王女への処方箋1
翌日の昼過ぎに、レイナとルークは王都に降りていた。
「昨夜はそんなに寝てないんだ。あまり、こういう『お出かけ』は好ましくないんだが」
ルークはため息をつきながら、レイナの前でサンドウィッチを食べる。
牛肉を炙って野菜と一緒にパンに挟んだだけのシンプルな物だ。
食えればいい、という精神でルークは基本的に出された物は何でも食べるが、できるだけ手の込んでないシンプルな物を好む。
繊細な味付けは違いが判らないからと彼は言う。
「いいじゃない。気分転換になるでしょ」
一方、レイナのサンドウィッチの具には乳製品をベースにしたソースが使われている。
レイナもこのサンドウィッチを勧めたのだが、ルークはやんわりとそれを断った。
今回二人はスタンド付きの屋台でサンドウィッチを選んだのだ。
昨夜悪夢にうなされ、真夜中に起きたというのに、レイナは元気なものだ。
ルークは呆れたが、今晩また彼女が悪夢を見るかもしれない。
「俺の経験上、満月の夜だけでは済まん。今晩も危ないんだから、きちんと城で休息を取るべきだ」
「いやよ。城の中じゃ逆に気が滅入るもの」
わざとらしくレイナはそっぽを向き、ルークはため息をこぼす。
「せめて早めに帰ろう。寝ている時に発動するならいいが、街中で『アレ』が起きると目も当てられん」
ルークは昨夜の目が赤く染まったレイナの姿を思い出して、顔をしかめながらサンドウィッチをかじる。
あの目を見ると、友人を思い出してしまう。
だから、なるべくそれは避けたい。
「わかったわよ。ちょっとした小物を見て、気に入ったのを買ったら帰るから」
「本当か?」
「本当。約束してもいいわよ」
声を立ててレイナは笑う。
ルークはしぶしぶ頷いたが、女性の買い物への熱意を少々舐めていた。
すぐに気に入った小物を見つけて、帰るものだと思っているのだ。
軽い食事を終えると、レイナはすぐに屋台街を通り抜けて、小物が売っている露店へと向かう。
こういった店には値札はない。
なので、値段は売主との交渉次第の事が多い。
レイナは気になった小物を取り上げては店主に値段を聞いた。
それで買うのかとルークが思っていると、値段を聞いた物を、元の場所に戻して別の露店へと行く。
「買うんじゃないのか?」
ルークが気になって聞くと、王女は首を振る。
「気になった物の中で一番いいのを買うのよ」
「全部買うのでは駄目なのか?」
何と言っても王女である。
こんな庶民的な店で、いくら買ってもお釣りがくるぐらいの『王女用の予算』が王家には組まれているはずだ。
小物を比べて買うよりは効率がいい、とルークは思った。
「何言ってるの。それじゃあ意味がないのよ。こういう買い物は過程を楽しむの。全部買うんじゃ駄目なの」
彼にはさっぱり意味の分からないことだが、そういうものらしい。
しかし選んでる彼女と一緒に装飾品を覗き込んでも、装飾品の違いがよくわからない。
形状が似ていると全て同じに見えていた。
かといって何もせずに突っ立っていると店主や他の客の視線をより感じた。
どれだけ人間に近く姿を変えても、瞳だけはごまかせない。
金の目ですぐに竜だとバレてしまう。
目の前にいる店主も、ルークを見てレイナの素性を悟ったのか緊張している。
身分がバレている雑踏の中では襲撃を心配しなければならない。
次来る時は、自分の目の色を悟られないように、フード付きのマントでも纏うか、と考えた。
昨日会った竜と人間のハーフだという彼は、フードで半分顔を隠していた。
ああいう風に顔を隠せば、彼女の身分を悟らせずに出かけることができる。
「ルーク、何ボーっとしてるの? 早く行くわよ」
レイナに声を掛けられて、ルークはハッとする。
「はいはい。おおせのままに」
そうして露店を回って、気がつけば装飾品や小物類を扱っている露店を一周してしまった。
