの?」

 余計な口出しをしたルークを軽く睨んで、レイナは質問を続ける。
 その問いにはリカルは複雑な表情で否定した。

「いや、俺の母は風の竜だ」

 リカルの答えに表情を変えたのはルークだった。
 ガタンと大きく音を立てて立ち上がりかける。
 連れの突然の行動にレイナは目を丸くした。

「どうしたのよ、突然。風竜の仲間なんてルークには珍しくないでしょ」

「珍しい珍しくないの問題じゃない。南大陸から風竜の血縁が来たということが重要なんだ」

 誰も口出しできないような真剣な眼差しで、ルークは目の前の同じ瞳をした男を見る。

「そうなの?」

 少女は不思議そうに首を傾げる。
 ルークの言葉の意味がまったくわからないのだ。
 一方でリカルはルークの言葉を聞いてほっとしたように笑みを浮かべた。

「よかった。風の竜なら話は早い。風竜王《エアスト・ヴィント》にお会いしたい」

 リカルがこの国に来た目的を告げる。

「断る」

 だが、目的を果たすことをルークは冷酷に拒絶した。



 アルファは様々な飲み物を器用に乗せたトレイを持ってきて、目をぱちくりとさせる。

「あれ? お客様は?」

 アルファが飲み物の用意をしている時には、もう客人は帰っていた。
 王族だけあって、帰る時間は厳しいのだろう。

「もう帰ったよ。あーあ……まさか拒絶されるなんてなぁ」

 アルファからカップを受け取って、リカルはがっくり肩を落とした。
 うなだれるリカルの肩を、キリィがバンバンと叩く。

「まあまあ、リカルの兄ちゃん。そんな時もあるって」

 そんな風にリカルを慰めながら、キリィはアルファから甘く味付けされた牛乳を受け取る。
 アルファが残った二つのカップを見て困っていた。
 エスノアはその仕事を無駄にはしまい、とカウンターから立ち上がり、客人の去った席に座る。

「残りは俺とお前で飲もうか。アルファ」

「うん」

 仲のいい兄妹のようなやり取りだ。
 それに気づいたエスノアの弟本人が吹き出す。

「これじゃあ、どっちがどっちの兄ちゃんだかわからないじゃん」

 キリィの発言をきっかけに小さな笑いの渦が起きた。

「そういや、兄ちゃん。風竜王《エアスト・ヴィント》って何だ?」

 小さな疑問にリカルはなるべく簡単に説明する。
 竜には属性によって六つの種族に分かれている。
 その種族の中でも序列でわかれていて、序列の第一位が竜王《エアスト》と呼ばれているらしい。

「俺は風竜王《エアスト・ヴィント》に届け物と、母からの言伝を伝えたかったんだが、断られたのなら仕方ない。何とかして説得したいもんだが、どうにかならないものか」

 その場の者は全員うーんと考え込む。
 特に消息が不明なのだという竜の父親を探すアルファも真剣だ。

「何とかして王城に入る方法ってないかな。あいつともうちょっと突っ込んだ話がしたい」

 それは少し無理ではないかと、エスノアは思ったが口に出す事ではないと敢えて黙っていた。

流堂志良
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流堂志良

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