まだ決まらないのか。
ルークはげんなりしたが、一周回ったことで、レイナは何を買うか決めたらしい。
「あそこのお店に戻りましょ」
休憩なしに回って、疲労の色を見せてないのだから感心する。
ルークの方は体力面はともかく精神面で疲労してしまった。
「何を買うか、決めたのか?」
「うん」
レイナと一緒に一度回った店に戻る。
そこは髪飾りを中心に置いてある露店だった。
花を模った髪飾りを手に取って見せたレイナだったが、ルークには他の髪飾りとの違いがよくわからない。
「どうよ、これ」
なんて、レイナははしゃいでルークに髪飾りを見せるが、彼は首を捻るばかりだ。
「悪い。違いがよくわからん」
「何でよ。ジークなら可愛いって褒めてくれるわ」
不満顔のレイナに対して、ルークはやれやれと肩をすくめた。
ルークは弟と自分の違いをレイナに説明する。
「いいか。ずっと王族の護衛をやってたジークと違って、俺は数百年人間との関わりを絶ってたんだ。人間の装飾の細かい違いが俺にはわからん」
「そうなの? そういうの全然知らないから、今度聞かせてよ」
きょとんとしたレイナは髪飾りの代金を売主に渡しながら言う。
「まあ、聞きたいと言うなら話してやるけど……」
何を話せと言うのだろう。
はっきり言って説明するのにも、向こうから質問してもらわないとわからない。
ルークは顔をしかめながら考えていると、金を支払った髪飾りを持ってレイナは彼に近づく。
「花の名前も知らなかったりするの?」
「あまり。それが花だってことはわかるが、花の名前は知らないな」
「そう。じゃあ次行くわよ」
「は?」
レイナの言ったことが一瞬理解できずに、ルークは聞き返す。
ルークはもうレイナの買い物が終わったと気を抜いて、帰るものだと思っていたのだ。
「何だって?」
「だから、次に行くわよ。花屋に行って、花の種類でも見ましょ」
恐らくだが、花の種類をルークに見せようというのだ。
ルークには拒否権はないようだった。
仕方なしに、レイナについて、今度は切り花や鉢植えを売ってる一角にルークを連れて行った。
「流石に色の違いは分かるわね?」
「俺を馬鹿にしてるのか? 色の違いぐらいは分かる。形が似てると怪しいがな。この花は色が多いが、違いはあるのか?」
様々な種類のある、薔薇を指してルークは聞く。
色も微妙に違ったり、花弁もほんの少し違いがある。
「違いはあるわ。品種が違うの。って言ってもわからないわよね。もし花を買う時には、花屋でこういう用途で欲しいって言ったら選んでくれるわ。誰かに贈る時とか」
「ふむ……。たとえばだが、人間は墓には花を供えると聞いたが、そういう時もだろうか」
ルークは話を聞いて、気になったことをレイナに聞いてみる。
レイナはすぐに頷いた。
「竜にはそういう墓参りの習慣はないの?」
「ない。仲間の身体は大地に還る」
「そうなの……。基本的に私たちも埋葬するんだけどね。誰かお参りしたいお墓があるの?」
レイナがルークに聞くと、ルークは沈黙する。
自分でもよくわかっていなかった。
反射的に思い出したのは、かつて失った友人だったがそれを振り払うように首を振った。
「いや、少し気になっただけだ」
「そう? じゃあそろそろ帰ろっか」
やっとレイナは帰る気になったようだった。
ため息をつきつつ、頷いたルークの前でレイナは突然頭を押さえてふらついた。
「っ……!」
声が出ない様子にルークは息を呑む。
これはよくない兆候だった。
「頭が痛いのか? 声に出さなくていい。もしそうなら頷いてくれ」
レイナはうつむき加減だが、かすかに頷いた。
金髪の隙間から赤い光が覗く。
ルークは確信した。
昨夜に起きたことと同じだと。
「俺の声を意識しろ。見えている物に気を取られては駄目だ」
ルークは囁きながらレイナを支えて、道の脇に避けた。